第1話 女神から神託を下される
俺は夢の中にいた。
微かに真上から女性の囁く声が聞こえる。
それは心地の良い綺麗な声だった。
「敏郎……、敏郎……、目覚めるのです」
女性の声に反応し、俺はゆっくりと瞼を開いた。
気が付けば、自分の身体が宙に浮いた状態で横たわっていた。
周りはまるで雲の中にでもいるかのように、淡い光に包まれている。
「敏郎。これは天命です。あなたが次に恋をする相手は、運命の人。その人との恋を成就させ、この世界の危機から救うのです」
次に恋をする相手が運命の人。
そして、その恋を成就させて世界を……ってどういうこと?
俺はその瞬間、身体を起こし、そして周りをきょろきょろと見渡した。
よく目を凝らしてみると、奥で女性らしき人が卓上マイクを使って話しかけている。
完全に興ざめだ。
俺はそのままその女性に向かって歩き始めた。
女性は俺が近づいていることにも気が付かず、再びマイクに向かって語り始めていた。
「敏郎。これはあなたにしか出来ない使命なのです。そう、あなたの行動によって世界の運命は決まるのです。どうか、敏郎、世界の為に――」
熱弁をふるっていたその女性は、やっと俺の存在に気が付いたのか、驚いてその場で腰を抜かした。
長い金髪の綺麗な女性だった。
年齢は不明だが、恐らく未成年ってことはないだろう。
俺に見つかるとは思わず、女性はその場で慌て始めた。
そして、なぜか逆ギレを起こし、睥睨した状態で俺に指を指して叫んでくる。
「わ、私は女神だぞ! もっと敬いなさいな。頭が高いわよ!」
自分を女神だと宣言した挙句、頭が高いとか本気で言っちゃうこんな偉そうな人を俺は初めて見た気がする。
怒らせてもめんどうなので、ひとまずその女性の前に胡坐をかいて座った。
「ちょっと質問したいんだけど、いいかな?」
俺が聞くと、彼女はむっとした顔をして腕を組んだ。
「だから何度も言うけど、私は女神だぞ。質問に答えて欲しければ、敬語を使いなさい。それと、私の事は必ず女神様と呼ぶように! わかったか?」
ものすごく偉そうな《《女神様》》だったが、俺はとりあえず従うことにした。
「さっき天命がどうだこうだとか俺に言ってましたけど、あれはなんなんすか?」
よくぞ聞いてくれたと、少し嬉しそうな顔をして女神様は答える。
「お前は今から一人の女に恋をする。それがお前の運命となる相手だ。その相手の心を掴み、その恋を成就した時、世界は崩壊から免れ、救われるのだ」
「そこですよ、そこ!」
俺は女神様に指摘するように言った。
そこ?とよくわかっていない女神様が、辺りを見渡していた。
「そうじゃなくて、俺の恋の成就が、なんで世界崩壊の危機から救われるんですか? 全然繋がらないでしょ、それ!」
「し、知らないわよ。私だって上司に言われただけで――」
女神様は勢い余って口にしてしまったらしく、慌てて口を手で押さえた。
上司って神様の世界にも会社みたいな上下関係があるのかよ。
話しを改めるため、女神様はその場で咳払いをした。
「とにかく、あなたの恋を実らせないとヤバいのよ。どういう仕組みになってるのか、私も管轄外だからわからないけど、とにかく困るの! 私が怒られるの!!」
女神様の中で世界の崩壊よりも、自分の立場の崩壊の方が危機らしい。
それはいいとして、もう一つ重要なことを言っておかなければならなかった。
「まあ、それは深く追求しないとして、問題は俺の年齢なんですよ。俺、土方敏郎は既に42歳。立派な中年なんすよ。中年のおっさんが、恋を実らせるとか、その辺の学生じゃないんだから、そう簡単に行かないんですよ」
俺は真剣に話しているつもりだったが、目の前の女神様は必死で顔を袖で隠して笑っている。
「ひ、土方敏郎……。新選組の土方歳三と一文字違いなのに、全然、残念な、じゃなくてイケメンとは言い難い顔。超、可哀想なんですけどぉ」
俺はものすごくイラっとしていた。
これは同じ名前で名前負けさせまいと、両親が気をきかせて一文字だけ変えたのだ。
願わくは、彼のように男前に生まれてきて欲しかったのだろうが、自分たちの容姿も考慮した上で期待して欲しかった。
とは言っても、目の前の女神様は人の容姿を貶し過ぎだ。
そもそもそんな残念な容姿の俺に、この歳で恋を成就させろと無理強いを言っているのはそっちだろう。
俺は訴えてやりたかったが、これは夢の中。
しかも目の前にいるのは女神様だ。
文句を言ったところでどうしようもない。
「ま、確かに学生とは違うけれど天命が下っているのだから、その相手が運命の人には違いないわけよ。だから、細かい事なんて考えていないで、とにかくぐいぐい行きなさい!」
先輩が後輩にアドバイスするように女神様は俺に助言する。
話し方も完全にフランクになって、女神らしさの欠片も残っていなかった。
「で、世界の崩壊って何ですか? 大地震が起きるとか大津波が来るとか、隕石が降ってくるとかそんな感じですか?」
女神様はその質問を聞いて、ゆっくり首を傾げた。
そしてそのまま俺に背中を向けて、後ろに置いてあった書類に目を通し始めた。
今更詳細の確認とか明らかに遅いでしょう。
天界って俺らの現実より随分緩いんだなと羨ましくなった。
しかし、結局わからなかったのか、資料をそのまま後ろの方へ投げて、またまた咳払いで誤魔化していた。
「と、とにかく人類を脅かす危機なのよ。敏郎は恋を実らせることに集中させる! これでいいでしょ?」
半分投げやりの女神様。
いいわけがない。
「ならせめて、その運命の人とやらがどこの誰かくらい、教えてくださいよ。闇雲にアプローチするわけにもいかないでしょ?」
「だからぁ、細かい事は私に聞かないでって! 敏郎が次に会った時、いいなぁって思う相手なんじゃないの? 運命の相手なんだから会ったらわかるでしょっ!」
そんな適当でいいのかと心配になった。
世界の危機だぞ。
人類からしたら大問題だ。
それを会えばわかるとか、アバウトな説明だけで重荷を背負わされるこっちの身にもなってほしい。
しかも、この歳で恋愛とか本気で自信ない。
正直、35歳越えた頃から、そっち方面は完全にサボっていたし、若い頃みたいに女子に気軽にアプローチとか出来なくなってきている。
男にだって適性年齢というものがあって、そこそこモテるのは30代半ばまで。
しかもエリートだとかお金持ちだとか、そんなスキルがあればモテるが、俺はしがないサラリーマンだ。
出世の兆しも見えない平社員横滑りの会社員風情に振り向く女がいるとは思えない。
簡単に思えて、これはものすごく難しいミッションなのだ。
そんなものに世界の未来を託さないで欲しい。
気が付けば、女神様は散らかした資料を懸命に集めて、遠くへと逃げていっていた。
俺はそれを呼び戻そうとしたが、声は届かず、気が付けば目が覚めていた。
タイミングよく、携帯のアラームが鳴った。
これは悪い夢なのだと思い、携帯に手を伸ばしてアラームを切った。
その時、手のひらに何かが書かれているのがちらりと見える。
見てみると『GOOD LUCK BY 女神』と油性ペンの太文字で書いてあった。
残念ながら、あれは夢ではなかったらしい……。