5
冬休みまで後一週間、というある土曜日。
夕飯を食べ終わり、さて、これからゲームでもやろうかと思ったのだが。よくよく考えると、食パンを切らしている事に気がつき、ついでに買い物も済ませようと夜の街に繰り出した。
夜の街というのは不思議なもので、強姦魔がうろついていると聞けば物騒に感じるが、月を見上げながら歩けば感傷に浸れる。
そんなことを思っていると、ふいにポケットの携帯が振動を発した。
メール、ではなく電話。名前は「雪乃かれん」とある。
「はい、もしもし?」
電話に出て一瞬で、かれんの恐怖に怯えた様子が伝わってきた。
「御剣くんっ! 助けて!」
電話越しにもかれんの息遣いが荒いことが分かる。
「何? どうかしたのか?」
「怖いフード被った男の人が追いかけてくるの!」
「なに?」
「御剣くん! お願い、助けて!」
「で、今場所は?」
「公園! 大池公園!」
大池公園はかなりの広さがある自然公園で、ここから十分ほどの場所だった。
「安心しろ。今行くから」
携帯を切って、全速力で走る。
別に雪乃に特別な思いはないが、それを見放すほど鬼畜ではない。
◇
公園の敷地内を全速力で走る。
すると、林の手前に人影を発見した。
三人。
かれん、とフードの男、それに──君崎七歌だった。
一番手前で、べたりと座り込んでいるのがかれん。そして、その十メートルほど前で、七歌が、膝と手を突いて座り込んでいる。
その二人をコートを着た大柄な男が見下ろしている。男、と言ってもフードを被っているので、後ろから見ただけでは本当にそうかはわからないが、体格からおそらくそうだろうと判断できた。
男の視線が、駆け寄ってきた瑠璃に向けられる。
瑠璃は、男の手に持っているものを見て、咄嗟に身構えた。
男が持っていたのは短杖──男は魔術師だった。
見れば、男はこちらを冷たく、僅かに笑みを浮かべながら見据えていた。
男と七歌が戦ったのだろう。そして、七歌はなんらかの攻撃を受けて膝を突いている。
相手が不良とか銀行強盗の類であれば、瑠璃にとって敵にはならない。例え空手や剣道の達人相手でも負ける気はしない。
ただ、魔術師となれば話は別だ。
雪乃が見てはいるが、しかたがない。そう判断する。
瑠璃は二人と男の間に立つ。
「……御剣」
そう七歌が呟くのが聞こえる。
瑠璃は戦闘体制を整える。
「楽しげに飛ぶ黄色の鳥、つがいとなって相寄り添う」
そう唱えると次の瞬間、手元には、剣が握られていた。
黒の握りに、白銀の刃。装飾がほとんどないシンプルな片手剣。だが、それでいて、言葉では表せない重みがそこにはあった。
男の顔が驚きを示す。だが、驚きが引き金になったかのように、男が杖を振るった。
衝撃波──。
それを一振りで切り捨てる。
男の顔から笑みが消たのがはっきりと見える。
すると、立ち上がった七歌が
「御剣! そいつの宝具は鎖よ!」
そう叫んだと同時に、男の左手から何かが伸びてくる。
鎖だと分かったのと、剣でそれを払ったのは同時だった。
否。払おうとした。
だが、鎖は蛇のように剣に巻きつく。
「──ッ!?」
何重にも巻きつく鎖。一体どれだけの長さがあるのか分からない鎖を、振りほどこうとするが、叶わない。
瑠璃はやむを得ず、剣を男に向かって投げ飛ばした。剣は初め真っ直ぐ飛んでいくが、男が鎖を動かすことによって軌道をそらし、そのまま男の横の地面に落ちて金属音を立てた。
相手が武器無しになったことからの安心感からか、男の顔が笑みを取り戻した。男が杖を片手に歩み寄ってくる。
距離が三メートル程──間合いに入った。
瑠璃は構える。その手に剣があるかのように。
「自分を省みれば私は独りである。誰とともに帰ればよいのだろう」
そして踏み込んだ。
驚くまもなく剣を叩きつけられ、男は倒れこんだ。
そう。踏み込んだときには、剣がその手に握られていた。ついさっきまで手元を離れていた剣が。
それがこの剣──黄鳥歌の力。
例え、どこに行ってしまっても持ち主の手に戻って来る、東夷の王の剣。
「ど、どうなってやがる」
瑠璃は、剣の刃ではない側面で打ち付けたが、それでも男はいまだ咳き込み立ち上がれない。
瑠璃は剣を男の首下に突きつける。
「さて、お前は何者かな?」
男は答えない。
「答えろ!」
瑠璃は男の顔を腕を蹴り付けた。
それを見て、後ろでかれんが悲鳴を上げたのが聞こえる。男の顔もまた恐怖に怯えている。
「ヴァンパイアか?」
そう聞くと男はかろうじて頷いた。
ヴァンパイア。他人の体液から魔力を得る魔術師のことだ。
「ということは、最近の連続強姦事件の犯人もお前だな?」
この問いにも頷く。
ヴァンパイアといえば、吸血〝鬼〟というイメージがあるかもしれないが、実際にはそうではない。基本的に、他人の体液が必要、というのを除けば普通の魔術師となんら変わらないのだが。
だが、ヴァンパイアとて人間。こいつのように、強姦事件を起こすやつもいるというわけだ。
「さて」
残念ながら、〝吸血鬼殺し<ペルソナブレイカー>〟は持ち合わせていない。かといって協会に身柄を引き渡すのも面倒くさい。
なら、いつも通りやるか。
瑠璃は男の肩に足を置いて、喋りだす。
「良いか。今回は許してやろう。だが、次こんなことがあれば──わかるな」
剣をもう一度の喉下に突きつける。男の顔にさらなる恐怖が浮かぶ。
「さぁ。行け」
そう言って剣を離すと、男は数秒の後、勢い良く立ち去り、おぼつかない足取りで走り去っていった。
それを見送り、後ろに向き直る。
そこには、厳しい目で見つめてくる七歌と、恐怖の眼差しで見つめるかれんの姿があった。