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雷妖大戦記  作者: 日生
3/20

 朝となく夜となく、妖怪たちは勝手気ままに生きている。


 小雷(シャオレイ)が昼寝から目を覚ましたのは夜明けの頃だ。すっかり寝入ってしまっていた。


「よく寝たかよ」


 布団になっていたはずの雷来(レイライ)は、いつの間にか身を起こして子を膝に乗せていた。小雷が眠たい声で、爸、とかすかに呼べば小さく牙を見せる。


「辺りを見回ってくる。また妙な気配がするのでな。おとなしく待っておれるな? 小雷」


「んー」


 猫のように顎の下を軽く掻かれ、小雷はまだ寝惚けたふりをしている。


「戻ったら鍛錬するぞ」


「……む~」


 やはり不満げな子の頭をなで、雷来は洞窟を出ると東の空へ奔っていった。


 縄張り内の見回りは雷来の日課である。以前の雷来に決まった縄張りはなかったのだが、小雷が生まれてからはこの岩山の辺りに腰を落ちつけ、危険な妖怪を見つければ子に被害が及ぶ前に先んじて潰していた。


 今の雷来はかつてのように見境なく暴れることがほとんどない。せいぜいが小雷を連れて気まぐれに人界で雷を落としてみせる程度。または勝負を挑んでくる身の程知らずを返り討ちにするのがたまの娯楽になっている。


 小雷も少し後に洞窟を出た。


 東の空が赤い。特に美しいとも気味が悪いとも思わない。

 ただしばしなんとなく眺めてから、岩山を身軽に下りていった。ここも足の短い小雷のために雷来がうまいこと段差になるよう山を砕いてやっている。


 山を下りたところで、小雷は木々の影の向こうに不穏な声を聞いた。


 様子を見ていると四目(スームー)が走ってきた。さらに後ろから九つの頭を背に生やした狼が追ってきている。


「小雷!」


 四目の前に突き出した手のひらには緑の瞳があり、薄闇の中の小雷をいち早く見つけ、助けを求めた。四目の四つの瞳は体の好きな場所に移動できる。


 小雷はイタチのような尻尾をびびびと立てた。


 口の端からよだれを散らして向かい来る狼に一瞬怯んだが、すぐに丸い眼をできる限り尖らせ、渾身の睨み顔を作ってみせる。


「止まれ頭たくさん!」


 九つ頭の狼、九頭(ジゥトウ)は前足を突っ張った。

 九つのうち後ろを向いている頭のいくつかは小雷が見えず鼻をひくひく動かす。四目は素早く小雷の背後に隠れた。


「――雨と火の匂い。小雷か。大王は留守かよ?」


 後方と左右の頭たちが辺りの風を絶えず嗅ぎ続け、周囲を警戒しつつ、前方の頭がにたりと笑みを浮かべる。黄色く濁った白目が気味悪い。


 小雷は両腕を広げ、とにかく体を大きく見せようとする。ふわふわの髪も今は針山のように逆立っていた。


「四目を食べるな! どっかいけ!」


「なに、ちょっとくらい良かろうが」


 ゆっくりと九頭は前足を交差させる。小雷たちも合わせてじりじり動く。


 妖怪は自らの力を増幅するために妖怪を喰らう。


 彼らは人のように成長していくことがほぼないために、生まれ持った力により順位が決まってしまい、強くなるためには長い月日をかけて妖力を身の内に蓄積させてゆくか、他の妖怪を喰らってその力を己がものとしてゆくしかない。


 四目のような戦いの苦手な妖怪は九頭の格好の獲物であった。


「ちょっともなんもない! 我の子分を食べちゃだめ! 言うこときかなきゃ爸に言いつけてやるからな!」


 縄張り内にいる以上、九頭は雷来の子分である。

 親分がどこまで子分どもを統御するかはそれぞれの妖怪によって異なるが、こと雷来に関して言えば縄張り外の妖怪から子分を庇うことがあっても、度が過ぎなければ子分どうしが喰い合おうが特段咎めることはしない。


 しかし小雷が訴えれば話は別だろう。それは九頭もわかっている。四目も知っているからこそ小雷のところまで逃げてきたのだ。


 狩りの邪魔をされて悔しい九頭は喉の奥で低く唸り出した。


「クソ生意気な小物めが。お前ごとき大王が空を駆ってくる前に喰いちぎってやれるのだぞ」


 ちろちろと牙の隙間から火の粉が漏れている。


 九頭の言うことは、後に待ち受ける報復を考えれば到底実現不可能な虚しい脅しに過ぎない。とはいえ、獰猛な妖怪が常に理性的な判断を下せるわけもなく、この九頭もあと少し怒らせれば本気でやりかねないところがある。


 つい怖気づいた小雷は足元の枝を拾い上げた。


「っ、爸は、す、すぐそこにいるぞっ」


 衣に取りつく子分の前でまさか逃げ出す無様はできない。大王と呼ばれる妖怪の子である自負が小雷の中には根強くあった。


 だが戦えない小雷ができるのは所詮こけおどし。

 普段の雷来ごっこを思い出して枝を狼の鼻先に突きつける。


「来るぞ来るぞ! 雷爸ぁーっ!」


 ぎゅっと目を瞑ったその時、轟音が響いた。


 きゃうん、と九頭が子犬のような鳴き声を残して木陰の向こうに逃げる。小雷と四目は腰を抜かした。


 辺りを見回すが雷の落ちた跡はない。


 ややあって、木から鳴鳴(ミンミン)が落ちてきた。


「どんなもんだい」


 ぽっこり膨れた腹を前に突き出す。

 小雷と四目は駆け寄り、鳴鳴に左右から頭突きを喰らわせた。


「かなり爸ぽかった! 鳴鳴えらい!」


「いつからそこにいたんだよお前は~っ」


 押し倒されただけでなく、髪の薄い頭頂部を小雷に引っ掻かれ、四目には顎の下を頭でぐりぐりされて鳴鳴はいい迷惑だった。


「四目、追っかけられてるの見えた。小雷のとこいくと思って、待ってた」


「待ってた? 最初からいたってことか? それならもっと早く助けろよな~も~」


「も~」


 鳴鳴は四目の声まねでからかう。いつものやり取りである。

 よほどのことでもなければ妖怪は助け合うことなどしないものだが、小雷のごっこ遊びに付き合ううちに、この二匹の間には絆らしきものが生まれていた。


「大王は見回り?」


 ひとしきり三匹でじゃれあった後、目を頭頂まで動かし四目は岩山を窺う。小雷には助けを求めに来るが、雷来に遭遇するのはやはり怖い。


「うん。我も見回りしようかな。四目と鳴鳴もついてこい」


 九頭を追い払って調子に乗った小雷がそんなことを言い出した。四目と鳴鳴は顔を見合わせる。


「いいけど」


 これも雷来ごっこの一環と言える。どうせ小雷に妖怪を倒すことなどできないが、雷来の威光を笠に着ていれば危険な目に遭うこともない。


「小雷、どこまでいく?」


「ん~」


 鳴鳴からの尋ねに、小雷は少し考え、


「地の裂け目!」


 と、答えた。


 それはまだこの世が天地の形を成しておらず、ただの泥溜まりでしかなかった頃、天の帝が泥を手ずから固めて大地を創った際に、一部だけぱっくりと亀裂が入ってしまったところを指している。


 幽界の南北にかけてその亀裂が走っており、雷来の縄張りの東側の境界線となっていた。


 地の裂け目は深く、暗く、妖怪たちでも底に何があるのかわからない。そもそも、底があるのかすら誰も知らない。


 ただ、裂け目からは妖怪たちがどことなく具合の良くなる気が湧き上がっており、あたかも人間が湯治にでも赴くように、裂け目の気へ浸かりにゆく者などもいる。よって四目も鳴鳴も小雷の提案に喜んだ。


 三匹は薄闇の籠る森を揚揚と行進し始めた――その矢先、藪からぬっと影が現れ、小雷たちは木の上まで跳んだ。


「……んむぅ」


 現れたのは年老いた青蛙。むちゃむちゃと何やら口を動かしている。


老蛙(ラオウァ)だ」


 小雷たちは木を下り、この無害な妖怪を囲んだ。


「どうした老蛙? 迷子?」


「川の場所忘れたのか?」


 小雷と四目が口々に訊く。老蛙が水辺を離れるのは珍しい。


 だが老蛙は厚ぼったい瞼を閉じたり開いたりするだけなので、小雷たちはまあ良いかと構わぬことにした。


 大方、呆けて徘徊しているのだろう。正気の時の老蛙は色々な話を聞かせてくれて楽しいが、そうでない時はおもしろくもない。小妖怪たちの反応は正直なものである。


 小雷らは地の裂け目に向かい再び出発する。最後尾をなぜか老蛙も足を引きずり付いてきた。


 草を掻き分け倒木を飛び越え、遊びながら目的地に着く頃には、天もすっかり青くなっている。


 燦燦と降り注ぐ陽光があってもなお、地の裂け目からは闇が吹き上がってくる。これを瘴気という。


 辺りに草木の影はない。荒涼とした黒い地と地の間は、向こう岸に立つ者が小指の長さにしか見えぬほど離れていた。


 小雷たちはさっそく崖の際まで駆け寄り、闇を吸う。

 気が高揚するような、良い心地がする。同じようにやってきた妖怪たちがちらほらと崖際に身を乗り出したり、亀裂の間を飛んでいた。


 時折、裂け目の底からは叫び声に似た不気味な音が聞こえてくることもある。

 風の音か、それとも底に何かいるのか、誰も知らない。ここに落ちた者は二度と這い上がってくることはないと言い伝えられている。


「爸、いないなー」


 小雷は独り言を漏らした。


 今朝、雷来は裂け目のある東のほうへ飛んでいったと思ったが、すでにこの辺りの見回りは終えてしまったのか気配を感じない。


 とはいえ見つかれば鍛錬とまた言われそうなので小雷としては助かっている。


 横で、わ、と鳴鳴が裂け目の底に大声を発した。

 黒い壁にぶつかり反響していく。それにきゃっきゃと喜んでいる。


「なんかいないかな」


 四目は目を移した手のひらを底へ伸ばす。

 縄張り内の見回りという建前は三匹とも道中に忘れてしまった。


 雷雲のない穏やかな空には、鵬翼を広げる金色の鳥が日を遮り旋回している。


「――小雷、四目、鳴鳴」


 しばらく後、やっと追いついた老蛙が三匹を呼んだ。


 久方ぶりにこの蛙の口から己の名が飛び出したことに小雷たちは驚いた。


 老妖怪のほうは逆に道中で大事なことを思い出したらしく、厚ぼったい瞼に隠れた瞳には静かな光が戻っていた。

 正気の時の老蛙の瞳である。


 小雷たちはすぐ駆け寄っていった。


「老蛙起きた? 爸の話思い出した?」


「傍に。離れずにおいで」


 老蛙は杖を持たぬほうの片手で小雷の袖を掴む。枝のような細腕のくせに思いのほか力強い。


 わけもわからぬ小雷たちの背後、地の裂け目から吹き上がる瘴気が格段に濃くなってゆく。


 がつがつと何かを叩きつけるような音が聞こえ始め、振動を伴いながら大きくなってゆく。


 小雷も四目も鳴鳴も老蛙に引っついた。

 それは崖に爪を突き立て這い上がってくる音。誰も知らない地の底から、闇が今、小雷の暁色の双眸にその姿を晒す。


 むせ返るほどの瘴気を放ち、まるで山のようにそびえる妖怪が大地に立った。


「な、なにあれ」


 小雷も誰も見たことのない妖怪だ。


 闇を凝り固めたように全身が真っ黒。頭の形は猪に似ているが、二足で立ち、両手に杭のような太い爪が五本生えていた。


 鮮血色の瞳の中にまで闇が滲んでいる。前に突き出た鼻先を青い天へと向ける。


 ――オォ――


 闇とともに、恍惚とした吐息が漏れた。


闇呑(アントゥン)


 老蛙が黒い妖怪の名を口にした。


 その存在の放つ妖気が、夜のように果てなく広がってゆく。


「……あめつちの匂い」


 空洞に反響しているような声だった。膨れ上がった腹の中は実は空であるのかもしれない。身を揺すってさらに笑い声を響かせていた。


「千年ぶりの我が国ぞ」

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