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雷妖大戦記  作者: 日生
7/20

 獲物と目が合うや否や、九頭ジゥトウの前方三つの頭が大口開けて襲いかかった。


 すかさずヨウ小雷シャオレイの腕を掴み、狼の突進をかわして崖を飛び降りる。岩の窪みをうまく辿って無事に落ち、山の斜面沿いに走り出した。


「なんだ貴様! そいつは我の獲物ぞ!?」


 見知らぬ人間に憤慨する九頭も一足にて崖を飛び降り、口から火と涎を撒き散らしながら攸たちを追う。

 小雷は攸の首に必死にしがみついた。


「もっと速くっ! 追いつかれるっ!」


「俺は人間なんだっ!」


 人の二足では狼の四足に敵わない。

 またここまで接近されてしまっては、どこに隠れても存在を嗅ぎ取られてしまう。狼はどこまでも貪欲に獲物を追いかけるものだが、妖怪の九頭はそこに輪をかけて執念深い。


 逃げるには九頭を仕留めるしかなかった。唯一の幸いは、九頭が他の妖怪とつるむことを嫌って一匹で追ってきていること。

 だが、九頭だけでも小雷には手に余る強敵だ。


「小雷戦えっ!」


「ムチャゆうなっ!」


「俺の足では逃げきれん! お前が戦わねばどうしようもない!」


 攸は咄嗟に拾った太い枝を投げつけ、飛びかかってきた九頭に咬ませた。麩菓子のようにあえなく砕かれたが、その隙に乱立する木々を縫うように走る。


 あと何度こんなことで凌げるかわからない。すでに九頭は後ろになびく攸の上衣の裾を噛まんとしているのだ。なんとかしなければ共々に喰われてしまう。


「――っ」


 小雷は鋭く息を吸った。


 意を決し、涙目で狙いをつける。


 九つの頭は背の半分ほどまで占拠していて、どこに体当たりしても牙が当たりそうで怖い。だが雷に変化すれば、狼が顎を閉じる間もなくその身を引き裂けるはずだ。雷来にそう教わっている。


 小雷は攸の肩を蹴った。

 そして次の瞬間には、地面に激突していた。


「ぶむんっ!」


 顔面が落ち葉の混ざった土に埋もれた。

 じわじわと遅れて熱が潰れた鼻を中心に集まっていき、すぐ、耐えられなくなった。


「……ぃっだぁぁっ!」


 真後ろに落ちるだけでよかったのに、なぜか雷になった小雷の軌道は不規則に折れ曲がって斜面下に落ちてしまった。

 途中で九頭のかわりに一本の木の幹を裂いたため、背後で周囲の枝葉を巻き込みながら大木が倒れてゆく。


 九頭はかすりもしなかったにせよ、予期せぬ雷撃を目にして硬直した。

 その隙に攸が斜面を滑り、小雷を回収する。


「うああーっ!」


「泣くな」


 抱き上げて小雷をなだめてやる顔は、少し笑っていた。


「たいした威力じゃないか。ほら、あいつも怖気づいてるぞ。次は当ててみせろ」


「当たんないっ! ちがうとこいっちゃう!」


「あ?」


 大声で喚くものだから、九頭にももちろん聞こえた。

 雷に総毛だった体が余裕を取り戻す。


「こけおどしかよ。お前はそればかりだなあ!」


 斜面上から九頭が跳んでくる。攸は再び走り出し、怒鳴った。


「なぜ当たらん!」


「知らない! なんかちがうほうに引っ張られるんだもん!」


 闇吞から逃げる時もそうだった。

 雷に変じると狙ったところへまっすぐ走れない。じぐざぐに曲がりあらぬほうへ気づけば落ちている。


 もちろん雷来は違った。

 空中にのたうつ複数の蛇の頭をひと駆けで撃ち抜けるくらい精確な雷撃になれた。


 だからやりようはあるはずなのだが、小雷には思いつかない。一度もまともに父の教えを受けなかったツケが、いざという今に回ってきたのだ。


「距離があると当たらんか? 近くなら当てられるな?」


 また崖を飛び降り、攸は冷静に確認する。


「う、ん?」


「それなら俺がお前を投げるから、ぶつかる瞬間に雷になるのはどうだ」


「うぇ!?」


「覚悟!」


 直後、攸は続いて落ちてきた九頭目がけ、小雷をぶん投げた。


 狙いは精確。問答無用。


 すでに狼の口は大きく開かれている。

 正面頭の喉奥の、口蓋垂が揺れていた。


 そのさらに奥は真っ暗闇だ。

 暗い、狭い、胃の中に閉じ込められている父の幻覚を小雷は見た。


「――ぁぁあっ!」


 上下の牙が噛み合う寸前、雷撃となって駆け抜けた。


 まっ白になる世界。


 下に強く体が引っ張られ、川べりの岩にぶつかり二度跳ねた。雷の残響が岩場にこだましている。


 視界から白が抜けてゆくと、全身に痛みと衝撃が襲いきた。だがそれを感じるということは、九頭に喰われていないということだ。


 小雷は泣くのをこらえて身を起こした。すると、正面の頭から尻尾にかけて左右に真っ二つになった狼がよたよた歩いている。


 無傷の側面の頭が左右それぞれの方向へ勝手に歩き出そうとしたために、大量の血とともに臓物が転がり落ちた。

 裂けてしまってはもうまともに歩けない。

 傷口からは細い煙が上がり、生臭く、焦げ臭かった。


「小……雷……っ」


 側面の頭が恨みがましく唸るが、首を回せず敵を視界に捉えられない。鼻を利かせようとしても己の血臭があまりに濃く、とうとう、小雷を最後に睨みつけることもできないまま、九頭は息絶えた。


「倒せたじゃないか」


 後から九頭の死体を跨いで、攸が寄ってきた。

 小雷は急いでその衣を掴み男の肩までのぼる。


「ほんとに死んでる!?」


「ちっとも動かないんだから死んでるんだろうよ」


「我が倒した!?」


「そうともお前さんが倒した。やればできるってこったな」


 悪びれず笑みを見せる男の鼻面に、小雷はすかさず平手をくれてやった。


「痛っ!」


「なんで我を投げた!? 喰われるとこだったじゃないかバカ! バーカ! バーカぁっ!」


 後から恐怖がぶり返し、小雷は泣きながら攸を叩き続けた。

 ただしこれは安堵の裏返しでもある。


「やめろやめろ。俺は助けてやったんだろうが。少しは感謝をしろ」


「うるさい人間のくせに!」


「あー言うこと聞かねえならここに捨ててっちまうぞ。まだ追手はたくさんくるんだろうになー。ひとりで逃げ切れるのか?」


「う」


 小雷はぴたりと止まった。

 常に雷来や四目たちと一緒にいた小雷は、ひとりぼっちがひどく心細い。


 ようやく非難がやみ、攸は小雷を抱え直して移動を始めた。雷音を他の妖怪が聞きつけてくる可能性がある。


「小雷、どこか行くあてはあるか?」


「……ない」


 小雷は一匹で縄張りの外に出たことがない。

 雷来から闇呑に支配者の変わったこの土地にはもういられないにせよ、他に逃げ込んで安全な場所があるわけではなかった。


 過保護に育てられた小雷も、これからは本来の妖怪の境遇らしく、命の保証のない世界を己が力のみを頼りに生きていかねばならないのだ。


 ここで死ぬのでない限り、行き先を決める必要がある。


「……山を越えて、縄張りの外に出る。あとは、それから考える」


 闇呑を倒そうとするのか、諦めて逃げ続けるのか。


 これから小雷は何度もその二択を迷うことになる。

 今がそのはじめ。


「わかった」


 攸は小雷の指すほうへ歩を進める。

 今更ながら、小雷はなぜこの男は自分を運んでいるのだろうと思った。


「お前、我と来るのか?」


「死んだって喰われるのはごめんだからな。お前かその真っ黒妖怪のどっちかを選べって話なら、俺はお前につくさ」


 だから今は休んでおけと言う。


 人間だか妖怪だか仙人だか不確かなこの男が、一体どこまで頼りになるのかはわからないが、その懐の中の居心地は案外悪くなかったから、小雷は静かに道中を揺られていた。

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