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第119話 自分の置かれた立場を実感する

玄関先で伊東さんを待っていると、目の前に伊東さんの愛車であるGクラスベンツが止まった。

運転席には藤堂が、後部座席には伊東さんが座っていて、窓越しから俺を手招いた。

俺は遠慮がちに後部座席のドアを開けて、中に入った。

充分なスペースがある後部座席のはずなのに、なぜだか隣に伊東さんが座っていると窮屈に感じられた。

前方から鋭い視線を感じ、顔を上げると、ルームミラー越しに藤堂と目が合った。

なんとも居心地の悪い車内だ。


「それでお前、これからどうするつもりだ?このままじゃ、多額の負債を抱えて、お前自身が島流しにあうぞ?」


発進した車の中で伊東さんは顔を前方に向けたまま俺に話しかけた。

俺は目線を床に落とし、しばらくの間黙っていた。


「絶望的な状況だよなぁ。たった一ヶ月とはいえ、返済見込みのない人間に金をばら撒いちまったんだからな。回収すんのも楽じゃねぇぞ。そいつら見つけ出したとしても、大半は使っちまってるからなぁ。一晩で数百万なんてあっという間だ」


伊東さんの言葉はまるで人の不幸を笑っているように淡々と答えていた。

たとえそうだったとしても、俺はなんとかして回収するしかなかった。


「とはいえ、あの山南がお前を失脚させる為だけにあいつらを野放しにするとも思えん。海外逃亡だけは阻止しているだろうな。海外に逃亡されちゃ、こっちも手の出しようもなくなる。となると、お前がすることは一つだ。貸し付けた客を全員見つけ出し、何が何でも返済させる。それでも、使っちまった金は戻らねぇし、あいつらから回収できる資産もそうないだろうよ」


伊東さんは独り言のようにしゃべりながら小さく笑った。

もしかしたら、伊東さんにはこうなることが予測できたのかもしれない。

予測した上で、俺がどのような動きをするのか観察していたのだ。

俺は何とも情けない気持ちになった。

その時、伊東さんは何かに語り掛けるように俺に話しかけた。


「なぁ、土方。俺がお前に効率的な回収の仕方を教えてやろうか?」


俺は慌てて顔を上げた。

まさか伊東さん自身が俺にヒントのようなものを出すとは思えなかったからだ。

その伊東さんの表情は相変わらず何を考えているのかわからない笑みだった。

そして、それを運転席で聞いていた藤堂がこちらに叫んだ。


「伊東さん!」


藤堂としては、俺の手助けになる助言を与えることに反対なのだろう。

しかし、俺にとっては喉から手が出るほど欲しい情報だった。

伊東さんは藤堂が止める声を無視し、俺に伝えた。


「方法は二つ。一つは金で払えないなら、体で払わす。これは水商売しろって話じゃねぇぞ。体の一部を売却して金にしろっていう話だ。何でもいい。髪に自信があるなら髪を売ってもいいが、大した金にはならん。金にするなら胆嚢、脾臓、肺、肝臓、角膜でもいい。それでも返せないなら、あるもの全て査定に出すんだな。運が良けりゃぁ、生きてるさ」


俺はその話を聞いて愕然とした。

それはあまりにも過酷で、下手をすれば命を失う。

命が助かっても、今まで通りの生活はできないだろう。

ヤクザから金を借りるという代償の大きさをこの時はっきりと理解した。


「しかし、これは若い奴の話だ。年寄りには使えねぇ。そうなると二つ目は、人身売買。俺たちが売るんじゃねぇぞ。自ら労働者として海外に身を売るんだ。多少年を食ってても雇ってくれる。まぁ、日本国籍はなくなるし、人権つうのもなくなるが、命あるだけで幸福だろうよ」


確かに、内臓や体の一部を売るにしても、年を取っては買い手がつかない。

買い手がついたところで、若い頃のように高値はつかないだろう。

そうなると、残されたのは自分の人生そのものを売る行為だった。

内臓売却にしても、人身売買にしても、組織が直接契約するのではない。

脅して、彼ら自身で契約させるのだ。

なんて残酷なことをさせるのだろう。

俺はそんなことをするために、こんな世界に入ってきたわけではないのに。

できれば、俺が回収に回る客にまでそんな目には合わせたくなかった。

そこまで非人道的なことを俺ができるとは思えなかった。

すると、伊東さんが俺を横目で見ながら、低い声で答える。


「土方よぉ。まさか、こんな世界に入ってきて、自分の手も汚さねぇで上にのし上がろうなんて思っちゃいねぇよなぁ。お前は既に犯罪の片棒を抱えちまってんだぞ。これからはもっと非常なこともやらねぇといけねぇ。そのうち、人の人生や命を奪う日が来るかもしれねぇなぁ。その覚悟もなく、お前はこんな場所に立っているわけじゃねぇんだろう?」


その言葉に俺の胸はずしんと重くなった。

俺は覚悟をもってこの世界に入ってきたはずだった。

ここがそんな甘い考えの通用する世界だとも思っていなかった。

けれど、俺の中のどこかで自分だけは手を汚したくない。

人間らしい生き方をしたいと願っていたのかもしれない。

犯罪や誰かを傷つける行為を避け、自尊心だけは守ろうと無意識に行動していた。

結局誰よりも保守的だったのは俺自身なのではないだろうかと思考が巡った。

そんな俺を伊東さんが軽蔑したとしても、それは当然だ。


「お、俺は……」

「まぁ、じっくり考えろや。そう時間はないが、焦っても結果は出ねぇからな。それにな、俺は勝負事でフェアじゃないのは好きじゃねぇんだ。ヤクザもんが何言ってんだって言われそうだがな、ハンデもらって勝負に勝ったって、面白くも何ともねぇだろう。それなら、やらない方がましだ。だが、今の俺たちの勝負はどうだ。明らかにフェアじゃねぇ。お前が勝てる見込みのない勝負なんて勝負とは呼ばねぇんだよ」


伊東さんがそう話し終えるころには、車は目的地に到着していた。

小野邸からこの場所はそう遠くはないようだった。

伊東さんは車から降りて、俺に言った。


「だから今から少しでもお前が俺らと対等になれるように、俺はお前に力をやる。これは俺がお前を勝たせたいからじゃねぇ。俺は本当の実力者が誰なのか、完璧な証明が欲しいだけだ」


そして、俺についてくるように指示して、伊東さんはビルの地下へと入って行った。

俺が戸惑っていると、運転席の藤堂が鋭い眼光で睨みつけてきたので、俺は慌てて車の外へ出て、伊東さんの向かった方向へと急いだ。

伊東さんは地下室の扉の前で立っていた。

その扉はやけに分厚く、頑丈な鉄の扉だった。

重さだけでも相当なものだろう。

鍵を回し、その扉を開けると、そこには見たこともない光景が広がっていた。

伊東さんが中に入るようにと促すので、俺は黙ってそれに従った。

最初に感じたのは火薬と鉄の臭いだった。

薄暗い部屋に長いカウンターが並び、人型の的がぶら下がっている。

後ろにはデジタル式のロッカーが並び、見たことのないような器具や道具が並んでいた。

明らかにここは射的場だった。

日本の、しかも都心のビルの地下にこんなものがあったとは信じられなかった。

伊東さんは金庫のようなロッカーから銃を1丁取り出し、それを俺に持たせた。

それは掌の中でずしりと重くのしかかった。


「どうだ、重いか?」


伊東さんは静かにそう尋ねる。

俺は深く頷いた。


「それが命の重さだ」


そう言われた瞬間、俺は顔をばっと上げた。

そして、伊東さんと目が合った。


「銃を持つってことは、人の命を奪うってことだ。使う、使わないは関係ねぇ。その覚悟がねぇやつが持っていい品物じゃねぇんだよ。これはお前に必要な重さだ。この世界に入り、人の上に立つってことは不条理なこともしていかなければならんし、時には自分には抱えきれないほどの責任を負わんとならん。それにびびって保守的でいられるほど、この世界は甘くねぇんだよ。お前は手段とともに、責任も負え。非道なことも不条理なことも受け入れ、その痛みと重みを持って生きろ。そうしてやっと俺たちと同じ土俵に立てるってことなんだよ。それが出来ねぇなら、今すぐここから逃げ出すんだな。海外に逃げようが、人のいない山奥に逃げようが好きにすればいい。だがな、そうすれば、お前の家族、ひいては市子のお嬢がお前の代償を払うことになる。それを理解して逃げろよ」


伊東さんが話し終えたタイミングで藤堂が部屋に入ってきた。

伊東さんは藤堂に目線を向け、俺に拳銃の使い方を教えるように言った。

当然、藤堂はいい顔をしなかったが、伊東さんの命令だ。

従わないわけにはいかない。

相変わらず機嫌が悪そうな顔で俺の前に立ち、藤堂は俺に拳銃の使い方について説明した。

その間、伊東さんは別の部屋に入り、帰るまでの間出てくることはなかった。

この時俺は改めてヤクザになった自覚のない自分の不甲斐なさを実感した。

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