十五
「ど、どうする攸?」
「どうするって、あいつが闇吞側の妖怪なら焔狗がやられちゃまずいだろ。助太刀したほうがいいんじゃないか?」
「今? あそこに? 助けにいくってゆうのか?」
窪地の中は火と煙が充満する地獄の有様だ。その中で臆せず戦う半人半虎の妖怪の強さを思えば、小雷は尻尾の先まで縮み上がってしまう。
「ぅ、い、焔狗ならあいつを倒せるんじゃないか? 弱ったところに仕掛ければ我でも焔狗に勝てるかも」
「焔狗は雷を喰らうとむしろ元気になるんだろ? 意味なかろうが」
「う」
「今勇気を出して闇吞側の戦力を確実に削り、焔狗に恩を売って味方に引き入れるほうが得じゃないか」
「……我に助けられたなんて焔狗が思うのかよ? 助け損になる気がする」
「そう悲観するな。焔狗がどんな奴かは知らんが、案外に妖怪たちは義理堅いと俺は知ったぞ」
「意味わからん。だいたいどうやって助けろって」
その時、山が震えた。半人半虎の妖怪が拳を地に叩きつけたことで、小雷らのいるところまでぱっくりと山が割れたのだ。
山頂の窪地からほぼ中腹まで亀裂は入っていた。
粉砕された大地が火の熱で舞い上がり、空が灰色となる。まるで噴火が起きたかのようだ。
焔狗の身も再び砕かれていた。
この場は焔狗の力で満ちているにもかかわらず、半人半虎の一撃は炎を散らし焔狗に届く。そして、一度砕かれると再生に時間がかかる。治りかけていた焔狗の左腕がまた消えた。
小雷は目を覆った。絶対であるはずの強者が追い詰められる瞬間がたまらなく怖い。それまで拠り所としていた天と地が崩壊するような絶望感が心を襲う。
熱風の吹き荒ぶ中、銀鮒の冷静な声が聞こえる。
「焔狗を助けるならば、逃がして再生する時を稼いでやらねばならないでしょう。どうするのです」
恐怖のあまり懐に潜り込んでしまった小雷のかわりに、攸が答えた。
「その竜玉を使って闇吞の仲間を倒せるか?」
「無理です。貴様らを多少手助けしてやる程度の力の使用のみ許されています」
「なら、あの霧はどうだ? 水璃の結界の」
「そのくらいであれば」
「辺り全部できる限り霧で隠してくれ。小雷、俺が合図したら焔狗のところまで雷になって走れるか?」
懐を優しく叩き、怯える毛玉を引きずり出した。
「雷来大王に火が効かないならお前だってそのはずだ。焔狗を連れて来てくれ。いったん逃げて態勢を立て直すぞ。ほら、がんばれ」
小雷はなおも攸の上衣に顔を引っ付けたまま、いじけた声を絞り出す。
「……お前は我にムチャさせすぎ」
「俺も援護するさ」
攸は己の腰帯に触れた。そこに道中で縄状に編んだ蔓が巻き付いている。その縄目に青湖王より取った飛刀のような鱗をいくつも挟んでいた。
そんな頼りない武器に励まされるわけもなかったが、小雷は鼻を啜って再び窪地へ顔を向けた。
やるしかないことはわかっている。最後に必要なのは勢いだ。
窪地の縁に手足をかけて身構える。地面がとても熱いが、小雷にとっては嫌なものではなかった。日頃この熱さは雷に変じた時にも感じる。
銀鮒の竜玉の生んだ霧が少しずつ火気をのけ、窪地の縁を覆い始めた頃、
「行け!」
攸の合図の一瞬後、小雷は落ちた。炎より鋭い雷光が、そして激しい雷鳴が火群を裂いた。
落ちた場所はちょうど焔狗と半人半虎の間合いの中間。激しく戦い続けていた両者は突如目を焼いた閃光に動きが止まった。
小雷は臆病が追いつく前に、そびえ立つ黒い狗に向かって叫ぶ。
「っ、小雷が助けてやるぞ焔狗っ!」
早く逃げろと続けようとしたが、直後に二方からの殺気に刺された。
「小雷?」
「小雷だと?」
二匹の妖怪が同時に発し、小雷へ巨大な影が覆いかぶさる。
「ひっ!?」
瞬時に小雷は雷に変じて奔った。
火に包まれた狗の手と、半人半虎の手の内をすり抜け、勢い余り窪地の壁面に激突する。
「ブギャンっ!」
二度跳ねて転がり、小雷は衝撃ですぐに起き上がれない。
そこへ大妖二匹は我先にと飛びかかった。
「うははは雷来の子が俺の縄張りにいるっ!!」
「おい速ぇな速すぎんなてめえっ!!」
「うああっ!?」
ぐずって甘え泣きしている暇はなかった。小雷は襲いくる炎と破壊から休みなく逃げなくてはならなかった。
狗も虎もどちらも怒鳴りながら追いかけてくる。
闇吞の子分が小雷を捕らえようとするのはまだしも、焔狗のほうはよくわからない。業火が小雷の頭を舐めるようにかすめていった。
「逃げるな小雷っ!! うはははははっ!!」
「なんなんだお前!?」
笑いながら怒っているのか、そうでないのか。小雷が雷に変じて奔ると振りまかれる雷気を呑み、猛火がさらに勢いづく。
窪地が竈の中のようになってきた。すると半人半虎の妖怪はいよいよたまらない。
「あっちいんだよてめえっ!!」
焔狗の背を目がけ巨大な拳を振りかぶる。だがその目前に、矢よりも速く飛刀が飛んできた。
半人半虎は避けきれず眦ごと眼球を裂かれた。噴き出す黒い泥が視界を片方埋めてしまう。妖怪はすでに深い霧に覆われつつある窪地の縁を片目で睨みつけた。
「……クソうぜえ。山ごとぶっ壊してえなあ、小雷がいなきゃなあっ!!」
雷鳴にも似た怒号が霧の向こうまで震わせた。縁に立つ攸は気圧されぬよう丹田に力を込める。そして霧に紛れて位置を変えながら次々に鱗の剣を半人半虎の妖怪へと放った。
その援護に小雷も気づいた。半人半虎が足止めされている隙に、窪地の壁面に張り付いた状態でもう一度焔狗に呼びかける。
「い、焔狗! 我に付いて来い!」
「戦るか雷来の子!」
「助けに来たってゆってるだろ!?」
小雷は先に雷に変じて窪地を飛び出した。焔狗は四つ足で壁面を駆け上がる。半人半虎も飛刀を粉砕しながら追った。
「てめえ逃がさんぞ小雷! 天神滅殺の先駆けは譲らん! 帝の世の一切! この爆砕様が! 闇吞すら! 塵も残さず消し飛ばぁす!!」
その怒号と大地を破壊する音は霧の向こうに逃げ切った小雷にも聞こえた。
(なにゆってる?)
自らを爆砕と称する半人半虎は闇吞の仲間であるはずだ。なぜ闇吞をも消し飛ばすなどと宣言したのだろうか。
「小雷!」
霧の中で攸と銀鮒と合流した。
銀鮒が竜玉の欠片を使って生み出した結界は、爆砕を窪地の中に一刻留めるだろう。
だが水気に乏しい焔狗の縄張りの内では、そう長く保てるものではない。爆砕が結界を破る前に早く身を隠す必要があった。
「焔狗はどこに行った?」
攸が辺りを見回す。深い霧の中で焔狗の姿は見失われていた。
上方に視線を彷徨わせ巨躯の影を探していた小雷たちだったが、想定よりもずっと近くから、「ここだ」との声があり、黒い手が小雷の頭をむんずと掴んだ。
黒い狗から人間に変じる途中の顔が霧の中に浮かび上がる。
水をかけられた火がその威勢を弱めたように、先ほどまで片手で小雷をまるごと握り潰せるくらいの大きさだったものが、せいぜい攸より頭一つ大きい程度の背丈にまで縮んでいた。
また灼けつくような殺気も失せている。
「は、はなせっ」
小雷は狗の手の甲に爪を立てたが、分厚い毛皮に食い込みもしなかった。
「助けてやるとほざいたろうが」
焔狗はそのまま小雷を片手にぶら下げ、攸らに付いて来いと指図する。
「特別に助けられてやろう」
上機嫌に、黒い尾を振っていた。