2 Snatch
Snatch・・・誘拐 拉致
真夏の早朝の光に、ふと博は眼を覚ます。
腕の中の愛する人は、全身を彼に預けるように眠っていた。
その髪に優しくキスを落とし、彼女を起こさないよう気を付けて、少しだけ体勢を変える。
手を伸ばしてアイカメラをつけると、ぼんやり天井を見て考え始めた。
昨晩の事は、いつも通りの彼女を始めて抱いたことになる。記念すべき第1回になったわけだが。
(ちょっと、いや かなり無理をさせたかもしれません)
コントロールが効かなくなっていた自分を思い出し、不相応の若者のような行動を反省する。
(とは言え・・・)
人前では口に出せないが、彼女はいわゆる『イイ身体』なのだと思う。外側も内側も。下世話な話、名器と言われるようなアレだ。以前彼女がレイプされた時、身体の被害状況が激しかったのも、そのせいではないかとも思える。加害者の方が、一度で終わらせることが出来ないほど魅了されたのだろう。
しかも美人でスタイルも良いとなれば、最高の獲物となることは間違いない。
(自覚が無い、と言うのが危険極まりないわけですからねぇ)
今後、空がそんな目に合わないよう、しっかりと配慮しなければと決意する。
反省と決意をしたところで、博はもう一度昨晩の事をなぞるように思いだす。
堪えたり我慢したりしないで、と囁いた。
見えないのだから、声を聞かせて、と。
触れることと香りを知ることで、君の事を全て感じたいのだから、と。
一応2度目ではあったし、そんな言葉も効果があったのだろう。
彼女の反応は、1回目とは全く違っていた。唇から漏れる喘ぎも吐息も、芳しい髪の香りも、囁きに素直に応じる身体の全てが。
(我ながら、今後の事が心配になってきました)
せめて、とんでもないエロ親父になることだけは避けなければ。
そうは思うが、やはり自信が持てない博であった。
空が目を覚ました時、傍には誰も居なかった。
時計を確認すると、既に8時を回っている。
(寝過ごしました!)
寝起きが悪い空だが、こういう時は流石に飛び起きる。昨晩の事を思い出している場合ではない。
けれど、起こした上体を支える腕には力が入らず、下半身はまるでいう事を聞かない。
ドタッ!
空はベッドサイドに転がり落ちた。
「どうしましたっ!」
音を聞きつけた博が、大慌てで寝室のドアを開けて入ってくる。
(・・・ああ、やっぱり)
顔だけをこちらに向けて床に倒れ、当惑する瞳の彼女を抱き上げてベッドに戻す博だった。
「すみません、お手数お掛けします」
タオルケットを掛けて貰った空は、横になったまま彼を見上げて謝る。
「いや・・・その、責任は僕にありますから」
「?」
責任の意味が解らないらしい彼女に、どうやって説明したものか。
「昨晩、かなり無理をさせたので、腰が立たないのはそのせいです。今日はとりあえず1日休んでください。休暇の手続きと承認はさっき済ませましたので」
こういう時、責任者であることは大変便利だ。そんな彼の言葉に、空は少し考えてから返事をする。
「・・・半日で元に戻ると思います。でも、こんなことが無いように、私も学習した方がいいでしょうか?」
昨晩の事を思い出しても、はっきりしているのは前半くらいなのだ。途中で意識を飛ばしてしまったらしく、それ以後の事は全く記憶にない。きっと迷惑をかけたと思うので、そうならないようにしないといけない。探せばきっと、情報は沢山あるだろうから。
「あ、それはやめて下さい。と言うか、禁止です」
博は片手を彼女の顔の前に出し、きっぱりと言った。彼女の記憶力と視覚能力があれば、ネットを網羅して全ての情報を得るのにさほど時間が掛からないだろう。
「・・・何故ですか?」
「僕の好み、と言うことにしてください」
今気づいたが、どうやら自分は教えたり育てたりすることが好きらしい。
リードを取られるより取る方が、世話をされるよりする方が、本質的に合っているのだと解った。
視覚障碍者として誰かの手を借りなければならなかった10年間、その反動のように彼女に接しているのかもしれない。けれど、自分の本質が解ってしまった。だからこそ、そんな事さえも教えてくれる光を、ずっと傍に置きたいのだ。
「朝食は、花さんにお願いして、横になってても食べやすいものを作ってもらいましょう。持って来ますから、寝ててくださいね」
博はそう言って、嬉しそうに出て行った。
そして博が彼女の朝食を持ってくる。
「・・・これは、ライスボールですか?」
「ええ、こちらでは『おむすび』とか『おにぎり』と言いますね。食べたことはありますか?」
「いいえ、向こうのコンビニで見たことがあるだけです。研修中に真の希望するイナリズシを買いに入った時、隣にありました」
空はラップに包まれたおむすびを手に取る。
「花さんは、こういうものも作れるんですね。凄いです」
「僕も作れますが・・・」
(作れる人は多分かなり多いと思いますが・・・)
「それは凄いですね。・・・今度作り方を教えていただけませんか?」
「お安い御用ですが、先ずは炊飯器と米を買わないといけませんね」
空は、ラップを外しておむすびを美味しそうに食べた。
好きな食べ物がまた1つ増えたようだった。
9月に入ってからも酷暑が続くのは、今の日本のデフォルトである。
そんな中、空と春は買い物に出ていた。今日は忙しくて半休さえ取れない小夜子に頼まれたセール品や、春自身も欲しいと思っていた秋物の衣類の下見も兼ねていて、空は引っ張り出された形である。それでも、そんな場所に馴染みがない彼女にとっては珍しいものが多く、色々見てはそれなりに楽しんでもいるようだ。
「あ、そうだ。ちょっと大通りの時計屋さんに行ってもいいですか? 修理に出してある時計を取りに行きたいんです」
春が思い出したように言い出す。祖父の遺品なのだが、古い物なのでやっと修理をしてくれる店を見つけたのだと言う。
「だいぶ前に、空さんのそのウッドビーズの話を聞いたでしょう?お婆さまからいただいたって言ってた。あの後、そう言えばお爺ちゃんから貰った時計を放りっぱなしにいたなって思い出したんです」
男性用のそれはもう動かなくなっていて、引出しの奥に入れっぱなしだった。自分が使うことは無い遺品だが、修理できるならしておきたいと思ったのだと言う。
「少し歩きますけど、老舗の時計屋さんで宝石なんかも扱ってるんです」
まだショッピングは始まったばかりだが、荷物が増える前に行きたいという春に、空は快く応じた。
人通りの少ない大通りに面した老舗の時計屋は、間口こそ狭いが中に入るとかなり広い。半分のスペースが時計で残り半分が宝石類を扱っている。沢山のショーケースが並び、一番奥のカウンターに店主らしい初老の男性が座っていた。近寄ってくる店員も居ない、ふらっと入っても居心地が良さそうな店だ。
春は中に入ると真っすぐに奥に行き、店主に話しかける。愛想は良くないが、実直そうな店主は奥に引っ込んだ。
「出してくるから待っててくれって。少し見てみませんか?」
宝石類は、買えなくても見ているだけで楽しいものなのだろう。2人はショーケースを覗き込みながら、他愛もない話をしていた。
その時、ドアが開いた。
バタンッ!
大きな音と共に、黒ずくめの男たちがいきなり入って来た。4人の男は、それぞれが銃を持ち店内に散る。典型的な強盗だ。A国ならいざ知らず、日本で白昼堂々の強盗はかなり珍しい。
大きく開け放たれたドアを押さえるように1人が出入口に立ち、2人が奥から出て来た店主をカウンター越しに脅す。そして最後の1人が、空と春の前に立って銃を突きつけた。
「・・・・・・・・」
何も言わず、黙って銃を向ける男は体格が良く、空の位置からは奥のカウンターが見えない。この男の1人くらい簡単に制圧できそうだが、他の強盗たちの動向が見えないので動けないでいる空だ。春の方は、とりあえず落ち着いて彼らを観察することに専念している。
「あっ!」
春が短く叫ぶと、空の視界の端にあるドアの外から、何かが飛び込んできた。
(小型ドローンですか)
2機のドローンがカウンター近くでホバリングすると、強盗達は高価な時計や宝石を小袋に入れて、本体の下にあるフックにぶら下げる。1機が外に飛び出ると、男たちは次の小袋の準備を始めた。
その様子は、空の位置からは殆ど見えなかったが、2機目のドローンが少し移動すると、前に立つ男の肩越しにその姿が確認できた。機体に点滅する小さな赤、チカチカする速度が急激に上がる。
「伏せてっ!」
空の叫びと轟音が、同時に響いた。
「・・・ッツ」
前に立っていた男の身体のお陰で、爆風と飛んでくるガラス片の大部分は防ぐことができた。背中に無数のガラスを浴びた男は即死だったようだ。空は覆いかぶさる形になったその体を押しのけ、春に声を掛ける。
「春!大丈夫ですか?」
春は脇腹と頭から血を流していたが、何とか返事をした。
「・・・痛っ・・な、何とか・・」
辺りを見回せば、店内は惨憺たる有様になっていた。奥にいた強盗達や店主も、即死だったのではないだろうか。そんな空も、左胸辺りが血に染まっている。ガラス片が掠めたのかもしれない。
そんな事を見るうちに、春の意識は遠くなった。
春がFOI病棟のベッドで目を覚ました時、傍には博と豪が居た。
「春、大丈夫ですか?」
2人から同時に声が掛かる。意識が戻るのを待っていたらしい。次の瞬間、春はハッとしたように二人に問いかけた。
「空さんは?」
「・・・やっぱり一緒だったんですね。別行動だったかもしれないと思ってはみたのですが」
「爆破現場から姿を消してるんだ。直ぐに来た警察や救急車も、見なかったらしいんだよ」
博と豪は、交互に説明する。
「え?・・・だって、空さんも怪我してるはずなのに」
胸元が甘く染まっていたのを、最後に見た。重症そうには見えなかったけど、まさか強盗の仲間を追っていったのだろうか。
そこに、現場に行っていた真が病室に入ってくる。
「目撃者がいたぜ。爆破の直後、店内に入って行って、空を担ぎ出して車に乗せてった連中がいるってな」
今度は、空が拉致された。
博と真の頭に、開局前に起った拉致事件が蘇る。
春に急かされて、3人は急ぎ支局に戻った。
入院中の春に替り、小夜子がメインコンピューターのケトルと共に、空を連れ去った車の足取りを追う。春のように上手くはいかないが、それでも懸命に作業を進める。
真と豪は、爆破現場近くで更なる情報を集め、博は警視庁と連絡を取りながら犯行の詳細を聞き集めていた。現場に残されていた、空のショルダーバッグや身分証などの所持品も、全て支局に引き取ってきた。
夜になり、全員がミーティングスペースに集まったが、手掛かりになりそうなものは1つも無かった。
「車の足取りだけど、何だかあちこちを走り回ったみたいで途中で分からなくなったわ。高速は使ってないみたいだから、都内にいるんじゃないかと思うけど、確定は出来ない」
小夜子ががっかりしたように報告する。
「聞き込みも、収穫ゼロだぜ。空が拉致されたところを見たのは1人だけで、しかも遠くからだったから犯人たちも良く見えなかったようだ。車は黒のセダンらしいが、ナンバーも解らないしな」
真と豪も、気落ちしたように椅子に座っている。
「強盗の方は、室内にいた4人は全員即死でした。ただ、逃走用だと思われる車が1台、店から数メートル離れた場所に停まっていたようです。爆破の直後、走り去ったそうですが」
博は焦燥の色を濃くして、説明を続ける。
「もう1度、春から詳細を聞きに行ってきました。ドローンが2機店内に入って来て、1機が外に出た直後にもう1機が爆発したそうです。おそらく最初から、店内の強盗達は始末するつもりだったのでしょう」
病室で、春は博に伝え終わった後、私が誘ったんですと言って顔を伏せた。どこかで待ってて貰えば良かった、と。
「まだ推測ですが、空の拉致は半分が計画的、半分が場当たり的なものでは無かったかと思います。下見のつもりで2人の様子を窺っていたが、奴らにとっては連れ去るのに格好の場面が出来たのではないでしょうか。そのうち、空が1人でいる時に実行に移されたはずの拉致を、今やってしまおうと考えたのでしょう」
博は病室で春に告げたことを、ここでもう1度4人に話す。
「春は、明日こっちに戻ると言っていました。止めたんですが、彼女はあれで結構頑固ですね」
苦笑して話し終えた博は、ガラス窓に目を向ける。
アイカメラの無機質な音声は、窓の向こうの夜景を説明するだけだった。