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第114話 小林という男を知る

タオさんは一通り店の片づけをし終えると暖簾を店内に入れ、従業員を帰らせた。

そして、店内は俺たち三人になった。

小林は相変わらず気持ちよさそうに寝ていて、起きそうにない。

そんな小林の隣にタオさんは座り、俺のお猪口に酒を注いだ。


「ケイちゃんからはずっとあんたの話は聞いてたんだよ。あんたが組に入る前からね。俺に兄貴ができたって喜んでたから、一度会ってみたかったんだよ」


俺はタオさんに注いでもらった酒を一口でくいっと飲み干した。

最初は小林が勝手に勘違いして、俺を兄貴呼ばわりしていたのだけれど、気が付けば小林の言うとおりになっていた。

それが悔しくもあるし、ちょっとだけむずがゆくもあった。


「しかし、小林にこんなきれいな奥さんがいたなんて知りませんでした。市子から話は聞いていましたが、正直、半信半疑で……」


俺がそう答えると、タオさんは豪快に笑った。


「口がうまいね、土方さんは。さすが、あの市子嬢を仕留めた男だ」

「仕留めたって……」


なんだかよく知らない人が聞いたら、炎上しそうな発言だった。

なんとなく、雰囲気がどこか小林に似ている。

やはり、夫婦というものはどこか似てくるものなのだろうか。


「案外、小林にも人間らしいところがあったんですね。女性に惚れて、こんな場所に通い詰めていたなんて。いつもはどこか飄々としていて、女っ気のない奴だと思っていたので意外でした」


するとタオさんはくすっと笑い、自分用のグラスを片手で揺らし始めた。


「まさか。惚れていたのはアタシの方さ。アタシがケイちゃんに何度アプローチかけても、ケイちゃんはいつも俺には守らなければならないものがあるって一点張りで、振られ続けていたんだよ。普段のケイちゃんは気さくで明るいけどさ、いざというときは誰よりも潔くて、男らしい。そんなケイちゃんに惚れる女はアタシだけじゃなかったよ。でもさ、ケイちゃんは一夜限りの関係を持っても、誰か特別な相手を作ろうとしなかった。もう、すでに特別な人はいたからね」

「特別な人……?」


俺はその言葉が妙に気になった。

小林にそこまで思わせる相手がいたなんて意外だ。

俺が驚いていると、タオさんはおかしそうに笑い、俺の肩を叩いた。

何がそんなにおかしいのか、俺にはさっぱりわからない。


「そんなの決まっているじゃないか。お嬢だよ。市子嬢。後にも先にも、ケイちゃんの一番はお嬢って決まっているんだよ」

「え?小林が市子を?もしかして、昔は片思いだったとか言わないでくださいよ。俺にはそんなところ全く見せなかったのに」


もしそうなら、小林と今後どう接したらいいのか迷う。

市子と小林の間にはそんな雰囲気は一切見られなかった。

俺が見た限り、だけれども……。

すると、タオは少し呆れた表情を見せた。


「恋愛感情だけが人を守りたい理由になるわけじゃないだろう。ケイちゃんのそれはたぶん、恋心ではなかったと思う。もっと壮大で、底抜けた感情。何て言えばいいのかアタシにもわからないけどさ、アタシには一生、お嬢に勝てないって思ったんだよ」


その言葉を聞いて、俺も少しだけ考えを改めさせられた。

確かに俺の中にも恋愛感情で語れない何かがある。

家族として姉貴や晴香を守りたいと思ってきたし、里奈や涼子、大村さんのことだって放っておけなかった。

守ってやりたい。

そういう感情は芽生えたが、そこに恋愛感情があったかと聞かれれば、それは違う気がした。


「でもさ、よく考えたら、最初から勝つ必要はなかったんだよ。ケイちゃんはお嬢を守る。だからアタシはケイちゃんを守る。たったそれだけで良かったんだ。だから言ったんだ。ケイちゃんを幸せにさせてほしいって。お嬢が一番で構わないから、アタシをケイちゃんのそばにいさせてよって」


そばにいたい。

その感情は俺にもよくわかっていた。

俺も市子に対して同じような感情を抱いていたからだ。


「大事なのはさ、自分が誰に愛されることなんかじゃなくて、自分が誰を愛したいかなんだ。誰の幸せを願うのか、誰を幸せにしたいのか、与えたいと思う感情の方が大事だったんだよ。アタシはそれに気づいて、正直にケイちゃんに伝えた。そしたら、俺は一番にお嬢を守る。タオちゃんのことは一番にしてあげられない。それでも、俺の隣にいてくれるなら、全力で愛せると思うって言われた。アタシはそれだけで充分だったよ。よく、欲のない女なんて言われるけど、そうじゃない。アタシは誰よりも欲深い女だよ」


タオさんはそう言って笑った。

彼女の笑顔はいつもきれいで、汚れたものなんて一つも見たこともないような顔だった。

でも、本当はそうじゃない。

この人も人並みの苦労をしてきて、思い通りにならないこともたくさんあって、それでも自分の目指す先を見失わなかったから、こうして笑えているんだ。

俺も思わず顔がほころんでしまった。


「小林も調子のいいこと言いますね。愛せると思うって、そこははっきり愛すって言えばいいのに」

「それは違うよ、土方さん」


俺の言葉にタオさんは瞬時に否定した。


「ケイちゃんが断定しなかったのは、ケイちゃんが誠実だったからさ。ケイちゃんは曖昧なことは言わない。無責任なことはしない。だから、あの時はケイちゃんのその時の思いだけ伝えたのさ。そこから数年間付き合って、最終的にアタシを奥さんに選んでくれた。アタシはそれだけで充分なんだよ」


俺はつくづく女心というものがわかっていなかったようだ。

俺の思う表面だけの男らしさと、タオさんの思う本質的な男らしさとは違う。

断定した言い方が、逆に不誠実を招くこともあるのだ。

俺も市子にあんなに啖呵を切っておいて、救ってやれなかったら目も当てられないだろうな。

タオさんの方がよっぽど男という生き物を理解しているように思えた。

すると、やっと小林も目を覚ましたのか、テーブルの上をもぞもぞと動いて顔を上げた。

そんな小林を見て、タオは嬉しそうによだれを垂らした口元を拭いてやる。

やはり二人は夫婦なのだなと思った。

あまり遅くなっても悪いと帰る準備を始めると、小林が送ると言い出した。

せっかくの夫婦水入らずに申し訳ないと思ったが、小林も家に戻るのだそうだ。


「タオさんと一緒に帰らなくていいのか?」


俺は帰り道に小林に尋ねてみた。

すると、小林ははっきりと答えた。


「住んでいる場所は別なんすよ。奥さんつっても入籍してないんで」


俺はその言葉に驚いた。

なかなか感動するエピソードをタオさんに聞いた後なのに、まさかの未婚だったとは。


「ほら、俺、こういう身分じゃないですか。お嬢の護衛だし、いつ死ぬともわかんねえ。籍なんか入れて、厄介事にタオちゃんを巻き込んでも申し訳ねえし、この形が一番いいって思ったんすよ」


それは俺たちヤクザのあるあるなのかもしれない。

暴力団の親族ともなれば、タオさんにとっても生きづらい結果になる。


「けど、もし子供ができたら、一緒に暮らすつもりなんす。やっぱり子供の顔は毎日見たいもんすからね」


その言葉を聞いてさらに驚いた。


「お前、子供作るつもりなのか?」

「あったり前じゃないっすかぁ。男に生まれてきた以上、死ぬまでに自分の子供の顔見たいって思うもんでしょう?兄貴は違うんすか?」


逆に尋ねられ、戸惑った。

まだ、完全に市子と結ばれていない以上、そんなことを考える余裕はなかった。

しかし、結婚ともなれば当然、そういう話になる。

今まで一度も自分の子供なんてことは考えたことがなかったから、即答できなかった。


「最初は女の子がいいっすよねえ。やっぱタオちゃん似のかわいい女の子。そしたら、毎日すっ飛んで帰りますよぉ」


小林は想像しているだけで嬉しそうだった。

そんな小林がどこか羨ましい。

俺たちはまだそのステージには全く立てていないのだ。

今後立てるかもわからなかった。


「なあ、小林」


そんな妄想にふけっている小林に俺は声をかけた。


「なんでお前は市子を一生守ろうと決めたんだ?お前は市子を守るために小野組に入ったんだろう?」


その質問に小林は即答しなかった。

無表情のまま少し考えて、ううんとうなりながら頭をかく。


「俺の家は昔から貧乏で、家に誰もいなかったし、俺、結構荒れてたんすよ。金の稼ぎ方も知らなかった頃は、腹がすけば店のものを平気で盗んでたし、見つかればボコボコにされてやした。警察の厄介になることも常で、そんな生活に慣れきってたんすよね。中学に上がってからは、カツアゲしたり、喧嘩したりして臨時収入を得て生きてた感じです。ここに来る以上に、人間の生活をしてなかったと思いやす。正直、高校に行く金もなくて、中卒で適当に働くかと思っていやしたが、先公に勧められて、結局地元の公立に入ることになって、でもやっぱり馴染めなくて、喧嘩ばかりの生活を送ってやした」


想像以上にひどい生活だったのだなと思った。

小林の日頃の生活態度を見れば、育ちがいいとは思わなかったけれど、そんなレベルの話ではなかった。

両親はどうしたのかと聞きたい気持ちになったが、里奈の時のことを考えても、両親がいるからといって子供の面倒を必ずしも見るとは限らないのだ。

暴力をふるう親もいれば、いないもののように放置する親もいる。

それが悲しい現実だった。


「そんな時、お嬢に会ったんすよ。お嬢はまだ小学生で、ランドセルを背負ってて、でもどこか大人びてやした。その時の俺もやっぱり暴れてて、その勢いでお嬢にも怪我させそうになって、すぐに組のもんに見つかりやした。お嬢に危害を加えたとなれば、俺もただでは済まされない。だから必死に抵抗したんすけど、お嬢は俺の拳に全くおびえる様子もなく、まっすぐ俺の目を見て、懐に近づいて、平手打ちをかましてきたんす。もう、あれはびっくりしやした。そんな小学生、今まで一度も見たことないっすからね。その後に俺は奴らに捕まって、締め上げられるところをお嬢に救われやした。体裁は既に加えたのだから離してやれと。お嬢はいつだって、自分の責任は自分でとっていたんす」


その話を聞いて、なんていう小学生なんだと思った。

普通、暴れている高校生を見れば、逃げるしかできない。

自分の身を守ることを最優先し、関与しないことを選ぶだろう。

後のことは護衛のものに任せれば良かったのだ。

だが、市子はその場から離れることはせず、暴れるものに対して自分から向かった。

そして、そうすることで二次被害を生み出さないようにしたのだ。

護衛のものに託せば、小林はひどい処罰を受けていただろう。

それすらも小学生の市子は理解し、対処していたことになる。


「組長の孫なんて聞いていたから、どんな優遇を受けているのかと思ってやしたが、案外あっさりしたもんで、お嬢に対して誰も優しくはなかったっす。お嬢も俺と同じ孤独な人間なんだとその時理解したんす。それまでの俺は生きる理由もなかったですし、やりたいこともなかった。自分が何のためにここに存在して、辛くて痛い世の中を生きているのかわからなかったんすよ。けど、もし、目の前のとんでもない小学生を本当の意味で守ることができるなら、俺にも生きている価値があるんじゃないだろうかって。お嬢を守ることを俺の生きる理由にしたんす。そんなこと、お嬢に言ったら怒られそうなんすけど、俺は後悔したことはないっす。俺の主がお嬢で良かったって今でも思ってやすよ」


小林はそう言って、照れくさそうに笑った。

俺は小林の話を聞いて、どんなふうに受け止めればいいのかわからなかった。

俺が市子を守りたいと思う気持ちとは違うけれども、それに負けないぐらいの思いが小林にはあったのだなと理解した。

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