グリコ遊び
私はグーを出した。相手はチョキだ。
「ぐ・り・こ」
私は階段をのぼる。そう言うルールだからだ。
「じゃん、けん、ポン!」
彼女が不意打ちのように叫ぶ。私は手を変える間もなく、そのままグーを出す。
「ぱ・い・な・つ・ぷ・る!」
彼女は言って、私を追い越し高みにのぼる。そうしてすれ違う時、「どうだ!」と言わんばかりに笑みを向けてくる。
それは、八月のある暑い日に起きた出来事だった。
お盆の帰省で母の実家がある田舎へと連れられてきた私は、ひどくヒマを持て余していた。初日はお墓参りでバタバタしたが、翌日からは子供の手などあるだけ邪魔というもので、大人たちから「外で遊んでていいよ」と、体よく厄介払いされたからである。
今とは違い、当時は携帯できるゲーム機など存在していなかったし、公民館の横にある公園は、公園というよりもむしろ運動場で、遊具の類もなかった。ついでに、このあたりの集落には子供のいる世帯もない。つまり、遊んでいいよと言われても、遊ぶ手段がなにもなかったのである。
幸い、小遣いはたっぷりもらっていたから、アイスでも買おうかしらと私は集落に一軒きりの商店へと向かった。駄菓子から金物まで、コンビニよりもコンビニエンスしている便利な店だ。
彼女はそこにいた。
半袖の白シャツに黒の吊りスカートと言う、当時でもずいぶん古めかしい恰好をした女の子が、店先に置かれた冷凍ケースをじっと覗き込んでいたのである。ひょっとして、自分と同じように親の帰省で連れてこられた子だろうか。
なんとなく足を止めて様子をうかがっていると、女の子はこちらに目を向けてきた。そうして、少しびっくりしたように目を丸くしてから、いきなり顔の前に両手を合わせ、ぺこりと頭を下げた。
「お願い、アイスおごって!」
初対面なのに少々ずうずうしいように思えたが、懐具合は悪くなかったので私は気軽に「いいよ」と答えた。なにより、それで遊び相手になってくれるのなら、安いものである。
女の子はさっそく冷凍ケースのガラスのふたを開け、二本入りのチューブ型氷菓子を取り出す。
「これ、半分こしよ!」
「一個ずつでもいいよ」
「お金、そんなにいっぱい持ってるの?」
「うん。ばあちゃんがおこづかいくれたから」
「えー、いいなあ」
そんなわけで、普段は買えない少し高めのアイスを二人分と、お菓子やジュースを買い込み、私たちは店先のベンチに腰を下ろした。
「何年生?」
アイスの袋を開けながら、女の子が聞いてくる。
「三年」
と、私は答える。
「じゃあ、私の方が一個上だ」
特に返事もせず、私はアイスに取り掛かった。日差しが強いので、急いで食べないと溶けて棒から落っこちてしまう。
「おいしかった、ごちそうさま!」
アイスをぺろりと平らげた女の子は満面の笑みで言った。それでこそ、おごりがいがあると言うものだ。
「で、何して遊ぶ?」
女の子が聞いてきたので、私はこの近辺に遊ぶところなどないことを教えた。すると女の子はベンチを降りて右手を差し出してきた。
「それじゃあ、面白いところ教えてあげる」
私は女の子の手を取った。そうして手を引かれるまま、彼女の案内で集落のあちこちを練り歩いた。すると、何もないと思っていた田舎の村にも、意外と見どころがあることに気付かされた。例えば田んぼのわきの用水路には銀色の小魚がたくさん泳いでいたし、畑のすみっこに一本きり立っている栗の木には、大きなクワガタが何匹もたかっていた。山際の道を連れ添って歩く山鳩のカップルを、気付かれないようにこっそりつけ回すのも楽しかった。お菓子もジュースもあるのに、わざわざ道端の酸っぱい草をかじってみたりもした。
もちろん、楽しい時間はあっという間に過ぎる。いつの間にか、自分の影がずいぶん長くなり、セミの声もほとんどがツクツクボウシにとってかわられていたから、私は「そろそろ帰ろう」と女の子に提案した。
「そうだね」
女の子はひどく残念そうだった。もちろん、私も同じ気持ちだ。だから、
「家まで送る」
「いいの?」
私はうなずいた。女の子はにっと白い歯を見せてから再び、私の手を引いて歩きだした。しばらく行くと、彼女は長く急な石段の下で足を止めた。ここを上り詰めればお寺がある。お墓参りの時、この石段にはずいぶん苦労をさせられたから、よく覚えていた。
「お寺に住んでるの?」
私が聞くと、女の子は首を振った。
「ここを通ってくと近道なんだ」
はて、お寺の付近に民家などあっただろうか。まあ、彼女は自分などより、このあたりの地理に明るいようだったし、言うことに間違いはないだろう。
「ねえ、あれやろう。グリコ!」
女の子は言った。名案である。馬鹿みたいに長い石段を、もくもくと上るのは苦行でしかないが、遊びながらであれば話は別だ。
私たちは勇んでじゃんけんを交わし、初戦は女の子が勝利した。
「ぐ・り・こ!」
それからは抜きつ抜かれつ、私たちは好勝負を繰り広げる。
しかし、不意打ちのパーに負けて、女の子にやや大きめのリードを許してしまった。何が口惜しいと言えば、後出しなのに負けてしまったことだ。
私は歯噛みしながら、石段をのぼる女の子の後ろ姿を目で追った。それは、まったく意図したことでなかったが、ここの階段があまりにも急だったせいで、彼女のスカートの中が見えてしまった。
ばつの悪い思いで、あわてて視線をそらすと、私は奇妙なことに気付いた。なぜか石段のてっぺんはまだまだ遠くにあった。もう、ずいぶんと上ったのだから、そろそろ山門の屋根が見えてきてもよさそうなものだ。
女の子が振り返った。
私たちは声をそろえて言った。
「じゃん、けん、ポン!」
私がグーで勝利。
「ぐ・り・こ」
女の子に、あと一段で及ばない。そして、相変わらず近づいてこない石段の終わりを見て、私は言った。
「ごめん、そろそろ帰らなきゃ」
「なんで?」
女の子はショックを受けた様子で言った。
私は空を見上げる。ゲームを始める前は淡かったオレンジ色が、今ではすっかり濃くなり、くすんだ青色も混じり始め、夜空に変わりかけている。
「家まで送ってくれるって言ったのに!」
確かにそうだが、これほど遅くなるとは思っていなかった。どうやって彼女をなだめようかと考えていると、石段の下のほうから声が聞こえた。
「あれ、フミコちゃんじゃなかね?」
見ると、白髪頭のおじさんが、ふうふう息を切らしながら石段を上ってくる。
「毎年んごとばってん、こん階段はキツかあ」
白髪のおじさんは私たちのそばで足を止めると、そう言って短く笑った。
「こんにちは、マツオのおじさん」
女の子が言って、ぺこりと頭を下げた。
「こんにちは。フミコちゃんも帰っとこな?」
女の子はうなずいた。
「ケン坊は、なんでこげんとこ来よっと?」
名前を呼ばれて、私はぎょっとした。この「マツオのおじさん」とは初対面である。私が黙っていると、マツオのおじさんは少し戸惑った顔で聞いていた。
「君、ミツエちゃんの孫のケン坊やろ。おじさん、間違うとった?」
ミツエは祖母の名前だった。
私は首を振ってから「こんにちは、おじさん」と言った。マツオのおじさんはニコニコしながら、「こんにちは」と返す。
「けど、どげんしたと。もう遅かけんはい帰らんば、ミツエちゃん心配すうよ」
私は事情説明した。
「あー、そいはしょんなかなあ」
マツオのおじさんは手を伸ばし、私と女の子の頭をぽんぽんと叩いた。
「フミコちゃんも、わがままはよんなか。ちゃんとケン坊にお礼ば言って、帰ってもらわんば」
女の子はしばらく唇を噛んでうつむいていたが、ぱっと顔を上げると意を決した様子で言った。
「わがまま言ってごめん。あと、アイスおごってくれてありがとう」
「ぼくも、遊んでくれてありがとう。それと、一緒に行けなくてごめん」
そう言って、私はジュースとお菓子が入った茶色の紙袋を、女の子の胸に押し付けた。
「あげる」
「よかと?」
女の子はきょとんして聞いてくる。
私はこくりとうなずく。
「なんね、そい?」
と、マツオのおじさん。
「お菓子とジュース。この子――ケン坊が買ってくれたの」
「よかなあ。あとでおじさんにもちょっとくれんね」
「ダメ。私のだもん」
「ケチかなあ」
女の子とおじさんは、楽しそうにくすくす笑いあった。
「それじゃあ、もう行くね?」
女の子は言った。
「うん、またね」
私が言って手を振ると、女の子も手を振り返し、あとはマツオのおじさんと並んで階段をのぼっていった。
その背を見送っていると、不意にまわりがざわざわと騒がしくなる。どう言うわけか、周囲はいつの間にやら人であふれかえっていた。お祭でもはじまるのかと思うほどの人混みで、彼らは談笑しながら一様に階段をのぼっていく。
私はあっと言う間に女の子の背中を見失った。そうして、少し名残惜しく思いながらも、次々にのぼってくる人たちをかき分け、石段を降り下った。
石段を下りきり道路に立つと、あたりは途端に静かになった。石段を見上げても、あの人混みは見えない。私はキツネにつままれたように思いながらも、日が落ちて暗くなった道を急いだ。
祖母の家に帰ると、案の定、目を三角にした両親が待っていた。もっとも、祖母のとりなしもあって、お説教の時間は最低限にとどめられた。
夕食の用意はすっかり済んでいて、居間に置かれた食卓にはたくさんのごちそうが並んでいた。食事の最中、私はその日にあったことを大人たちに話した。すると両親は、なにやら妙な面持ちで互いに顔を見合わせた。
「マツオさんのお宅は、おばあさんの一人暮らしじゃなかったか?」
父は母にたずねた。
「五年前に旦那さんが亡くなってからは、そのはずだけど」
母は言って、祖母に目を向けた。
「なんも不思議じゃなか。お盆でみんな帰って来とったっさ」
祖母は言うと、私に目を向けた。
「その子、フミコちゃんって言ったか?」
私はうなずいた。
「そいやったら、ばあちゃんのお姉ちゃんやろ。フミねえは、ばあちゃんがこまかった時に死んどるけん。今もこまかまんまさ」
「僕が見たのは幽霊だったの?」
「そげんようなもんたいね」
すると、石段をのぼって行ったたくさんの人たちも、この村に住む人たちのご先祖様で、西方浄土へ帰ろうとする最中だったのかも知れない。
「もう、やめてよ。母さん!」
母はオカルトが苦手なたちだった。
「まあ、それかタヌキにでも化かされのかも知れないな」
父は笑いながら言って、ビールの缶を開けた。
私としては、どちらでもかまわなかった。幽霊でもタヌキでも、彼女は今日一日を一緒に遊んでくれた友だちなのだから。
しかし、耳打ちするように、祖母が私につぶやいた言葉を聞いて、私のほのぼのとした気分はすっかり吹き飛んでしまった。
「ばってん、ケン坊。ちゃんと帰ってきてえらかったな」
残念と言うべきか、あるいは幸いと言うべきか。その年以降、私がフミコちゃんに会うことはなかった。もちろん、彼女に悪意がなかったことは疑いようもない。ただ、それでも、もしまた彼女に会えたら聞いてみたいとも思う。あのままグリコ遊びを続けていたら、私はどこへたどり着いてしまったのだろうか、と。