第118話 裏切りを知る
年末、俺たち支店の社員は、年間表彰式のために本社に集まることになった。
全員で30名以上が会議室にひしめき合う。
その異様な光景を見ながら、俺は列に並んでいた。
そして、それは淡々と流れ、最後に俺の店と俺の名前が呼ばれる。
「土方はんはホンマにすごいなぁ。まだ一ヶ月やのに、店の契約率、前年の300%やて。前代未聞とちゃうんか?」
俺が山南の前に立つと、他の社員の前で称賛される。
俺はどんな顔をしていいかわからず、ひとまず頭を掻いていた。
「いえ。自分は何もしていません。社員の皆が頑張ってくれたんです」
俺がそう答えると、山南は何度も頷いて笑顔で答える。
「来年は楽しみやなぁ。これ、全部回収できるんやろ?」
「は?」
俺はつい顔を上げて山南を凝視した。
山南の目は笑っているのに笑っていない。
「せやから、金を貸したいうことは、来月にはその倍以上、回収見込みがあるいうことやろ。せやないと、金なんて大事なもん、他人なんかに貸さへんやろ。まさか、回収できるかどうかもわからん相手に貸してへんやろなぁ。そんなことしたら、大損やで」
「まさか……」
俺はすぐさまそう答えたが、確信はない。
判断は全て他の社員に任せていた。
まさか、彼らが回収できない相手に安易に契約を取ったとは思えない。
しかし、前年の300%というのも信じられない実績だ。
俺の顔は一気に血の気が引いた。
「うちに来る客はみんな厄介や。他の金融機関に見捨てられたゴミやさかい、まともに返しに来る客なんていてへん。とんずらこくのがほとんどやろなぁ。あいつらは頭下げたらどうにかなるなんて安易に考えとる単細胞ばっかや。土方はん、ここからが本番やで。お手並み拝見といこか」
山南はそう言って、にんまりと笑った。
俺は表彰式が終わった後、大慌てで武田さんのもとへ向かった。
武田さんは自分の席につき、平然とした顔で俺に答えた。
「何を言っているんですか、土方さん。融資したら、回収するのは当たり前のことじゃないですか。街金は銀行とは違います。担保もありませんし、まともに返済に来る客なんていませんよ。だからこそ、我々の見定めが重要で、回収を想定した貸し付けが必要なんです。そんなこと、わざわざ口にしなければわかりませんでしたか?」
武田さんの話し方は以前とは打って変わって冷たく突き放すような言い方だった。
なぜ、俺は今まで気が付かなかったのだろう。
ここは極道だ。
親切に仕事を教え、アドバイスする人間がいるわけがない。
カタギの時、当たり前だと思っていたそれらは、ここではすべて幻なのだ。
武田さんの巧妙な話術で俺はいつの間にか盲従させられていたのだ。
貸し付けたら回収する。
そんなの当然じゃないか。
それなのに俺の頭の中では、貸し付けと回収がまるで別部署のような感覚になっていた。
その原因の一つはあの店に「回収」という業務があまりにも希薄だったのもある。
おそらくは全て、山南の手の内なのだろう。
俺を金融で失敗させるために仕組んだことなのだ。
だと考えれば、どこまでが真実でどこまでは欺瞞だったのか、見極めなければならないと思った。
俺はその足で急いで店に戻った。
派遣社員の彼らにも事情を確認しなければならなかったからだ。
店に戻ると、店内の奥で社員たちの騒ぐ声が聞こえた。
俺や客がいないことをいいことに、仕事もしないで雑談に明け暮れているようだった。
「今頃、店長、やばいんじゃない? だって、回収の目途、全然立ってないじゃん」
そう話したのは若い女性社員だった。
彼女は山南アンチ派だと話していた女性だ。
「こっちは楽だったわよ。来る客、何も考えず、甘い顔して貸し出せばよかったんだから」
そう答えたのは俺と年齢の変わらない中年の女性社員。
明らかに話し方が違っていた。
「僕としてはSNSでの拡散が一番良かったと思います。簡単に金を貸す店だって流したら、すぐに食いついてきたじゃないですかぁ。よく考えればわかることなのに。こんな町はずれの街金に客なんて普通来ないんですよ」
あの気の弱そうだった男性社員も嬉しそうに話に加わっていた。
頑張りましょうとか、協力し合いましょうとかポジティブな発言をするいい社員だと思っていたが、本心は全く違うようだった。
「アタシだって、ほんとはこんな店来たくなかったのに、武田さんが店長をうまくやり込めたら、今度は池袋中央支店に配属してやるっていうから我慢してたのよ。ああ、早く潰れちゃわないかなぁ。ぶっちゃけ、この店も、店長もどうなってもいいし」
「わぁ、あんた、血も涙もない人間ねぇ」
若い女性社員の言葉に、中年の女性社員がゲラゲラと笑っていた。
俺はそれを聞きながら、拳を強く握りしめた。
うまくいっていると思っていた。
こんな世界でもまともな人間はいるのだと思っていた。
なぜなら、彼女たちは裏社会に関与していたとはいえ、一般市民だ。
俺たち極道の人間とは違う。
お金のために仕方なく働いていたと思っていたけれど、彼らも所詮、自己保身なのだ。
自分の欲望のためなら、他人が犠牲になることも厭わない。
そういう世界であるとわかっていたのに、俺はいつの間にか己の願望のままに相手を見ていた。
楽しそうに会話をする三人の後ろで、俺は思い切り拳を壁に叩きつけた。
店中に大きな音が響き、皆驚いて後ろに振り返る。
そして、そこに俺がいたことに驚き、顔を真っ青にさせた。
「て、店長、これは……」
男性社員が必死に言い訳をしようとしていたが、そんなの今更どうでもいい。
俺はこんな場所で潰れてやる義理はないし、こいつらの思い通りにもさせる気もない。
何が何でも金を回収してやろうと心の中で決意した。
俺は三人を睨みつけながら、低い声で投げかける。
「お前ら、貸した金は何が何でも回収しろ!じゃねぇと、お前らも地獄に道連れにするからな。覚悟しろよ!!」
その言葉に三人はたじろいで、慌てて返事をした。
俺は少しでも回収する方法を必死で模索していた。
模索している間にあっという間に年を越した。
新年を迎えても、俺の心は一向に晴れなかった。
そして、小野家の正月は他の行事に比べても壮大に行われる。
あくまで組内の行事ごとのため、会場は小野邸で行われた。
正直、今は山南の顔を見る気にはならない。
それでも新年の挨拶をするために顔を突き合わせるしかなかった。
山南の勝ち誇ったような顔。
それが悔しくてたまらなかった。
今はまだ、挽回する術を思いついていない。
しかし、時間は一刻一刻流れていくのだ。
俺の心は明らかに焦っていた。
一通り挨拶を終えた後、俺は伊東さんに呼び止められた。
「よぉ、土方。随分、顔色悪いじゃねぇか」
俺が振り向いた先の伊東さんの表情は、俺の事情を察してか、嘲笑しているかのような笑みだった。
「山南の策略にまんまとやられたって顔してんな」
伊東さんはそう言って笑う。
今の俺には伊東さんを気遣う余裕など少しもなかった。
「俺を笑いに来たんですか?」
俺は伊東さんを睨みながら答える。
伊東さんの後ろに控えていた藤堂が今にも俺に襲い掛かる勢いで睨みつけてきていた。
それを伊東さんが手で止める。
「そうじゃない。俺はお前にこんなところで脱落してほしくねぇんだよ。そんなの面白くねぇだろう?」
「おもしろくないって――」
余裕の無さから、俺は噛みつくような勢いで伊東さんに答える。
すると、伊東さんはその不敵な笑みのまま俺を誘い出した。
「お前を連れて行きたいところがある。ついてこい」
伊東さんは俺の返事を待たずに、玄関へと歩き出した。
俺は無視することもできず、黙って彼の後についていく。
伊東さんの後ろで藤堂が絶えず俺を監視するように睨みつけていた。