第100話 俺のすべきことに気が付く
「じゃ、さっそく土方君も仕事始めようか」
吉村の言葉に俺の心臓はどきんと鳴った。
ついに俺も手を汚す日が来たようだ。
本来なら犯罪になんて手を染めたくない。
けれど、今の俺にはそれから逃れるだけのスキルがなかった。
俺は奥歯をぐっと食いしばりながら、吉村の後をついていく。
そして辿り着いた場所は、あるキャバクラの更衣室だった。
しかもボーイなどが使う男性用更衣室ではない。
キャバ嬢が着替えや準備などをする、女性用の更衣室だ。
なぜ俺がこんな場所に来させられたのかわからないまま、一人のキャバ嬢の前に座らされる。
俺の後ろにはニヤニヤと笑う吉村が腕を組んで立っていた。
一体、これはどんな状況なんだろうか……。
そして、キャバ嬢は豪快に足を組み、縦ロールの髪を指でくるくるとさせながら俺に話しかけた。
「あたし、独立したいんだよねぇ」
急に何を言い出すんだと俺は顔をしかめる。
さらに言えばここは彼女が勤めるキャバクラで、周りには同僚のキャバ嬢も当然のようにいた。
女優鏡の前で化粧をする人もいれば、俺たちがいても気にせず堂々と着替えだす人もいた。
ここはもう完全にカオスだ。
「独立?とりあえず理由を聞いてもいいかな?」
俺は無理やり笑顔を作り、目の前のキャバ嬢に尋ねる。
すると、彼女は相変わらずやる気のないような声で話し始めた。
「別に、この店が嫌ってわけじゃないんだよ。たださ、なんとなく自分の店が持ちたいっていうか、もっと自由にしたいんだよね」
俺にはもうこの女が言っていることはさっぱりわからなかった。
別に勤め先が嫌じゃないならこのまま働けばいいじゃないかとも思う。
しかし、人にはそれぞれ事情があるのだろう。
俺はひとまず黙って彼女の話を聞いた。
「ここの内装、完全にママの趣味じゃん。あたしはさ、もっとおどろおどろしい雰囲気の店にしたいんだよね。ライトは骸骨と蝋燭デザインで、ドレスは黒限定でさ、ソファーなんてところどころ擦り切れてたりしてさ、マジエモいよね」
いや、そんな場所で誰が癒されるんだよと思いながらも、少数派ではあるがそういう趣味の人もいるかもしれないと必死に自分に言い聞かせた。
さらに彼女は興奮した様子で話し始めた。
さっきまでけだるそうに髪をいじったり、爪で遊んだりしていたが、今は少しだけ前のめりだ。
「でさでさ、メニューも凝ってみたりして、目玉と脳みそをモチーフにしたオムライスとか作っちゃって、映えるっしょ!他にもさ、カエルの死体が浮かぶカクテルなんてデザインしてさ、バズること間違いなしじゃない?」
バズるというより、炎上する方が早いような気もするが、今の若い人の好みなんて俺にはよくわからないから完全否定もできなかった。
しかし、基本的にキャバクラに通う男なんて、大半がおっさんだろう。
おっさんがそんなグロテスクキャバクラに行くだろうか?
俺は興奮気味の彼女を落ち着かせるように掌を見せた。
「まあ、落ち着こうよ。店を出すにしたって、簡単な話じゃないんだよ。お金もいるし、この界隈で店を出そうとすればコネクションもいる。準備がとてもかかるんだ」
そう言えば、彼女みたいな若者はすぐに面倒だとか言って諦めるだろうと思った。
実際にお金もいるだろうし、世話になった店のライバル店という形になるのだから、経営も簡単ではないだろう。
すると、彼女は不快そうな顔をして、カバンから棒付きのキャンディーを取り出しなめ始めた。
真剣な話をしているはずなのに、なぜ彼女は脈絡もなくお菓子を食べ始めたのか意味が分からない。
「だからさ、それを何とかしてほしくて、あんたたち呼んだんでしょ。あんたたちに頼んだらどうにかしてくれるって聞いたし」
誰が言ったんだよ、そんな話と心で叫びながらも、後ろでニヤつく吉村の顔を見た。
おそらくは吉村たちの顧客を増やすために、甘い話を持ちかけたのだ。
どこまで悪党なのだと責めたくなった。
しかし、今はそれよりも彼女に現実を見せる必要があると思った。
これはそんなに安易に手を出していい話ではないのだ。
「一応聞くんだけど、自己資金はいくらぐらい出せそうなの?」
俺がそう尋ねると、彼女は再びカバンに手を突っ込んだ後、俺に掌を差し出した。
掌の中にはクシャクシャになった千円札と538円分のコインがあった。
それで店を開けるわけがないだろう。
俺は大きくため息をついて、再び彼女の顔を見た。
これで本気で店を出そうとしているなら、すごい度胸の持ち主だ。
「最後に確認させてほしいんだけど、君が今抱えている顧客の数とその頻度を教えてほしいんだ。店を出すにしたって、客がいないと成り立たないだろう?」
俺の言葉に初めて納得したのか、彼女は目の前で指を折りながら、答え始めた。
「本指名してくれる太客は大体10人ぐらいかな。基本あたし、ヘルプだし。やばい客が一人いるけど、まあ、そんな感じ」
俺には水商売というものがどういうものかは知らないが、それは全く話にならないんじゃないだろうかと思った。
人気のあるホステスなら、100人、200人いて当たり前ってところだろう。
どうしてこのレベルで彼女は店を出そうなんて思ったのだろうか。
経営にでも興味があったのだろうか。
女子高生だけでなく、今の若い女子の考えていることが俺には全くわからなかった。
「それってキャバクラである必要ある?コンセプトカフェだっけ?そういうのでよくないかな?」
俺がそう提案すると、彼女は腑に落ちたのか、「ああっ」と声を上げて俺を指差してきた。
「それありかも。ガールズカフェならやりやすいっかもね。マジさえてんじゃん、おじさん」
「おじさん」という言葉に何か引っかかりを覚えたが、俺はその点については何も答えないことにした。
それにキャバクラであろうとガールズカフェであろうと、今の彼女が店を出せるわけがない。
それに飲食店ともなると資格も必要だ。
彼女にそんな知識もないだろうし、資格なんて持っているとは到底思えない。
俺はひとまず話だけ聞きましたよという形だけ見せて、席を立とうとした。
「その話は追々していこう。まずは具体的に自分が何をしたいかを明確にし、それに必要なものを揃えるところから始めた方がいい。俺たちから多少の資金援助があるからといって、その金額だと難しいからね」
こういう顧客は話さえ聞けば、ある程度満足するものだ。
金にならない話になってしまい、後から吉村に怒られるのではないかと心配になった。
彼女は本当に満足したのか、俺に手を振って「またね」と叫んでいた。
最初の顧客がこれだと思うと、先が思いやられる。
店を出て、俺は一呼吸置いた。
二人っきりになったら、吉村に何を言われるのだろうと不安になっていたのだ。
しかし、反応は俺の予測とは反していた。
彼が俺の背中を思い切り叩き、笑いながら言った。
「さすがだな、土方君。原田さんからは元営業マンだって聞いてたけど、想像以上だったよ。顧客にも随分気に入られてたみたいだし、才能あるんだなぁ」
ここでその才能を発揮するのもどうかと思ったが、ひとまず責められずに済んで良かったと思う。
それに今回こそ、この程度で終わらせても問題なかったと思うが、これが続くとさすがに怪しまれると思った。
しかし、俺は人を騙して金を得るような仕事はしたくない。
「その、やっぱりああいう顧客にも斡旋した方がよかったんでしょうか?断ったのはまずかったですか?」
すると吉村はきょとんとした顔を見せた。
「そんなわけがない。今の客はどう見たって利益は見込めなかっただろうし、お嬢ちゃんにとってもその判断で正しかったと思うぞ。それに今はヘルプ要因でも、今後はわからないからな。人気キャストになって、また店出したいっていうかもしれねぇだろう?」
吉村の答えは意外だった。
何でもかんでも話に乗ればいいというわけでもなく、吉村自身、彼女に店を持たせるのはよくないと判断していたのだ。
もっと冷酷で自分の利益しか考えないのがシノギの仕事だと思ってきた。
「僕たちにとっても顧客は大事な存在だよ。むやみに潰そうなんて思うはずがない。お互いにウィンウィンの関係になるためにも俺たちが助言や手助けするのは当然だ。彼らにはバンバン稼いでもらって、俺たちもバンバン儲ける。それが理想ってやつだろう?」
俺はその話を聞いた瞬間、合点がいった。
以前藤堂が言っていた通り、この世界は結果が全てなのだ。
その過程が吉村のように非合法なやり方じゃなくても結果さえ出れば誰も文句は言わないのだ。
この時やっと自分がここで何をすればいいのかわかった気がした。