第107話 バリ式メンズリラクゼーション『スルガ』
俺たちはひとまずカウンターの裏に折りたたみスツールを広げて向かい合わせに座った。
この店の受付担当が彼しかいないからだ。
彼曰く、ここ数年、定休日以外に休みをもらったことはないらしい。
休み時間も基本はないらしく、客がいない時間帯が休み時間という認識らしい。
だから俺が店に入った時も、彼はカウンターの裏で雑誌を読みふけっていたということだ。
客を無視するわけにもいかず、俺たちはこのカウンター裏で話をすることになった。
裏社会の働き方改革は全く進んでいないことがわかる。
「もぉ、最悪っすよ。最近の客はホント質が悪くて、うちの店の子を大金はたいて買おうとするんすよ。大金つっても、10万ぽっきり。それでもあの子たちにとっては大金ですからね。一回相手するだけでそれだけもらえるなら、そりゃOK出しちゃう子もいますよ」
男はふんふん鼻息を鳴らしながら話していた。
男が怒るのも当然だ。
売春は法律で禁止されていて、この店でも本番禁止の厳しい掟がある。
それを分かった上で個人的に女の子たちに金をちらつかせて誘い、ルール違反をさせようとする客がいるのだ。
店の中でばれないように行わせる客もいれば、わざわざ別の場所へ行って行為をさせる客もいる。
デリヘルなどでそういった行為を強要しようとする客が多いのは知っていたが、むしろこういう場所で女の子を品定めして、改めて誘い出すケースも増えているらしい。
それを聞くだけで俺は頭痛がした。
「おかげでうちの店もトラブルだらけで、先月も子供ができたって大騒ぎになったんすよ。父親が誰かも言わないし、ありゃ絶対客を相手した時の子っす。これじゃあ、仕事できないっつって、こっちが中絶費用を出して対処したんすけど、こんなん頻繁に起きたら身が持ちませんよ。中には緊急避妊薬を欲しがる子もいやすし、どんなに厳罰にしても、やる子はやるんすよ。医療費は本人の借金としてうちの組が貸し出してやすが、いつ返せるやら。おかげで夜逃げする子まで出てきちゃって、てんやわんや!うちみたいな店は従業員を確保するのがめちゃくちゃ大変なんすよ。女の子不足で店が回らないし、客足も途絶えるし、俺はどうしたらいいんすかねぇ?」
どうしたらいいかなんて言われても、正直困る。
風俗店という性質上、こういった問題はついて回るだろう。
しかし、シノギの業務の一環として需要がある限り辞めるわけにもいかない現実がある。
とにかく今は、この最悪の状態を打破しなければならない。
この店が潰れれば、冗談抜きで目の前の男は責任を負わされるだろうし、俺の経歴にも傷がつく。
今の俺にはそんなちょっとした傷すらも命取りだった。
「ひとまず聞くが、避妊具はちゃんと用意しているのか?」
俺はひとまず男に尋ねた。
すると男はにこやかな顔で瞬時に答える。
「あったりまえじゃねぇですかぁ。大容量のお買い得パックを買って、家に常備してありやすよ」
「いや、お前の個人的な話じゃなくて、この店に常備してあるかって聞いてんだよ」
ってか、なんだよ、そのお買い得パックって。
どれだけ元気なんだよと心の中でひそかに突っ込んでいた。
「あるわけねぇっすよ。ここは本番禁止なんすよ。そんなもん置いてたら、いつでもやってくれぇって言ってるようなもんじゃないっすか。矛盾してやすよ」
俺は男の疑念に対して首を振った。
「そうじゃない。まずは彼女たちにその意識をさせることだ。仕事だけじゃなく、プライベートでも妊娠を望まないなら避妊具を使う。相手にもよりけりだから、男女両方用意して、店の経費で無償で提供しろ」
「無償って、タダってことっすか!?」
男は驚いて声を上げる。
こういう時、どうして会社ってのはけち臭いのか。
「そうだ。そのぐらい必要経費だろう。それで少しでも女の子たちの性病や望まぬ妊娠が避けられるのなら安い話だ」
まだ、男は納得していないようだったが、「そうですけど」と小さな声で呟き、一応受け入れる様子だった。
「それと医者の往診を頼め。できれば、1ヶ月に1回が望ましいが、できないなら3ヶ月に1回でもいい。低用量ピルの処方、性病の検診、健康管理など定期的に見てもらえ。そうすれば事前に問題を回避することが出来る」
その俺の提案に男は今までで一番の大声を上げた。
店中に響いたのではないかという大声だったので、男自身が慌てて自分の口を抑える。
「医者って、マジで言ってんすか?うちのような店に来てくれる医者なんて、闇医者ぐらいしかいないっすよ。あいつらいくらこっちに吹っ掛けてくると思ってんすかぁ。避妊薬なら裏から手配したのを飲ませればいいじゃないっすか。わざわざ往診させなくても」
男は小声ながらも必死で抵抗してくる。
「ダメだ。本人に合わない避妊薬を渡したって、辛くなって飲まなくなるのが関の山だ。ちゃんと医者に相談して、本人に合った薬を処方してもらえ。それに、中には服用を忘れる子もいる。そうなるとむしろ妊娠しやすくなるケースもあるから、管理はあくまで店側で行う。正直、強制はできないから、任意で行うしかないけれど、こっちが医療費負担するって言えば、承諾してくれる子も増えるだろう?」
俺の言葉に段々反抗できなくなったのか、最後は不満そうな顔のまま黙り込んでしまった。
そして、俺のアドバイスに対して気になる点に関して聞いてきた。
「なんで、にぃさんはそんなことに詳しいんすか?実はそんななりして女だとか言わないっすよねぇ」
「そんなわけねぇだろう。俺の姉が昔、生理のことで悩んでたんだよ。月に一回ぐらい体調不良起こしてて、病院行ったらPMSだって言われた。その日から医者の処方する低用量ピルを飲み始めて、少しだけ楽になったみたいなんだよ。俺にはよくわからねぇけど、あれは精神的にも来るらしいからな。店の子たちはみんな、金に困ってんだろう。体の不調を起こしたって、病院に行く暇も金もない。だからこそ、余計にこんなことが起きる。彼女たちにしっかり働いてもらいたきゃ、その辺の費用を渋るなよ。今は働いてくれる子を確保することが何よりも難しいことなんだから、今いる子を大事にしろ」
さすがに姉の実体験の話をすると、男も何も言い返せなくなったようだ。
しかし、往診にはかなり金がかかる。
男の独断ではどうにもならない範疇だから、上に話してみて検討してもらうと答えた。
本当にこういう時の上下関係の厳しさが厄介だ。
「よく考えりゃ、店の子も、月に1回ぐらい機嫌の悪い時があるんだよなぁ。女は気分屋だから、そんなしょっちゅう機嫌を悪くするんだって思ってやしたけど、案外、そのPMS?の関係だったかもしれんすねぇ。ここに来る客が男しかいないから、女側の事情なんて考えたことなかったっす」
まあ、そうだろうなとどこかで納得していた。
経営者とはつい収入の源である客に目が行きがちだが、結局働いて金を稼ぐのは従業員だ。
俺の元の会社もそんな感覚がなかったから、俺たちは毎日馬車馬のごとく働かされていたのだと思う。
昔は働き手も多くいて、給料も安く済み、人材がここまでの値打ちが出るとは思わなかったのだろう。
それでも今の経営面での問題点にこの人員不足は根深い。
特にこういった商売ならなおさらだ。
「こんな言い方はしたくないんだが、自分とこの商品ぐらい大事に扱え。お前ら、それで商売してんだろう?」
男はその言葉に最初こそきょとんとしていたが、目に鱗が落ちたといった顔で感激の声を上げて答えた。
「さすが、にぃさん。今後とも頼りにしてやす!!」
これで少しでも店がよくなればいいのだが。
店を出るとき、店内の衛生面だけでも徹底しろと指摘して出て行った。