3 Spike dog chain
Spike dog chain・・・スパイクドッグチェーン スパイクチョークチェーンとも言う。
眠れない夜を過ごし、翌朝にはメンバー5人がミーティングスペースに集まる。
頭に包帯を巻いた春も、無理を押して退院し捜査に参加している。責任を感じているのだろう。
そんな春を気遣いながらも、他の捜査官たちは出来る限りの事を行っていた。
空を拉致した車の情報は、黒のセダンと言うことだけだ。それでも、それしか手掛かりがないなら、どれほど情報量が多くても虱潰しに調べるしかない。
5人の捜査官は、手分けして黙々と作業を続けた。
そして3日が過ぎた。
疲れ切った捜査官たちだが、それでも決して諦めず思いつく限りの捜査を続行している。
そんな時、ふいに春が声を上げた。
「支局当てに動画が送られてきています。ケトルが調べましたが出所は不明です」
全員が春のPCの前に集まった。春は席を立って、博に譲る。博のアイカメラが、画面を捉えやすくするためだ。
そして、動画が始まった。
最初、画面は真っ暗で音声だけが流れる。
「Mr.高木 挨拶は抜きで用件を言おう。『君のPetを預かっている』だ」
音声変換されているらしい声は、どこか無機質で冷たい。
「君のWeak pointを探していたが、その間も楽しかった。最初は、たった1人の肉親である弟かと思ったのだが・・・」
その言葉に、全員が開局前の事件を思い出す。
「先日の『SPNA』の件で違うと解った。君はあの事件の後、仕事を放り出して病院に詰めていただろう。だから弟ではなく、溺愛しているPetの方じゃないかと気付いたわけだ。何故自分を直接狙わないのか、と言うだろうが、それに対する答えは『君を苦しめたいから』と言っておこう。ストレスの多い仕事でね、それが一番のリフレッシュになるんだ」
(変態か!)
真が心の中で毒づく。
「それで機会を窺っていたんだが、部下が先走って連れてきてしまったので、大慌てでこちらに来たと言うわけだ。勝手なことをして、困ったものだよ。それにしても、直接見たのは初めてだが、なかなか毛並みが良い雌犬だな。Dog showに出したら、Grand prixが取れそうだ」
『雌犬』と言う言葉に、その場の空気が殺気立つ。
「だが、愛玩犬ではないな。例えばボルゾイとかアフガンハウンドと言った狩猟犬だろう。主人に忠実で命令には必ず従うが、敵には容赦がない。懐いてなければ、危険な動物として扱わなければならないな。そんな動物を大人しくさせるには、どうすれば良いか知っているかな?」
嫌な汗が背筋を伝わる。
「水も餌も与えず、真っ暗な部屋に3日間閉じ込めておけば良いんだ。君の雌犬もすっかり大人しくなったよ。ああ、心配はいらない。出した後は、餌も水も与えているし世話もしている。敬意を払って、foodは店で一番高いやつを買ってこさせたよ。私自身は犬が嫌いなので、部下・・・と言うか、うちの飼い犬に任せているのだがね」
(なんて事をしやがる)
豪も唇を噛み締めた。
博は黙っていたが、膝の上で握りしめた拳が震えていた。
「見ておくかね?」
そんな音声の直後、画面が明るくなった。
打ちっ放しのコンクリートの壁。
冷たいコンクリートの床に、後ろ手に縛られた空の白い身体があった。
「Petに服を着せるというのは、唾棄すべきものだね。見るだけで虫唾が走るのでこうさせて貰った。大人しくはなっているが、やはり危険なことに変わりは無いので一応Chainに繋いでおいた」
身体を少し丸めて倒れ伏している彼女は、ピクリとも動かない。
けれど真っ先に目を奪われるのは、そんな彼女の首元から流れる血と巻き付いた鎖だ。
「スパイクドッグチェーン‼」
豪が叫んだ。
犬の躾に使うとされるその鎖は、犬の首に当たる部分に金属製の棘が並ぶ代物で、鎖を引くと棘が食い込む仕組みになっている。動物愛護の観点からも、その使用に疑問があるため近年殆ど見ることが無くなっている犬用品だ。
大型犬用と見られるスパイクドッグチェーンが、彼女の首に食い込んでいた。
流れる血が、首元から胸や背中を汚している。
傍らには犬用の皿が2つと、ドッグフードの袋が見えた。
「たまに身体も洗ってやってるよ。近づかない方が良いので、ホースで水を掛ける程度だがね。首や預かった時についていた胸の傷も、手当はしている。生憎犬用の傷薬は無いのだが、犬は傷を舐めて治すものだろう。なので洗った後は、うちの部下犬に舐めさせているよ」
音声の向こうで、くぐもった笑い声が聞こえる。
「犬違いだといけないからな、顔もよく見ておくといい」
画面の端から、部下犬と呼ばれている男が出てきて、空の頭が大写しになった。
男の手が、彼女の前髪を掴みグイっと顔を上げさせる。
「っグ・・・ぅ」
その瞬間、首元のスパイクが更に食い込み、彼女の喉から声が絞り出された。新しい血が、チェーンの下から滴り汚れた肌に細い流れを作る。
補聴器は外され目隠しをされ、浅い呼吸を繰り返す唇が震えているだけだ。
微かに歯が鳴るような音も聞こえた。
「間違いないかな? では、今日はここまでにしよう。また連絡する。そうそう、とりあえず私の事は、BBと呼んでくれたまえ。君も罵る相手が名無しでは、不便だろうからね」
クククッと喉を鳴らすような笑い声を残し、動画は終了した。
ガンッ!
と博の拳がテーブルを叩く。
「クソッ!」
絞り出すような声と共に、立ち上がって両手をテーブルにつき顔を伏せた。
凍り付いたような室内で、誰も言葉が出ない。
そんな中、真っ先に勢いよく立ち上がったのは小夜子だった。
「調べるわ!あのドッグフード。あれを一番高値で売ってる店を探す!」
叫ぶなりノートパソコンに飛びいた小夜子に、我に返った博が口を切った。
「待ってください。効率的に捜査しましょう」
どうにか衝撃から立ち直った博は、大きく1つ深呼吸すると椅子に座りなおす。
苦しんでいる暇があったら、少しでも早く空を救出するために行動しなければならないのだ。
「情報を整理しましょう。先ず、BBと名乗った相手ですが、先ほどの音声や言葉から解ったことがあります。音声変換されていましたが、流暢な日本語の中にイントネーションが僅かに違う単語がありました。それに『こちらに来た』と言う言葉。推測ですが彼は日本語を母国語としない人物で海外にいたと考えられます」
「つまり、どっか別の国にいて、拉致したという連絡があったから日本に来たってことか」
真が言葉を挟む。
「ええ、それを仮定として考えると、『慌てて』こちらに来た彼は移動中に部下に指示をしたと思います。監禁方法とか、必要な品々を用意しておくように、と」
「あのドッグフードやお皿を購入した日は、拉致された日から今日までの3日間以内なのね」
調べる範囲が絞られる、と小夜子が頷く。
「あのスパイクドッグチェーンですが、近頃はペットショップなどでは取り扱わない店が多いです。もしかしたら通販を利用したかもしれません」
豪が付け加えた。動物好きなのだろう。犬用品についても詳しいらしい。
「それじゃ、そっちの方は私が。通販を利用すると配送先が解ってしまうから、ホテルとかを利用した可能性が高いけど、それでも捜査範囲は狭くなりますよね」
春は、博が座っていた場所に滑り込んで、ノートパソコンを操作し始める。
一斉に動き始めた彼らは、一旦頭の中から空の悲惨な姿を追い出して作業に没頭した。
「なぁ、あのBBっていうふざけた奴に、心当たりあるのか?」
真が、博に近づいて小声で尋ねた。
「・・・いいえ、全く。と言うか、こういう仕事をしているのですから、心当たりがありすぎて解らないんですよ」
あんな性癖をもつ人物に、恨みを買いそうな覚えはない。いや、変態的な思考は隠しているだろうから、特定できる情報が何1つないのだ。
「今は、とにかく一刻も早く空を救出することを考えましょう。他に何か、手掛かりになりそうな事は・・・」
博は動画の画面を解説していたアイカメラのAIの言葉を、もう1度思い出す。BBの言葉以外に、何か手掛かりは無いだろうか。
しばらくして、博はハッと顔を上げた。
「あの音・・・3・1・2・3・・」
空が顔を上げさせられた時、微かに歯が鳴るような音が聞こえた。博でなければ聞き取れないほど小さな音だったが、鳴った音の数は途中で区切られていた。
「ん?ナニ? 数字?」
近くにいた真が再び寄って来て聞き返す。
「・・・4桁か・・・車のナンバーか?」
「車に乗せられた時に、空がそれを見た可能性があります」
「よっしゃ、そっちは俺が調べる!」
真は警視庁に連絡を入れた。そっちのデータバンクを使う方が、真は慣れているのだ。
全員が必死で彼女の行方を追う中、博はひたすらBBについて考えていた。
開局前の事件から、これまでの事。そして奴が入手している詳しい情報の出どころ。そして最後は、クラップスとの関連性も。
数時間後、幾つかの事が解ってきた。
ドッグフードと皿を2枚購入した店、通販の記録、車のナンバー。それらを重ね合わせると、地域がかなり絞られたのだ。その場所は、支局から車で30分程度の、1㎞四方の区域だった。
後は行動に移すだけだ、と全員が立ち上がった時、春がまた声を上げた。
「テレビ電話が入っています!」
春の傍に全員が集まり、ノートパソコンを食い入るように見つめる。
予想した通り、相手はBBだった。
「立て続けで悪いが、状況が変わってしまった」
少しも悪いとは持っていないような声で話すBBの姿は、中肉中背の特徴の無い男性だった。椅子に座りこちらを見ている顔は、濃いサングラスを掛けていてやや細面だ。顔立ちや髪がブラウンなのは、博の推測が当たっていたと言えそうだ。
「少し席を外している間に、うちの馬鹿犬どもがサカッてしまってね。まぁ、そっちはちゃんと処分したんだが」
画面は床に転がった2人の男を映す。
頭部から血を流し既に絶命しているようだ。
空の姿も映されたが、濡れたコンクリートの上の身体はぐったりと青褪めて、まるで死体のようにも見える。
「預かっている雌犬の方が、大分衰弱してしまったんだ。予定では、折角とった休暇なのでもう少しリフレッシュするつもりだったのだが、諦めて帰ることにした。君のPetも連れて行こうかとも思ったのだが、世話をする暇も無さそうなので置いていく」
「BB、現在の居場所を教えてくれませんか?」
他にも聞きたいことは山ほどあるが、最優先の質問はそれだ。丁寧だが冷ややかな言葉で、荒れ狂うような心を何とか抑えているように聞こえる。
「そうだな、こちらとしてはこの雌犬を殺処分する気は無い。まだ君のWeak pointととして使えそうだしな。だからHintくらいは教えておこう。ここは地下室だ。これだけの情報では、特定できないかな?まぁ、大事なPetが死ぬ前に辿り着いてくれ。では、また次の休暇が取れた時にでも」
そう言って、テレビ電話は一方的に切られた。
時間が無い!
直ぐにも飛び出そうとする真と豪に向かって、博が叫んだ。
「特定された区域内で、地下がある建物をピックアップします。場所的に地下を駐車場にしている建物が多いと思いますが、間取り図を調べて監禁できるようなスペースがあるところを見つけます」
その言葉に、春と小夜子がノートパソコンに飛びついた。
「ありました!C貿易という会社のビルの地下です。ここ1つだけです!」
春の言葉で部屋を飛び出した彼らに、医務室から出てきていたふみ先生が大声で呼びかける。
「彼女を保護したら、こっちに連れてきて。対応できるから」
テレビ電話を医務室で確認し、空の姿を見て支局の医務室で対応すると決めたのだ。ふみ先生は豪にシーツを1枚渡すと、さらに続ける。
「これに包んであげて。私は準備を整えて待ってる」
でも急いで、というふみ先生を後に残し、今度こそ全速力で3人の男たちは救出に向かった。
駐車場の管理人からもぎ取るように鍵を受け取り、地下室のドアを開ける。
机と椅子だけがある室内に、鎖に繋がれた空の身体が横たわっていた。
「空っ!」
血に汚れ青褪めたその体に、博は転がるように飛びついて抱き起す。
ガクンと力なく首を折って仰け反った頭。首には食い込んだスパイクと巻かれたチェーン。
震える指でチェーンを緩めスパイクを外すと、鮮血が噴き出す。
その血液さえもが温度を失ったようで、ぐったりとした身体は濡れたコンクリートの床と同じく、ひんやりと冷たい。
頭を支えて顔を近づけ、胸元に手を当てる。
細く弱い呼吸と、微かな鼓動を確認してホッと息をついた。
続いて室内に入ってきた豪からシーツを受け取り、博は彼女の哀れな身体を包み、しっかりと抱き上げた。心の中で、ただひたすらに謝りながら。
彼女がこんな目に遭ったのは、自分のせいなのだ、と。