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第103話 伊東さんの過去を知る

「俺は別にお前を歓迎しようなんてこれっぽっちも考えちゃいねぇ。けどなぁ、山南みたいに何が何でも小野組をものにしようとも思っちゃいねぇんだ。今や、若頭っちゅうでっけぇ立場になっちまったがよ、俺は他ん奴らみたいにのし上がってやろうなんて気はさらさらなかったんだよ。気が付いたらこの立場に落ち着いてた。って、そんな感じだ」


伊東さんは乾いた笑いを浮かべながら、手に持っていたお猪口を口に運んだ。

普通の人間は上を目指そうとしない限り、組のトップ2である若頭になんてなれるものではないのだがと思いながら俺も酒を口につけた。


「こりゃ、昔からの話でな。俺は物心ついた頃から負け知らずだった。勉強も運動も勝負事なら何でもだ。俺に出来ないなんて言うものなんて何もなかった。手先も器用でな。周りからは嫉妬もされたけどよ、同じぐらい慕われた。俺は昔からそういう他人のやっかみってやつか?そういうのに興味がなくてな。そいつが俺をどう見ようが構わなかったんだ。けどな、期待という感情だけはどうしても好かんかった。俺はこういう人間だからよ、親には大層期待されたんだよ。やれ、いい学校に入れ。やれ、いい成績を残せ。何でも言われた。そうでない俺を否定するかのように、親はなんだって要求してきた。俺はそれがたまらんくてな。大学受験の時、とうとう親に手を上げちまった。気が付けば半殺しよぉ。目の前にボコボコにされた親を見た時、俺はもうここにはいられねぇなって思ったんだよ」


そのあまりに常人には思えない話に俺は何と答えていいか分からなかった。

負け知らずの完璧な少年。

それゆえに親から過剰に期待され、それがエスカレートしていく。

そして、気が付けば、ストレスの原因と思われる両親を殴り倒していたなんて話を、こんな平然とした顔で話せるのは伊東さんぐらいだろうと思った。


「いやぁ、我慢ってのはやっぱり体に悪いんだな。俺はその日から自分を抑え込むのを辞めた。片田舎から都会に来て、食う場所も寝る場所もなかったからよぉ。適当な奴から拝借してやったのよ。適当って言ってもあれだぞ。カタギとは違う、チンピラみたいなやつからだ。こんなに暴力ってやつが使えるとは、この日まで俺は知らなかった」


伊東さんはそう言いながら、口元は笑っていた。

この人はやはり普通ではない。

むしろ普通の感覚では、こんな大きな組織のナンバー2なんてものにはなれないのだ。


「それからはそれをあてに金を稼いで、生活した。殴って金を奪い、脅して立場を得た。けどなぁ、そんな生活もずっとは続けられなくてよぉ。ついに小野組に目ぇ付けられちまったのよ。さすがに俺も剛腕の男たち数人を相手するのは骨が折れてよ、最後は親父の前に引きずり出された。俺はそん時、初めて心の底からの興奮を覚えたんだよ。俺を本気でここまでコテンパンにしてくれた人間が今までいなかったからよ、嬉しくて。上がもっとあると思うと、わくわくした。そんな俺に親父は言ったんだ。お前はこっちの世界にいるべき人間なんだってな。そう言われて、初めて俺の中に何かストンと落ちるものがあってな、ああやっぱりあの世界は俺の住むべき世界じゃなかったんだなって思ったんだ」


伊東さんは昔を思い出すように深く息をついた。

その目は遠く先を見つめ、意識はここにないようだった。


「俺の実家はよぉ、そこそこの資産家で、俺は何不自由せずに育ったんだよ。必要なものは何でも買い揃えられ、必要な教育はなんでも習わせてもらった。だからこそ、俺には人並み以上の力が付いたんだと思う。けどよ、ずっと何かがしっくりこなかったんだよな。自分の存在はここにいるようでいない。ほら、童話であっただろう。ガチョウの子だと思ったら、本当はカモの子だったって」

「いや、それアヒルの子だと思ったら、白鳥の子だったって話ですよね」


俺はひとまず伊東さんの間違いを訂正した。

せっかくの思い出話に水を差しはしたくなかったが、ガチョウとカモというのがどうしても気になった。

それはどこから出た発想なのだろうか。


「そうそう、白鳥だ。俺の場合は、白鳥なんつぅ奇麗なもんじゃなかったけどな。組に入って、俺は俺らしくいられるようになったのよ。最初は以前のように腕力にものを言わせて稼いでたんだがよぉ、どうもその稼ぎ方は効率が悪くてな。もっと楽なやり方はないかと試行錯誤してたらよ、見事に当たって実績も上がって、当時の兄貴たちによく気に入られたもんよ。そんなのもあっという間だったなぁ。俺の上の代は潰し合いもひどくてよ、すぐに上が据え変わっちまうんだ。俺も上が変わるたびにルールが変わるのが面倒でよ、なら俺がなっちまうかと思ってたら、気づけば俺の横に立つ奴はいなくなってた。親父から正式な若頭の座をもらって、数十年間やってきた。親父も歳だ。代替わりの時期も近づいて、また跡目争いなんて物騒な時期に入っちまった。そんな矢先にお前の乱入だろう?久々に俺の胸は高鳴ったぜ」


伊東さんはにやにやと笑いながら俺を見て、無理やり肩を組んできた。

腕だけしか乗っていないというのにやけに肩が重い。

俺は伊東さんの胸を高鳴らせても嬉しいことは何もないのだが。


「最初は女の為に敵陣に飛び込むなんてよ、なんちゅう馬鹿な男かと思ったがよ、お前の言葉を聞いて少し考えを改めた。お前の覚悟がそこいらの短慮な野郎どもとは違うってな。お前は残りの人生かけてここにやってきた。きっかけが自分の父親にあったにせよ、お前は命かけてやってきたんだ。それに答えてやらんのも粋じゃねえと思ってな、俺はお前をライバルとして受け入れることにしたんだよ。俺はなぁ、敵が多いほど興奮する男だ。俺の下でひれ伏す人間よりもなぁ、俺の行き先を阻む人間の方が好きなんだよ。だってわくわくするだろう。だから勝負事は辞められねぇ」


まるで壮大な賭け事でも始めるかのような言葉だった。

これから始まる勢力争いにそんなにわくわくされても俺は困る。

明らかに山南には嫌われているし、俺の未来は前途多難だ。

生きて来年を迎えられるかも保証はない。


「まぁ、今は俺よか山南の方を気にした方がいいかもな。山南は、何が何でも次期組長の座を狙っている。最初は俺よか潰しやすいお前に仕掛けてくると思うぜ。あいつにとってお前は目の上のたんこぶでしかないからなぁ。とっとと処分しちまいたいんだろう」


処分なんて物騒な言葉を使うなと思った。

しかし、確かに山南なら俺をいともあっさり知らない場所で処分してしまいそうだ。

俺はためらいながらも、覚悟を決めて伊東さんに聞いてみた。


「伊東さんは、その、同じではないのですか?若頭まで上り詰めたんです。その先に行きたいとは思わないんですか?」


俺の質問に伊東さんは一瞬沈黙し、ゆっくりと顎をさすった。

俺の言いたいことを何か察しているのかもしれない。

伊東さんはこういう豪快な人でもあるが、どこか慎重な面も見え隠れしていた。


「そうだな。興味はある。だが、俺の意思は基本、昔と変わっちゃいねぇ。めんどくせぇ奴が俺の上につくってんなら、俺は全力でそれを阻止する。俺はただめんどくせぇ縛りが嫌いなんだよ。もう辛抱は辞めるって話したろう。だから俺は山南に長の座を譲る気はねぇんだ。あいつが組長なんてなってみろ。今以上の掟に縛られて生きていくことになるじゃねぇか。そんなの我慢ならねぇ」


伊東さんの考えは案外シンプルだった。

自分の認める相手が上に立つなら邪魔する気はない。

しかし、都合の悪い奴が上がるぐらいなら自分が立つ。

彼はそういう人なのだ。


「だからよぉ、土方。お前はまず己の実力を提示しろ。お前が組長としてふさわしい人間なのか。上に立つ人間として尊重できる人間なのか。俺に見定めさせろ。もし俺がお前にそんな価値はないと判断したら、そん時は俺がお前を全力で引きずり降ろす。それがこの世界ってやつだ。お前も腹をくくってかかれよ」


伊東さんはそう言って俺に親指を立てて見せた。

腹をくくれと言われても、俺にはどうしていいか分からない。

ひとまず頑張りますとは答えてみたものの、俺には俺ができることしかできないのだ。

そもそも上に立つべき人間とは何なのだろうか。

今の小野組にとって、次期組長に伊東さん以上にふさわしい人がいるようには見えない。

それでも俺は、黙って伊東さんを組長の座に上げるわけにはいかなかった。

そこには市子の運命もかかっているから。

伊東さんは俺の肩を豪快に叩いて、「まぁ頑張れよ」と言った後、徳利を持ってどこかに行ってしまった。

俺もこの場所に座っているだけでも気疲れして倒れそうなので、席を外すことにした。

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