第111話 パチンコ屋に連れて行かれる
鉄矢は朝から美味しそうにプリンアラモードを食べていた。
こちらの世界に来て、こんな平和な朝を過ごすのは初めてかもしれない。
こうしてコーヒーを啜りながら、のんびりと新聞を読んでいると、まるでカタギに戻ったような錯覚を覚えそうだった。
「そういえば、土方の兄貴。今度から街金に回されるんですよね」
その言葉を聞いて、俺は一瞬コーヒーを吹き出しそうになる。
せっかくの平穏な朝が台無しだ。
「そうみたいだな。やっと飲食に慣れてきたのに、このタイミングで別部署かよとは思うけどな」
俺はついつい目の前の男に愚痴をこぼした。
鉄矢はなんとなく、そういうことが話しやすい雰囲気を持っているのだ。
「まぁ、兄貴がやりすぎちゃったからですよ」
「俺がやりすぎた?」
鉄矢の言葉に驚いて、俺は聞き返した。
「兄貴が必死なのはわかります。市子お嬢のために早く実績を上げて、安心してあげたいですもんね。でも、この世界では実力者はすぐに潰しにかかられるんですよ。そういう人間が不都合な奴はたくさんいますから」
それを聞いてなんとなく納得した。
それはきっとこの世界に限った話ではない。
カタギの頃から仕事ができるやつは周りからやっかまれた。
稼げる社員がいることは会社にとって良いことのはずなのに、人の感情とは複雑なもので、近くにいる人が優秀であればあるほど、そいつを失敗するように仕向けるのだ。
それは会社の利益以上に、自分の立場を守るための行動だろう。
実際に俺の元会社も同じようなもので、その勝負に勝ったものが役職を与えられ、負けたものは万年平社員か、心身を疲弊して退職に追い込まれるという流れだ。
要は俺もその負け組だったということになる。
「だからって手を抜くわけにはいかないだろう。稼がなきゃ、俺なんてすぐに処分されちまう」
俺は皿の上のサラダを頬張りながら答えた。
俺だって波風立てずに平穏に暮らせるならその方が良い。
けれど、今、俺がいる世界はそんな甘いものではなく、ましてや特別扱いして昇進してきたようなものだから、全力でやるしか道はない。
「そりゃそうですけど……。まぁ、街金行っても気を抜かないほうがいいですよ。あそこには前の部署以上に山南さんの手が回ってますから。特に松原課長は気をつけたほうがいいです。彼、組織の見えないところでいろいろやってるみたいですから」
「いろいろ?」
顔を近づけてこっそり話しかける鉄矢につい聞き返してしまった。
「噂では横領してるって聞きました。けど、証拠が見つからなかったので、処分されることはなかったようです。その松原課長と結託していると言われているのが、谷さんです。二人で資金ためて、別組織に入るなんて噂もされていて、とにかく気をつけたほうがいいです」
なるほどと俺は頷く。
あっちの世界もなかなか複雑なようだ。
とにかく俺としては余計な人間とは関わりたくないというのが本音だった。
「じゃぁ、俺は誰の言うことを信じればいいんだろうなぁ」
俺のぼやきに鉄矢は瞬時に答える。
「街金なら武田さんに頼ったらいいですよ。武田さんは頭もいいし、温厚ですから、きっと土方さんの力になってくれます」
武田さんかと俺は名前だけでも覚えることにした。
鉄矢がここまで自信を持って言っているのだから、本当に頼りになる人なのだろう。
そして、そんな事を考えていると、ふとある人物の顔が浮かんだ。
「そういえば、お前に兄ちゃんいたよなぁ。会計部課長の。お前の兄ちゃんもあの年で課長なんだから、相当やりてなんだろう?」
鉄矢は兄の名前が出た瞬間、表情を曇らせた。
そして、気まずそうに話し始める。
「さぁ、オレら、孤児院で別れた時からあんま会ってなくて、兄さんは仕事で忙しいみたいだし、オレには興味ないって感じです」
鉄矢のその『孤児院』という言葉が気になったが、そこはデリケートな部分だと思い、質問するのはやめた。
兄弟だからって、必ず仲が良いとも限らない。
それを鉄矢自身がどう思っているかはわからないが。
すると、鉄矢は話を切り替えるように、慌てて話題を変えた。
「それより、土方の兄貴。これからどうしますか?せっかくの休日なんだから楽しまなきゃ」
「楽しまなきゃって、何していいかわからねぇから困ってんだろう?」
俺がそう答えると、鉄矢は伝票を手にして立ち上がった。
「なら、パチンコ行きましょう」
「パチンコ!?」
予想していなかった言葉に、俺は大声を上げた。
パチンコなら昔、何度か通っていた時期はあるが、それも十数年前だ。
最近はめっきり行っていないし、どんな筐体があるかもわからない。
もしかしたら、システムも変わっているかもしれなかった。
「いいじゃないですか。面白いですよ、パチンコ」
彼はそう言って俺の腕を引いた。
俺も渋々立ち上がって、鉄矢の言う通りにする。
そしてこの店の支払いはなぜだか鉄矢が率先してやってくれた。
年下に奢られるのは何年ぶりだろうか。
久々のパチンコ店は耳がちぎれるんじゃないかと思うぐらいうるさかった。
電飾もチカチカと光っていて、相変わらず賑やかな場所だ。
鉄矢は俺に何かを話しかけているようだったが、よく聞こえず、俺は大声を上げながら鉄矢に耳を近づける。
「よく当たる筐体知ってるんですよ。そこに行きましょう!」
彼はそう言って俺の腕を引く。
俺は抵抗するのも面倒になって、そのまま彼について行った。
しかし、彼の目指した筐体にはすでに他の誰かが座っていて、使えそうになかった。
しかも、座っているやつはなかなかガラの悪そうな男だ。
「仕方ない。他の筐体行こうぜ」
俺がそう言ってその場を離れようとすると、鉄矢は俺から手を離し、男へとまっすぐに近づいていく。
そして、ためらうことなく男に話しかけた。
「その筐体、オレが使いたいんだけど、どいてくれる?」
いきなり何を言い出すのかと内心焦った。
当然、話しかけられた男も不快そうに顔を上げる。
「なんで俺が――」
「何度も言わせんなよ。席変われってんだから、変われよ」
鉄矢の後ろ姿からとてつもないどす黒いオーラが流れているのがわかった。
男の顔もみるみる表情を変えて、ちっと舌打ちすると慌ててカードを取り出して移動し始める。
席が空いたのを確認すると鉄矢はこちらに振り向いて、俺に席を譲った。
「兄貴。席空きましたよ」
「いや、それ無理やり空けさせたんだろう。俺はいいから、お前が使え」
俺はそう言って、隣の席に座った。
その席の筐体がなんのアニメなのかゲームなのかよくわからなかったが構わなかった。
パチンコなんてそんなもんだ。
俺は久々のパチンコに戸惑っていた。
すると鉄矢が横からあれこれと手順を教えてくれる。
一通り形になったら、俺はゲームを始める前にタバコを吸おうと胸ポケットに手を回したが、ここがすでに禁煙で、喫煙席が別にあることを思い出した。
今じゃ、玉の管理もデジタル化だし、俺の知っている常識はもはや常識ではないのだなと思い知らされた。
久しぶりに始めて、そんな簡単にフィーバーが来るはずがない。
俺の玉は時間とともに順序よく消えていった。
そんなもんだろうと思いながら、横にいる鉄矢を覗いてみると見事なヒットの連続ですごいことになっていた。
そんな光景を唖然と見ている俺に鉄矢は笑顔で言う。
「だから言ったでしょ?よく当たるって」
よく当たるって言ったって、そんなに始終当たるシステムになってないだろう、それ。
そう思いながら呆れて見るしかなかった。
鉄矢がフィーバーが続いていても、俺のキリがいいところで止めて、すぐに席を立った。
そして、再び笑顔で提案してくる。
「今度は競馬に行きましょう。馬はいいですよ、馬は!」
そして今度は俺を競馬にまで誘おうとしていた。