第106話 メンズキャバクラの店長に感謝される
予想通りというか、予想以上というか、この店の経営管理は杜撰だった。
穴だらけのシフト。
予算以上の支出額。
食材費も一般的な価格で取引しており、これでは儲けが出るはずもない。
店長は俺の後ろで、気まずそうな顔で俺を見ていた。
「店長!」
俺が店長を呼ぶと、彼は肩を跳ね上げ、甲高い声で返事をした。
「はいっ!」
「今までこの管理で誰にも何も言われなかったんですか?店を回すのがやっとで、全然予算管理出来てないですよね。リーズナブルな価格で提供したい気持ちはわかりますが、これではいくら店を回したところで儲けなど出るはずがありません」
そう答えると、店長は苦い顔のまま、ぽつりぽつりと白状し始めた。
「うちはもともと、ホストクラブだったんすよ。けど、メインキャストが他の店に取られて、ホストキャバクラに落とすしかなくなって。他の店と競争しようって思ったら、もう値段下げるしかねぇじゃないですか。時間もねぇし、金もねぇ。なんとかこれでやっていくしかなかったんすよ」
店長の話を聞いて、俺はメニュー表を眺めながら頭を掻いた。
店長の言いたいこともわかる。
ホストクラブのような店は、人気ホストがいて初めて成り立つものだ。
売れ筋キャストがいなくなった以上、店をたたむか、質を下げるしかない。
店長がそうせざるを得なかったのは理解できるが、それでもこれはもはや運営ができている状況とは言えなかった。
潰れるのも時間の問題だろう。
「まずはメニューから考え直してみてはどうですか?新しいメニューへ少しずつ移行して、値段を少しずつ上げる。ここに来るのはほとんど女性客です。なので、値段を上げてでも写真映えを意識したものにした方がいい。一番の問題は缶チューハイをそのまま提供していることです」
俺の提案に店長は理解はしているものの、やはりどこか腑に落ちない様子だった。
「それはわかってんすよ。けど、うちは裏方が少ない。缶チューハイをグラスに注ぐ暇もねぇですし、その使ったグラスを洗う時間もないんすよ」
その話を聞いて、俺はうぅんと唸りながらも考える。
そして、一つの答えに当たった。
「キャストの一部を裏方に回しましょう。一人の顧客に一人のキャストを置くのではなく、新規客には複数であろうと単独であろうと、メインキャストを一人置く。この店は基本的複数で訪れる新規顧客が多いです。最初から複数で相手する必要はないはずです。ヘルプは裏方に回って仕事を手伝ってもらえば人員不足は解消します」
「けど、それじゃぁ、客が文句言いやしませんか?ホストクラブならキャストが複数つくのが基本ですし」
そこが元ホストクラブ経営者の盲点だと思った。
それはホストクラブの常識であり、格下げされたホストキャバクラの常識ではない。
「ここに来るほとんどの新規顧客がホストクラブには入りづらい、素人ばかりです。そこに着目して文句を言う客は少ないでしょう。それに、俺はずっと一人で相手しろとは言っていません。最初はメインとヘルプの二人で案内し、ヘルプが客に注文を聞く。その時に店のおすすめなんかを紹介するのもいいですね。そして、注文を受けたら、自分が作るなどと言って、裏に向かいます。本来キャストが裏方をすることはないのでしょうが、ここは親近感が売りなのでしょう?庶民的ないい男と楽しく酒を飲む場所。なら、家飲み感覚でキャストが飲み物を用意したとしても違和感はないと思います」
店長は俺の話を聞きながら、感心したように相槌を打っていた。
「特に自分の得意なドリンクを客に案内すれば、客も断りづらく、ひとまずそれを注文するでしょう。最初のうちはメインキャストが複数相手をしても高揚感からか退屈にはならない。そこで裏方と協力してヘルプがドリンクを作り、持っていく。それだけでも話が弾む可能性があります」
「なんか、メイド喫茶みたいっすね」
店長のボヤキのような言葉に、まさにと指さした。
「そう。ホストキャバクラは、ホストクラブとメイド喫茶の間の感覚であればいいんです。とにかく親近感を売りに出すことが大切。それと指名料ですが、これに関してはもう少し値段を上げても大丈夫です。ナンバーを注文する客は金に余裕がありますし、ない客は最初から指名しません。この店、極端に指名する回数少ないですよね」
「……なるほど」
「とにかく客の滞在時間を増やしてください。時間を忘れるくらい楽しんでもらうことが大切です。そう考えると、店の中ももう少しすっきりさせた方がいい。集客のためにイベントを催すことが多いようですが、その度にグッズを買っていては意味がありません。常連客にも新鮮味を感じてほしいという意図はわかりますが、今や負の在庫となっています。留意する点は、同じ人が同じ服を着ないこと。そして、気になるようならアレンジを加えさせること。そして、イベントはキャスト内でも競争させて、顧客を一人でも確保できるように努力させることです。イベントも回数をこなせばいいというものではありません。少ない予算の中で顧客にどれだけ喜んでもらうかを考えるべきです」
俺の提案に店長は唖然とするしかなかったようだ。
きっとこんなアドバイスは今までされたことがなかったのだろう。
吉村のやり方を見た限り、激励の言葉を掛けながら、とにかく管理費を払えと脅していただけだとうかがえる。
「それと店長。あなたはあまり店に出ないように。そして他のスタッフにもっと自主性を持たせてください。全ての指示を店長が出していたら、彼らは自分の頭で考え、行動しようとはしません。自ら考え、動くからこそ達成感を感じ、仕事にも意欲を感じるものなんですよ」
その最後の言葉に店長はついに泣き出してしまった。
本当にこの人は追い詰められていたのだろうなと思う。
泣きつかれるのはいいのだが、俺のシャツにべったりと涙と鼻水をつけるのだけは勘弁してほしかった。
そして、粗方俺が提案できる対策を伝えた後、俺は店を出ることにした。
今後、この店がどうなるかはわからないが、あの後ろでただ聞いていた店長がメモを取り出したのだから、それだけでも進歩だと言っていいだろう。
そして、次の指定場所に向かってから、俺は慌てて吉村に電話を掛けた。
店の名前からして嫌な予感はしていたのだが、これはもはや飲食店ではない。
吉村は4コール目でやっと電話に出た。
「土方君?どうした?仕事は順調?」
吉村の気楽そうな声が俺を余計に苛立たせた。
「順調?じゃないですよ。俺の担当は飲食経営の店舗じゃなかったんですか?三軒目の店、完全に風俗店ですよね。バリ式メンズリラクゼーション『スルガ』って書いてますけど、いかがわしい店ですよね」
それを聞いて、吉村ははははと笑い始めた。
「ああ、それねぇ、原田さんに頼まれたんだよぉ。僕もね、土方君にはまだ早いって言ったんだけど、これも大事な経験だからって。まぁ、要領は一緒だからさ。頑張ってよ」
吉村はそう言って一方的に電話を切った。
俺は唖然としながら、ビルの三階にある店の窓を見つめた。
本当にあんな場所に行くのかと思うと気が引ける。
おそらく原田の思惑は、元カタギの俺にはやりづらい仕事を経験させて、早めに音を上げさせよう、もしくは精神的ダメージを与えようとしているのかもしれない。
確かにシノギといえば、こういった店が多いのは知っていたが、今の俺にはなかなか酷な場所だ。
経営にアドバイスするどころか、店に入るのも憚られた。
しかし、ここで逃げるわけにも放り投げるわけにもいかず、俺は覚悟を決めて階段を上がり、店の扉を開く。
最初に見えたのはカウンターでだるそうに雑誌を読む、明らかにこちら側の若い男の姿だった。
「お客さん、初めて?とりあえず、ここに名前と住所を」
男はそう言いながら、決められた紙を俺に差し出して書かせようとしていた。
なので、客ではないとはっきり告げた。
「俺は吉村さんに頼まれてきた、小野組の土方だ。今日は客として来たわけではない」
俺の言葉を聞いて、男はあんぐりと口を開けてこちらを見ていたが、次第にその表情を変え、あわあわと震えながら俺に飛びついてきた。
「にぃさん、待ってたんですよぉ。マジ、困ってて。このままじゃ俺、殺されます。売り上げ不振で、東京湾に沈められちまいますよぉ!!」
来た早々から騒がしい男にげんなりとさせられた。
俺はとんでもない店をつかまされたようだ。