十六
焔狗の縄張りは火山地帯である。常にどこかしらで火が噴き、川や木々は麓にわずかにあるだけだ。
この辺りは火気を好物とする妖怪たちがおもに棲みついているのだが、爆砕がやってきて暴れたために、焔狗の子分たちはほとんどが死ぬか逃げるかしていなくなっていた。石ばかりの山肌のあちこちに破壊された跡がある。
焔狗はまず山を下った。その道中、小雷を自らの顔面に押しつけ、ひたすらそこで呼吸していた。前も見えないくせに危なげなく歩いていく。
小雷は腹の辺りで息をされているのが居心地悪く、また中途半端な変化で止まっている狗の右手の爪が今にも背を貫きそうで、たまったものではなかった。
「雷気が足りんぞ小雷。気張って出せ」
「攸っ! こいつ我の力吸ってるぅ!」
小雷は助けを求めて短い手足を振った。雷の子が焦って無意識に迸らせる微弱な雷が焔狗は気持ち良い。
攸は、小雷が本当に身の危険を感じれば雷に変じて逃げ出すだろうと考え、救援要請を無視し焔狗にこれまでの経緯を説明した。無論、焔狗を子分にしに来たというくだりは省いている。
「雷来が喰われたか」
焔狗は小雷の胴に顔を埋めたまま呟いた。
愉しげでもなく悲しげでもなく、事実を確認しているだけの声音が小雷の胸の深くに落ちてくる。
焔狗も噂は聞いていたものの、小雷がこうして現れるまでは実感を抱けなかった。雷来と戦ったことのある妖怪は皆そうだ。
攸は焔狗の大人しいうちに本題に入った。
「ここで闇吞側の戦力を少しでも削っておかねば、ますます奴らを勢いづかせることになる。水璃がそうしたように、昔の因縁は一度忘れてともに戦ってくれないか焔狗」
「忘れる? 馬鹿を言え小僧。そうであれば我が地でお前らを生かしておかぬわ。うはは、命拾いしたな」
攸は面食らった。小僧などと呼ばれるのが久方ぶりであったためであるが、間もなく我に返って妖怪の発言の中身を咀嚼する。
「ん? つまり、焔狗は雷来を恨んでいないと?」
「何を恨むことがある」
小雷の腹から顔を離し、意外そうな面々へ焔狗は火の灯っている瞳を見せた。
「雷気は火気を生む。地は火気を噴く時ともに雷気を吐く。雷来と俺は兄弟も同然だ。雷来の子ならば俺の子とも言えよう」
「そんなわけあるか」
さすがに小雷は許さなかった。焔狗に自分と近しい気は感じるが、別に血を分けたのでもない。赤の他人ならぬ他妖怪である。
いずれにせよ焔狗は水璃と異なり、雷来に負けたことを気にしていないどころか、勝手な同族意識を持っているらしい。
ならばなぜはじめに襲いかかってきたのかますます小雷は意味がわからなかった。
「戦うのは良いが、あの爆砕とかいうデカブツ、奴の拳を喰らうと魂魄ごと消し飛ぶぞ」
焔狗はやや憂鬱そうに、なかなか再生しない己の左腕を見やる。
「さすがの俺でも消し飛ばされた魂魄はほいほい直せん。やりあうならもっと力がいるぞ小雷。お前はなぜこんなに弱い?」
先ほどから焔狗は小雷のまとう雷気を吸って火気に変え、体を修復しようと試みていた。かつて雷来に裂かれた身を雷気で復元したのと同じことだ。
だがどんなに顔を押しつけても、小雷から吸える力が少ない。
そのため左腕が砕けたままであった。
例に漏れず馬鹿にされたと感じた小雷はじっと焔狗を睨む。
「……うるさい。どうせ我は爸じゃない」
「? 知っておる」
焔狗は小雷の言いたいことがわからない。そういうところは雷来と似ていて、小雷は苛立つと同時に悲しくなってきた。
「っ、我には爸みたいな力は出せないっ」
「なぜだ」
「なんでも!」
「わからん。ここには火気が湧く。そこの魚娘は水気の塊を持っておろう」
焔狗は見もせずに後ろの銀鮒を指した。
「相も変わらずぞっとする。水璃の奴の気を俺は好かんが、お前はそうでもなかろう。いくらでも吸って雷のもとにすれば良い。なぜそれをせんのだ」
「吸うって……だって、どうやって?」
困惑顔で小雷が反問すると、焔狗は虚を突かれたように大声を発した。
「気の吸い方を知らんのか!? お前それでも妖怪か!? やはり天神の血など混ぜるものではないなあ!!」
「な、なんだよっ、どういうことだ?」
ひとしきり大笑いし、焔狗は「良いか」と片手に吊るした子に言い聞かせた。
「こんな小さな身の内で生まれる雷気などたかが知れておる。地に溜まる雷気を感じよう? あの雲に籠る雷気を感じよう? 天と地の雷気を集め繋げば柱ができる。火気も水気もお前の中で雷気に変えて天と地を繋ぐのだ。雷の子にできぬはずがない。雷来もそうしていたろう」
「爸は……」
焔狗の言いたいことはなんとなく小雷もわかる。
雷来は天地の気を吸い上げ力に変えていた。多かれ少なかれ、ほとんどの妖怪がそれをする。大妖怪と呼ばれるほどの存在であれば、生来の力の性質が強いだけでなく、周囲の気を吸い上げる力も蓄えられる気の量も極めて多い。
「俺を見よ、小雷」
焔狗は辿り着いた洞窟で小雷を放り捨てた。そこは崖の下に溶岩が溜まり、ぐつぐつ煮える鍋のように火が噴き上がる場所だった。
その火の海へ焔狗が迷わず飛び込み、一度底へ沈んでから、火の海面へせり上がってきた。
焔狗を核に火気が集まり、妖怪は大火を喰らって欠けた身を蘇らせる。そんな光景を小雷は崖際に這いつくばって見た。
「うはははハハハハハハハハハッ!!」
火の中で、もはや狗ともわからない黒い化け物が狂喜している。
善も悪もなくただ貪欲に力を喰らうもの。
己を見せつけ、振るうことにのみ愉悦を見出すもの。
これが妖怪だと焔狗はその姿で語っている。
小雷は、恐ろしいと思った。一方で、強く憧れる。自分もああなりたいと思う。
なぜなら、あの姿はとても気持ちが良さそうなのだ。
息苦しいほど充満する火気に、小雷は手を伸ばした。
(集めて……吸う……)
先ほど焔狗に無理やり力を吸われたことで、自分の内と外とが繋がる感覚を知った。
はじめは気持ちが悪い。自分のものではない気配が入ってくるのがおぞましい。
だがそこで臆病にならず、我慢して流れ込むままにしていると、だんだん馴染んでくる。
生まれながらに身の内にある自身の雷気と混ざり、やがて同じものになる。
小雷は体の中にどんどん力の溜まってゆくのを感じていた。
「っ――」
だが、あるところで恐れが限界にきて、逃げ出した。
洞窟の外では攸と銀鮒が待っていた。あまりの火気の強さに中まで入れずにいたのだ。
小雷は真っ先に攸の足に飛びついた。
「どうした?」
この人間は体が冷たいので頭を冷やすのにちょうど良い。身の内に溜まり過ぎた熱が少しだけ落ち着く。
「なにか掴めたか?」
「……わからん」
半分は嘘だ。父のように雷雲を喚ぶ方法がわかった気がしている。
ただ、なぜかそれを怖いと思う。
「我が……我が、爸みたいになれないのは、天神の血が入ってるから?」
災禍たる妖怪になりきってしまうことを止める自分が確かにいる。
そんな誰にともなく問うような、思わず零れた声が聞こえた銀鮒は、黒目をゆっくり開閉した。
「貴様が小心なだけでしょう」
「……ゔぅ~っ!」
小雷が地団太を踏んだ時、大地が底から揺れた。