第28話 外伝:子供を授かるということ①
季節が巡って、ある晴れた春の日。イヴォンヌはいそいそと夫の姿を探していた。
このところ、ギルバートは、友人のアーサーの頼みで外に用事があるらしく、家を空けることが多い。絵を描くために温室に行く回数が減っている。もっとも、前より温室に行かなくなった理由は別にある。イヴォンヌと本当の夫婦になったことで、元の元気を取り戻し、少しずつ外の世界に触れるようになったからだ。
ギルバートが本来の姿を取り戻しつつあるのを見て、イヴォンヌにとって、毎日が新しい発見と驚きに満ちていた。思ってたよりも彼はもっと快活で、笑顔が素敵で、少し悪戯っぽいところもある。日々の触れ合いで思わずドキッとすることも珍しくない。そんな矢先のことだった。
「ねえ、ファーガソン。ギルバート様はいつお帰りになるかしら?」
「サリバン様のところへ行ってますから、用事が終われば30分もせずに戻ってくると思いますが? お急ぎのご用事ですか?」
「いえ、別に急ぎではないの。ただ……ちょっと……。ごめんなさいね。私ったら落ち着きないわね」
恥ずかしそうな笑みを浮かべるイヴォンヌに、ファーガソンも笑顔で答えた。
「いいえ。仲がよろしいのは結構なことです。そろそろ愛称で呼ばれたらどうですか? いつまでも『ギルバート様』じゃ堅苦しいのでは?」
「このままでいいの。私にとってはいつまでも尊敬するお方だから」
夫婦共通の友人であるスタンレー夫人が愛称の「ギル」を使っているのは知っている。どうやら、前妻のクララの影響らしい。でも、イヴォンヌにとっては別に気にならなかった。呼び方が何であれ、ギルバートが自分の隣にいてくれればいい。それだけで心が満たされる。
ギルバートが帰ってきたのは、夕方近くになってからだった。色々込み入った話をしてきたらしく、玄関の扉を開けて入ってきた時は疲れた顔をしていたが、イヴォンヌの姿を認めるとぱっと笑顔になった。
「ただいま、愛しい人。今戻ってきたよ」
「お帰りなさい。あのね、話があるの。ちょっといい?」
イヴォンヌは、もじもじと体を揺らして夫を出迎えた。ギルバートは、ファーガソンに手伝ってもらいながら外套を脱ぎ、不思議そうに妻を見つめる。
「どうしたんだい、イヴォンヌ?」
「詳しく話しますからお部屋の方に」
二人は、リビングの椅子に座って向き合う形になった。ファーガソン夫人がお茶を用意してくれるが、手をつける気配もない。イヴォンヌは、何度も深呼吸をしてから言葉を切り出した。
「あのね、先日お医者様に来てもらったでしょう?」
「ああ、ちょっと体調が思わしくないって……。あれからどう? 良くなったかい?」
「ええ、一応……。いえ、良くなったわけじゃないんだけど、原因が分かったの」
妻の奇妙な回答に、ギルバートは心配そうに眉をひそめた。
「一体どういうことだ? まさか――」
「もったいぶってごめんなさい。心配するようなことじゃないから。あのね、どうやら妊娠したらしいの」
ギルバートが本気で心配する前に、イヴォンヌは早口で結論を言った。あんなに気を揉んでいたのに、伝える時は一瞬だ。予想もしてなかった話に、ギルバートは目を丸くして固まった。
「何だって? 妊娠した?」
「ええ、体調不良の原因はつわりだって。病気じゃないから心配しなくていいけど、しばらくは社交を控えようと思う――」
ギルバートがどんな反応をするか分からなくて、イヴォンヌは、そっと夫を垣間見た。彼は、しばらく固まったままだったが、徐々に平常心を取り戻して妻に向き直った。
「そうか……赤ちゃんが……」
「あなた、どう思った?」
「どう思ったって?」
「その……、前はなかなかできなかったとおっしゃってたではありませんか。それで今回私が……。単純に喜んでいいのかな、って」
イヴォンヌが落ち着かなかった原因は正にこれだった。お互い初めてなら、戸惑いつつも素直に喜びを噛み締めることができただろう。しかし、ギルバートは、前妻のクララとの間に子供ができなくて苦労した経験がある。それなのに、クララを差し置いて、自分があっさり妊娠するのが許されるのかと考えたのだ。
「なんだ、そんなことを心配してたのか。おいで、愛しい人」
ギルバートは、優しくそう言うと、イヴォンヌを自分の隣に座らせそっと抱き寄せた。
「イヴォンヌは優しいね……。いつだってクララのことを心配してくれる。それは、すなわち、私を気遣ってくれるってことだろう? でも、そこまで気にしなくていいんだよ。こっちはこっちで、あなたに負担をかける方を心配してしまうんだ」
ギルバートは、そこまで言うと、イヴォンヌの頭に軽くキスをして更に続けた。
「赤ちゃんができたことは純粋に嬉しい。でもそれ以上に、あなたの体が心配になる。知ってるように、妊娠出産というのは、母体にかなりの負担がかかる。産後の肥立ちが悪くて身罷った人も少なくない。そんな、最悪の事態を持ち出すのは極端だけど、最愛だからこそ気になるんだ。元気な子供を産んでほしい。でも、それ以上に、あなたには無事でいてほしい」
静かな口調ながらも、真剣な祈りのようなものが込められていた。かつて最愛の人を亡くしたギルバートだからこそ、二度と同じことを繰り返してほしくない気持ちが強いのだろう。イヴォンヌは、そんな彼の心情を思って涙が出そうになった。しかし、ここではぐっと堪え、彼の体に手を回して抱きしめ返した。
「ええ、私、あなたを悲しませたくない。元気な赤ちゃんを産んで、いつまでも末永く幸せに暮らしますから。だから応援してね」
そう言ってから、二人はいつまでもぴったり寄り添っていた。
次話で完結となります。最後までよろしくお願いいたします。
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