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散る季節

作者: 毛利鈴蘭

 人は散り逝く紅葉や桜に心癒され、眩く光を放ちながら燃え尽きて逝く流星に心奪われる。しかし、そのどちらを取ったとしても死の瞬間を目の当たりにしているに過ぎない。

 なるほど。そうか、人は命尽きる瞬間が好きなのか。それなら、誰からも愛されない俺も、死ねば人々は心動かされ、涙するのではないか。

 俺がそう悟ったのは、つい先日のことであった。

 前々から勘付いてはいた。この世界に俺の居場所は無い。学校でも家でも、俺は邪魔者でしかないのだ。そんな俺を受け入れてくれる場所があるとするならば、天国か地獄か、或いはもっと別の場所か。無論、受け入れられる保証は何処にも無いが、それでも此処よりかは希望があっていい。死を希望と呼ぶ事に、理解を求める気は毛頭ない。ただ、見切りを付けたこの世界よりも、未知の世界に惹かれただけだ。


 俺は今、廃ビルの屋上の縁に立っている。眼下では濁った空気の中、多くの人々が忙しなく往来している。しかし、俺はもうそんな雑踏に息が詰まる思いをする事は無い。誰からも干渉されない世界は、あと僅か一歩を踏み出すだけで手に入るのだ。

 そして俺は最後の一歩を踏み出すべく、ゆっくりと視線を足下へ移し、美しくもない町並みをこの瞳に焼き付ける。

 ふっ、と吸い寄せられる様な感覚に思わず仰け反ってしまった。

どうしたものか。もう未練など無い筈なのに、どうして怖いのだろう。高所に恐怖を感じる事は、落下する事によって生じる死という現象を恐れている事に他ならない。これから、今正に、この廃ビルの屋上から飛び下りようとしている俺が、何故恐怖を感じるのか。

 否、そんな筈は無い。俺に未練は無い。死をもって俺は、新たな世界へ旅立つのだ。そして、出来る事なら俺が死んだ後の、皆の様子を少し見てみたいだけ……。

 この世界との別れを前に、愁いを帯びていた時だった。嗄れた声が突然、俺の背後から襲いかかってきた。

「ちょいと、お兄さん」

 俺は瓢箪(ひょうたん)から駒が出たのを目の当たりにした様に驚き、思わず足を踏み外しそうになった。

「うわっ! 危ねぇ!」

 俺は思わず叫んでいた。咄嗟に振り向き顔を上げると、まるでぼろ切れの様な黒のローブを頭からすっぽりと被った老婆が立っている。

 俺は老婆をキッと睨め付けると「危ないじゃないか!」と改めて怒鳴りつけた。

 するとローブから僅かに覗く皺だらけの口許が不適な笑みを浮かべ、俺に言葉を返す。

「おやおや、不思議な人だ。飛び下りて死のうとしていたんじゃ、なかったのかい?」

 俺は何も言い返せなかった。

 確かに俺は死のうとしていた。言い換えれば、それは死を望んでいたという事になる。つまり、今驚いた弾みで足を踏み外し、落ちたところで俺は当初の目的を達成した事になり、この老婆は怒鳴りつけられる言われは無い――筈だ。

 だが、やはりそれでは腑に落ちない。俺は咄嗟に、思いつく限りのそれらしい理由を考え言い返した。

「俺は自分のタイミングで飛び下りたいんだ! 邪魔をしないでくれ!」

 よし。我ながら上手い事言うじゃないか。

 俺はこの咄嗟の言い訳の上手さに満足していた。そう、老婆がこんな風に切り替えしてくるなんて、思いもしなかったのだ。

「お兄さん。実は此処、私の店の一角でねぇ。勝手に飛び下りられちゃ、困るんですよ」

「はぁ?」

 面食らった俺は思わず間の抜けた声を上げてしまった。この廃ビルの屋上が自分の店だと? 何を言っているんだ。馬鹿にするのも大概にして欲しい。

 しかし、老婆は戸惑う俺を余所に話し続けている。

「詰まる所、此処から飛び下りるのも、タダってわけにはいかないんですよ」

「ふざけんな!」

 またしても不適な笑みを浮かべる老婆に、俺は怒鳴りつけていた。

 此処から飛び下りるのに、金でも取るとでも言うのだろうか。冗談じゃない。普段は無気力な俺だったがこの時ばかりは頭にきた。

 老婆はそんな俺の様子もお構い無しに、まだ淡々と話し続ける。

「お兄さん。どうせ死ぬのなら、ちょっとこの薬を買ってみないかい?」

 薬だと? どうせ自殺するのだったらその前に麻薬でも買えとでも言うのか? そうか、なるほど。この老婆は麻薬の密売人なのか。それならこんな人気の無い、廃ビルの屋上に店を構えていても不思議ではない。

 冷静さを取り戻した俺は老婆の話を少し真剣に考えてみた。

 今まで真面目に生きてきたのだし、死ぬ前に麻薬も悪くはない。しかし、死のうとしていた俺にそんな金は無かった。

「それ、いくらなんだよ。麻薬って高いんじゃ……」

 そう言いかけた時だった。老婆がローブの袖口から、一本の試験管を取り出した。

「麻薬? 私ゃそんな物売っちゃいませんよ」

「え?」

「それに、金なんて要りませんよ。この薬はあなたの持っている、ある物を代金とさせて頂きます」

 訳が分からない。ほんのりと青みがかった試験管の中の液体は、確かに見た所麻薬では無さそうだ。しかし、それなら一体何の薬だと言うんだ。それに金ではなく、ある物って何なのか。

 考えていても埒が開かない。俺は、単刀直入に聞き返す事にした。

「その薬は何なんだ? それに代金のある物って……」

 俺が最後まで言い切る前に、老婆は口を開いた。

「この薬は、これからしようとしている行動をとった時の、未来を見せてくれる薬なのです。代金は、あなたのポケットに入っている物ですよ」

「それは即ち、自殺した後の未来が分かるという事なのか?」

「ご理解がよろしい様で」

 老婆は口の端を吊り上げて答えた。

 実際に死なずとも、死んだ後の結果が分かるなんてなんともご都合主義な話の流れだが、これ程おいしい話は無い。しかし、俺のポケットにそんな価値のある物が入っていただろうか。

 俺は慌ててポケットの中を探ってみた。しかし、入っていたのは小銭が数百円程度と遺書だけで、特にこれと言った物は出てこなかった。

 俺は戸惑いながらも、その数百円を差し出す。

「これだけしか無かったけど」

 すると老婆は、俺が差し出した数百円を一瞥すると「金は要らないと言った筈ですが」と押し返した。

 しかし、俺には他に代金として渡せそうな物は無い。どうしたものかと戸惑っていると、老婆が口を開いた。

「お兄さんが今握り締めている、その遺書を代金として頂きたい」

「え!」

 俺は思わず裏返った声をあげてしまった。

 遺書が欲しいなどとは予想外だった。しかし、こんなもので薬を貰えるというのなら安いものだ。俺は遺書を老婆に渡し、薬を受けとった。

「毎度あり」

 老婆がまた嫌らしく笑う。

 俺はそんな事を気にも留めずに試験管に口を付け、一気に飲み干した。すると急激な眠気に襲われ、俺はその場に倒れ込む様に眠りについた。


 気が付くと俺は、雲の中を泳いでいた。

「あれ? ここは何処だ?」

 何気無く呟いてみると、嗄れた声が何処からか返って来た。

「此処は夢の中です」

 さっきの老婆の声だ。

「これから暫くの間、もしあなたが死んでしまった時の未来を、夢の中で見る事になります」

 なるほど。これが薬の効果か。そう理解するや否や、突然風景が変わり、読経が木霊してきた。

 此処は……俺の家だ。真っ黒な礼服を纏った親族や、制服を着た学友達が参列している。そして、誰もが俯いていた。

 そうだ。これが俺の望んだ結果だ。これなら安心して死ねる。

 そう思った時、また風景が変わった。

「此処は、学校か」

「葬儀後二日目の学校です」

 きっと皆、俺の死を悲しんでいるに違いない。そう思って学友達の表情を盗み見る。

しかし、誰を見ても普段と変わらぬ能天気な顔をしている。

 皆、悲しいのを押し殺しているのだろうか? 一輪の花が挿された花瓶が置いてある、窓際の空席に目を向けながら考えてみた。

 そしてまた風景は変わる。

 見慣れた俺の家のリビング。いつもと違う点があるとすれば、小さな仏壇がある事くらいだ。俺の仏壇を前に、なんとなく手を合わせてみる。なんだか変な気分だ。

 ふと、家族が心配になった。母はもしかしたら泣き崩れて寝込んでしまっているんじゃないだろうか。父は自分を責めているんじゃないだろうか。考えれば考える程、不安が募る。

 丁度、両親はリビングで朝食を食べている所だった。俺は恐る恐る二人の表情を伺った。が、俺の心配とは裏腹に普段と変わらない、何事にも無関心な顔をしている。

 これは一体どう言う事なのだろう。いくら俺に関心が無かったとは言え、一人息子が死んだのだ。少しくらい悲しい表情を見せても良いのではないだろうか。

 俺はこの非情な両親に憤りを感じた。

「やっぱりそうか! おまえらは俺の事なんてこれっぽっちも考えてないんだな! あーそうかい! とっとと死んでやる!」

 大声で怒鳴り散らし、リビングに一つ余ったもう誰にも使われる事のない椅子をガツンと蹴り飛ばした。

 しかし、誰も反応を見せない。

 こんなに、こんなにも俺が怒っているのに、なんとも思わないんだな。

 怒り、悲しみ、苦しみ、憎しみ、絶望。様々な負の感情が俺の中で渦巻き、吐き気に襲われた。悔しいと言えばいいのか、悲しいと言えばいいのか分からない。しかし、俺の瞳からは大粒の涙が、加減を知らず流れ落ちる。

 やがて涙は溜まり、辺り一面は海になった。俺の足下にだけ、水面より僅かに顔を出した岩が、足場を作っている。

 俺は独りぼっちだ。今も昔も、そしてこれからも。

 何処かからかともなく老婆の声が聞こえた。

「お兄さん。必死に生きようともせず、自ら絶った命に人々は感動し、涙するとでもお思いですか?」

 老婆のその言葉はまるで俺を槍で突き刺す様だった。

「花は雨風に晒され生きている。或る者は茎が折れ、また或る者は虫に食われる。そんな大自然に淘汰されながらも、成長し見事開花する。だからこそ花は美しく、萎み、枯れ逝く姿に哀愁を感じるのです」

 いつの間にか俺の僅かな足下に、蕾を膨らませた花があった。これが何の花かは知らない。でも、この花には立派に開花して欲しい。

 そう思った次の瞬間、大波が押し寄せ、蕾もろとも俺は流され、海の底へ沈んで行った。

 薄れてゆく意識の中で、俺は何かを聴いていた。欠けたレコードを再生するように途切れ途切れだが、俺には分かる。


 そう、あれは母親の暖かい子守歌――。


 真っ赤な夕日に照らされ、俺は唸りながら目を覚ました。

 此処は何処かの廃ビルの屋上。こんな所には俺以外誰も居ない。そもそも俺はこんな所で何をしていたのか。

「あぁ、そうか。たしか死のうと思って……。でもダメだな。今の俺じゃ死んでも死に切れない」

 誰に向けて言うわけでもなく呟いた俺は、コツコツと階段を下り始める。

 そう。価値ある死を迎える段取りとして、必死で生きる為に。

 

 

 

 

 

 (完)


本作品は2年前に某所で執筆・公開していた作品の推敲版です。

表現こそ書き直している部分はありますが、話そのものは従来のままです。


結末に対する捉え方は読み手の価値観によって様々なものになると思います。

私は答えを一つにしたくはありません。

人の数だけ答えがあるものだと思います。

人の生にはそれだけの価値があるのだと思うのです。


人の生の可能性を私は信じたい。


毛利鈴蘭

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