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第101話 親子の盃を交わす

ついにその日が来た。

関東統和会(とうわかい) 小野組の総長、小野業道(なりみち)と俺、土方敏郎の親子盃の儀式だ。

場所は神楽坂にある高級料亭の一室。

この日は料亭の半分を貸し切り、その中でも一番豪華で広い座敷を借りた。

上座にある床の間には巨大な神棚が飾られ、部屋の端には漆塗りの座卓と座椅子がずらりと並んでいた。

幹部会の時よりもずいぶん座席数が多いと思ったら、今回の出席者は立会人だけでなく、傘下の他の組の組長たちまで招待客として呼ばれているのだ。

つまり、小野組は関東の巨大組織、「関東統和会」を率いる本家であり、小野組の最高位である業道は正式には組長ではなく、総長にあたる。

そういえば、誰かが組長を呼ぶとき、総長と言っていた気もした。

小野組が巨大な組織であることは知っていたが、ここまでとはさすがに背筋が凍る思いがした。

俺はとんでもないところに属してしまったらしい。



儀式は厳粛な空気の中で始まった。

進行役は事務局長の直属の部下で、小野邸の小姓である市村鉄矢の兄でもある、会計部課長の市村辰矢だった。

彼はまだ若く、ヤクザのような威圧感は全く感じず、むしろカタギと言われても疑わないほどだ。

山南の事務所に行った時も感じたことだが、今の裏社会は案外カタギと見分けがつかなくなっているのかもしれない。

わかりやすい暴力を振るう輩も減り、雰囲気もとても静かに感じた。



市村の合図とともに、俺は中央に用意された座席へ向かう。

俺が所定の場所につくと、それを合図に市村が厳粛な面持ちで一同に深く頭を下げて、口上を述べ始めた。


「本日、小野組の新たな礎を築く御盃事を、皆様にご立会いの栄を賜り、誠に光栄に存じます。これより、関東統和会 小野組総長、小野業道様と、土方敏郎氏との親子の契りを結ぶ儀を執り行わせていただきます」


市村の合図とともに周りにいた一同が一斉に起立し、会場の神棚に向かって一礼した。

そして、着席する。

この時、上座に座る総長と俺とが迎え合わせに座る構図となった。

そして総長と俺の間に位置取った進行役の市村が、介錯を始めた。

市村が朱塗りの盃と銚子を手に取り、定められた作法で盃に日本酒を少量ずつ注ぐ。


「これより、親子の契り、三三九度の盃を交わしていただきます」


市村はまず総長に盃を差し出し、厳かに告げた。


「一献」


総長が盃を受け取り、一口飲む。

そして市村はその盃を総長から受け取り、次に俺に差し出した。


「二献」


今度は俺が盃を受け取り、一口飲む。

再度市村は盃を受け取り、もう一度総長に差し出した。


「三献」


最後に総長が盃を受け取り、一口飲み、市村は静かにその盃を回収した。


「これより、親役の小野業道総長より、子役の土方敏郎氏へ、口上が述べられます」


市村の言葉で次の親子の口上が始まる。

総長はその鋭いまなざしを向けたまま、俺に向かって儀式的に口上を述べた。


「土方敏郎。本日より、我の、そして小野組の末席に連なる子として迎え入れる。これよりは、我を親とし、組の掟を重んじ、忠誠を尽くすことを誓うか。

また我は、そなたを子として、組を束ねる者とし、その身の安全と行く末を見守ることを誓う。しかし、もし組の掟に背き、道を踏み外すことあらば、親として厳しく罰することも辞さない。この盃に誓う、我の言葉に偽りなし」


その口上に答えるように俺も続けた。

これは島田さんに教わった形式的な言葉だ。


「小野業道総長。この土方敏郎、本日より総長を親とし、小野組の一員として、その身命を賭して忠誠を尽くすことを誓います。

総長のご命令は、いかなる時も絶対と心得、組の繁栄のため、いかなる苦難も厭いません。この盃に誓いし、我が言葉に偽りございません」


口上を終えると進行役の市村が回収した盃を木の板に打ち付けるように二つに割った。

朱色の漆塗りの木製の盃にはもともと中央の裏手に細い溝が彫られていて、薄手でもあり、簡単に割れる構造になっていた。

これはこの関係が永遠に続く願いを込めたものであり、見世物のようなものだった。


「これにて、親子の契り、永久に変わらぬ証といたします。」


その割れた盃を総長、そして立会人たちに見せた後、用意された布に丁寧に包まれた。

そして、閉会の辞が述べられる。

市村が再び一同に頭を下げ、儀式が滞りなく終了したことを告げるのだ。


「これにて、小野業道総長と土方敏郎氏との親子の盃の儀、滞りなく相済みました。皆様、誠にありがとうございました」


その言葉を合図に一同が起立し、再び神棚に向かって一礼した。

これにて儀式は終了となる。



俺は中央から離れて、再び末端の席、下座の席へ戻った。

そんな俺に市子が目配せをしてきた。

俺は心配ないと目線を送る。

すると、若頭の伊東さんがみんなに向かって声を上げた。


「これにて、総長と敏郎氏との親子盃の儀、滞りなく相済んだ。総長に深く感謝申し上げると共に、この新たな縁に心より慶賀の意を表したい」


そして、若頭は他の幹部と招待客を宴に招くため立ち上がった。


「これよりは、隣室にて酒食の席を設けている。どうか、楽しんでいってほしい」


そのタイミングで各々が立ち上がり、進行役だった市村がすぐさま組長に駆け寄った。

そして組長だけは別室へと案内される。

俺はそれを見て、島田さんに話しかけた。


「総長はどちらへ?」


すると島田さんが耳打ちするように俺に答えた。


「別室で休んでいただきます。総長もお歳です。こういった行事の合間には休憩を挟んでいただくようにしているのです」


なるほどと島田さんの言葉に納得した。

俺が下座でくすぶっていると、それを見かねた伊東さんが声をかけてきた。


「主役が来ないでどうする。酌してやるから、早く来いよ」


俺は一度伊東さんの方へ体を向けた後、深く丁寧にお辞儀をした。


「ありがとうございます。しかし、少しばかりお時間をいただけませんか。俺にはまだやることがあります」

「え?」


その言葉に一番に反応したのは市子だった。

伊東さんも俺の意図に気が付いたのか、数秒黙った後、頷いてみせた。


「わかった。待っている」


そう言って彼は踵を返して部屋を後にした。

俺はそんな伊東さんの後ろ姿を見送った後、市子の顔を見て答えた。


「市子にもついてきてほしい」


市子は訳が分からないといった様子だったが、素直に承諾してくれた。

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