本田夏花1
杉本凛から手紙が届いたのは昨日のことだった。いつかの思い出が脳裏に蘇る。あの夏を思い出させるむんとした香りが鼻先をかすめる気がしたし、あの時期の、人の心の健康(苦もなくそれを手に入れられているように見える、皮肉ではなく"幸福そうな"人たちのうち、例えば想像力に欠けた人たちが鼻先にもかけないかもしれないこんな発想を、夏花は何よりも大切に思っている)に必要不可欠に思える何かが決定的に不足した、ある種の空気の薄さに窒息しそうなあの体感に再び胸を掴まれるような気にもなった。しかし同時に突きつけられたのは、大切にされたゆりかごの中にも漂っているように思われる甘い匂いに似たあの場所の記憶だった。それは私にとって決定的な"場所"だった。凛さんに惹かれ、語らい、傷つけられ、それでも真摯に向き合わされざるを得ない自分の性に気づき、この場所に留まってはいられないと思うようになった、あの日々のこと。
「朝起きると窓の外に夏の気配がしました。私はそれを、何によって感じ取ったんだろう。目、鼻、耳、肌? もちろん、そのどれも、というのが正解だと思います。3月、冬もまだ終わりきっていないこの季節に、私はどんな感性でもって夏を感じたんだろう。どうして、夏を察知する心を誇らしく思ってしまうのだろう。一つ一つの季節のもつ気高さを、荒々しさを、繊細さを、この小さな私が感じ取ったというそのことを、どうして人に話したくなってしまうのだろう。もう少し、この夏への予感と、生き物としての細やかさと、ヒトとしてのプライド(いやらしいかな)に浸りながら、考えてみたいと思います。読んでくださってありがとう。」
何が私の心に響いたのか。結果的に疎ましく思うほどになってしまったその原因である、凛さんの感性、彼女の意志によって統合された世界が、当時の私の目には憧れとして映ったのだと思う。あれっぽっちの文章なら、少し頭を傾ければ誰だって捻り出せるものなのかもしれないけれど、少なくとも、あの時の私にはできなかったことだから。私が凛さんの中に見たもの、それはつまるところ、ただ身体的感性と独りよがりな思索を撚り合わせた結果生まれる、ちゃちでバカっぽくもあり得てしまうようなワカモノ的な発想だった。だけど、そう、摂食障害という病に侵され、感性というかけがえのない宝物を見失いかけていた私には、あの人……あの人がその大切な日々をかけて磨こうとしていたものが、いったい「何」なのかを知る必要があった。そのことを、死に物狂いで、わけもわからず、食欲にまみれ、常に虚しさと怒りと劣等感と耐え難い寂しさを携えていた私は直感したのだった。この言い方だって正しいとは言えないかもしれない。自分や感性というものを見失ってしまった人の立つ荒野のなかに点在する他者の光は、それが実際には、取り付く島もないほど未熟なものであったとしても、チカチカするようでいてあたたかく引きつけられてしまう命綱に、容易くも、なってしまうから。なんて言っても、結局は、あえて言うけれどこの私が、あの直感を、生かし育てた、のだけれど。と、思いたいのだけれど。
今、私の隣では陽平が寝息を立てている。若者のもつ湿り気とつやっぽさ、そして透明感をきらめかせはしないで、健やかな寝息を立てている。陰りのある印象を人にもたせがちな、くすんだ色白な人だ。食も細いし、足はきっと遅いと思うし、あばら骨は、ほんの少しのところで、浮き出すぎ、という印象から逃げそびれている気がする。だけどそんなことはどうでもいいのだ。ここに陽平という人がいて、チャーミングな歯並びの悪さが目立たない程度に笑みを浮かべ、誠実な瞳で私のほうを見つめてくれる時間が、この日々の中にあるということ。それが今の私の生活を成り立たせる、最重要事項とも言えることのひとつだから。陽平がまぶしそうに眼を開く。
「起きた?」
「起きた」
「のど乾いてるよね、なにか飲む?」
「自分で取りに行くからいいよ、ありがと」
そう言って立ち上がる。背中からタオルケットがさらりと落ちる。細い肩は、それでも、ガタイの良いジョセイである私よりほんの少し幅広い。そんな小さな事実がまだ頬をほころばせるのはあの病気の名残だろうか。劣等感がくすぶり続けていることの現れだろうか。陽平は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、律儀に小さなガラスコップに注ぎ、二杯三杯と飲んでいる。さっきよりほんの少し遠くなったその距離感を愛おしむような気持ちになっている自分に気づきながら、陽平のほうへ声を飛ばす。
「凛さんから手紙が届いたの」
「凛さん」
「うん、十年くらい前に少し、いろんなやりとりをした人なの」
「へぇ。ずいぶん前だね」
「うぅん、ほんと、確かにね。」
「なんて?」
「まだ読んでないの。でもほんと、十年てすごい数字だな。不思議。」
「おれ、大学卒業したころかぁ。夏花はまだ高校生だね」
「そうだね」
肩が強張る。ふぅっと息を吐く。ヨガをしていると、こういうとき、役に立つな、なんて、ヨガらしくないかもしれないことを思う。役に立つ、だって。でも、私の実感としてそれは正しかった。肩の力を抜き、全身に張り巡らされた突発的な軽い威勢のようなものを解き放すと、すぐに心が、表情を和らげる。
「私、摂食障害だったことがあるって言ってたでしょ。」
「そうだね。」
「その、一番ひどかったころに出会った人なの。」
「そっか。どんな人?」
「……小さな希望の種をたくさん心に備えた、粘着質な人。」
「そうかぁ。って、わからんな。」
「なんだか嫌な言い方になっちゃったね。当時の私に、希望を見させてくれた人なの。希望って、ときに、本当に大事だけど……。今の私が当たり前に大切にしているものが、まだ大切だと気づけなかった頃に、その大切さみたいなものを、全身で叫んでいた人なの。」
「夏花が大切にしてるものって、なんのこと。」
「ん、それは感性デス。」
「夏花っぽいね。……いいね。」
「陽平、好きだよ。」
「ほんでその、凛さんの手紙、読んでみないの。それか、夏花の話、もう少し聞こうか。」
「うん、話を聞いてほしい。そのあと、一人で、凛さんからの手紙を読む。」
「わかった。」
陽平と付き合い始めて一年半になり、何か月か後には結婚もすることになっているけれど、摂食障害の思い出を詳細に話すのは初めてだった。陽平は時折私の目を見つめ、控えめに頷きながら、じっとして話を聞いていた。
当時の記憶を遡り、最初に浮かんでくるのは、ただドロにまみれ、荒廃したセカイの中で途方に暮れながら佇んでいたうつろな、だけど妙に冴えわたった生々しい感覚だった。あの暗闇が、当時の私のすべてだった。その事実が私にとってもつ意味が、実際に陽平に伝わったかどうかはわからないけれど、私が、そんなリアルな記憶や感覚の集積としても形作られているように、陽平だって、同じように陽平の形をした感性や思考が幾層にも折り重なりできあがってもいる、今の、この、陽平なのだから、なにか伝わることはあるだろうという確信めいたものはあった。少し心許なくはあったけれど。記憶の深いところでの、経験の共有なんて、どれだけ思い合う人を相手としたって、そうそう、できるものではないかもしれないという寂しく宿命的な予感も、もちろんもっているから。
思い出すのは夜の風景だった。湿った熱い空気が鼻に、胸に、入ると、それが影響してか、今あるこのきつい感情の背景として、この匂いが体の中に取り込まれる。あぁ、辛い、という思いは夏の夜の巨大な存在感に圧倒され、私の意識はその中に溶けこむ。ドウニカシナケレバ、という、惰性にもなってしまったけれど自分にとって切実に違いなかった願いをひたすら頭の中で繰り返しながら自転車をこぎ、坂道を一気に駆け下りて、暗闇の中ぴかぴかと悲しく発光するコンビニの前に駐輪する。暗澹たる気持ちを焦燥感でかき消して、その勢いで、結局、迷いなく入店する。バイト代として入った6万円をコンビニのATMで確認し、1万円をおろす。ドウニカシナケレバ、という声は息をひそめる。商品をかごの中に入れていく。吐きやすさなんてもう考えなくても選択の前提として染みついていたから、食べたいものを選べばそれでよかった。かごの中をいっぱいにしてレジに進むと三千円、というのがだいたいのいつもの数字だった。夏休みの夜——給料日から幾日かは、心配と怒りが綯交ぜになった家族の視線にさらされながら台所でめちゃくちゃな料理をするという惨めさを含んだ苦い思いから解放されたのだった。
コンビニからの帰り道、ひっそりとした団地に浮かぶいくつもの灯りの奥に広がる日々を、あの時の私は空想できなかった。陳腐なつくりものでさえ、一つも、心の中に仕立て上げられなかった。
レジ袋の音を響かせないようにそっと廊下を通り過ぎ、自室に入ると、あとは、当時の私にとって一番の現実であった苦しみを唯一忘れられる一時間が始まる。
甘いホイップクリームや、唐揚げの脂っぽい衣、もちもちした米粒の食感を確かめながら食べる赤飯、乾いたのどにやさしいリンゴジュースの味などを辿りながら思い出していくと、どうしても、あの儚い夢のおいしさにまとわりついて離れなかったいやな虚しさや苦しみの感触に再び襲われる心地がし、振り払いたくなった。今あるこの現実にまで、あの、明るい将来をひとつも導き出しそうにない時間を日々すごすことで生まれるような苦々しく情けなく、世界からおいてけぼりをくらったときに覚えそうな虚しさや苦しみが、そっくりそのまま介入してくることはもう二度とないと確信しているのに、それでも、嫌な汗が首筋を流れる気がしたし、舌や歯はざらついた何かを感じ取っていた。
そんな一時間は、ドラム缶のようになったお腹を抱えて、まっすぐ立っていられなくなるくらい苦しくなると終わった。そのあとは鼻水と涙を垂らしながら、便器に顔を向けるだけだった。
そんな夜を、高校一年生の冬から高校二年生の秋まで繰り返していたこと。思い出そうとすれば、様々なできごとやイベントを心に描きなおしていくらか甘い記憶として伝えることもできたけれど、その時期自分を覆っていた、抗いようのない、いつも一緒にいる影のようなむなしさの肌触りをわかりやすく説明するのに、この思い出は適当だと思ったのか、私が語ったのはこの場面だった。
凛さんの言葉によって私のセカイに光が射したのは、そんな夏のある夜のことだった。