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短編集

作者: 緋色ざき

 人間は平等だというけれど、それは間違っていると思う。

 僕の経験が、その裏付けである。

 小さい頃から人よりも身体が小さく、大人しいタイプの人間であったから、周りから舐められることは多々あって、心の底で反抗心を燃やしていた。

 あるとき、友達と教室でふざけていてドアを壊してしまったことがあったのだが、なぜか、壊した田中はそっちのけで僕だけが説教された。やれ、普段の授業態度がなんだとか、掃除をちゃんとやっていないとか、そんなんだから成績が悪いんだとか。

 たしかに僕の普段の行いが優等生みたいにしっかりしていたかと言われれば、お世辞にもそうとは言えなかったけれども、それとこれとは話が別じゃないか。僕は何度か口答えをしたが、むしろそれが火に油を注いでしまったようでさらに説教が続く羽目になった。

 いま思い返してみると、ドアを壊した田中は僕よりも一回り身体が大きく、その親もがっちりと筋肉質な厳つい人だった気がする。それで、怒りやすそうな僕に攻撃が集中したのかもしれない。

 結局、その日はそのまま怒られて帰宅したわけだが、次の日登校すると、なぜか僕がドアを壊したということになっていて、その日はクラス中の非難を一心に浴びることになった。もちろん先生は止めない。むしろ助長していたと思う。そして、友達だと思っていた田中たちは僕を助けようともせず、むしろ僕を非難する側に回ったのだ。

 人間の本質というのはこういうところで分かるのだということを幼いながらに知ってしまった。僕はその日から孤立することになったのだった。

さて、こんな感じで人間は平等じゃない。いや、というよりも平等に見てくれないと言った方が的確か。大人でさえもこの有様なんだから、大したことは望めない。

僕の両親も妹を可愛がり、僕のことなんかそっちのけで妹のことを優先する人物で、この世界は僕を一体どうしたいのだと嘆く日々が続いた。学校が終わっても家に帰りたくなくて、一人公園のベンチに座り、暗くなるまで何をするでもなく目の前の変わらない景色を目に焼きつけていた。

 そんな僕も中学、高校、大学を経て社会人になったわけだが、場所が変わったからといって、全く平等を感じることはなかった。

 上司から気に入られているやつばかりがいい思いをして、僕のような人から好かれにくい人種は辛酸をなめることになる。別に、こちらの不手際で辛い思いをするのならしょうがないけれど、同僚の不手際のしわ寄せまで僕に覆いかぶさってくるのは納得がいかなかった。そのくせ、僕が窮地に追い込まれているときに、その同僚は椅子に座りスマホのゲームにいそしんでいるのである。清々しいまでの屑だと思う。

 僕はそれで、一年も経たないうちから、もっと厳密にいえば一ヶ月も経たないうちから、いや、さらに厳密にいえば入社初日の夕方から退職を考え始めたのであった。


 ある夜のこと。

 その日も残業があって、会社を出たのは九時を回った頃だった。今日は意外と早く終わったと思っている辺り、もうかなり末期なのかもしれない。

 僕は今日、最後まで働いていて鍵閉めだったのだが、僕以外ほとんどみな定時上がりで仕事終わりに飲みに行っていた。誰か一人でも手を差し出してくれる人がいればとも思うが、それは望めないことだ。そんなこと、いままでの人生の中でよく分かっている。

 ただそれでも不意に寂しさを覚えることがある。僕は一人だと。

 感傷的な気持ちになってしまい、気分転換もかねて、近所の公園に寄ることにした。コーヒーを一本買って、ブランコの柵に腰掛ける。小さい頃はどの公園にだってこんな柵はなかったはずだけど、いつの間にか作られていた。世の中はどんどん変わっていく。でも、人間は変わらない。幸せを謳歌するものもいれば、取り残されるものもいる。

 ふと、この柵の中のブランコは僕なのかもしれないと思った。自分が何をするでもなく、柵の中で人々に振り回される。抗うことも叶わず、ただそこに縛られている。

「にゃー」 

 不意に後ろから猫の声が聞こえた。後ろを振り向くと、みすぼらしく痩せ細った猫が茂みから出てくるところだった。猫はなぜかゆっくりとこちらに近づいてくる。首輪がないところを見ると野良猫だろうか。ずいぶんと人への警戒心が低いように見える。

猫は僕の足下まできて初めて顔を上げた。その瞳は虚ろで、濁っているように見えた。

 この猫は、餌を得ることができず、またそれを分けてくれる仲間も存在せず、一匹で生きてきたのだろう。なぜかそんな強い確信があった。この猫はそんな環境下で動物としての本能を損なってしまったのだ。

 まるで映し鏡を見ているみたいで苛立ちがふつふつとわき上がり、地面を思い切り踏みしめて大きな音を出した。

猫は僕の足下に視線をやって、それからゆっくりと体の向きを変えて再び茂みの中へ戻っていった。

 僕は小さく舌打ちをして、家へと帰った。


 次の日の朝。

 珍しく、朝の五時に目覚めた。

一晩経っても昨日の猫を見て感じたむしゃくしゃした気持ちが収まらなくて、どうすればいいかと考えて、退職届を書くことにした。

 正直なところ、それ以外にとくにやることがなくて書き上げたのだが、少し心が落ち着いた。もういっそこのまま出してしまおうかと考えて、さらに気持ちが晴れやかになった。

 そうこうして冷静になってくると、僕は昨日の野良猫にとても酷いことをしてしまったように思えてきた。あの猫が果たしてあそこにいるのかは分からないけれど、なぜか公園にいる確信があった。何か猫が好きそうなものを買っていってあげようとコンビニに向かい、ツナ缶を購入する。

 時計に目をやると七時。

 別に退職届を叩きつける会社に遅れたところでとも思ったが、なんだかそれは自分の尊厳を傷つけてしまうような気がして、一度家に戻り、着替えて鞄を持って公園に向かった。

 公園の前に着くと、猫はすぐに見つかった。昨日座っていたブランコの柵の横で、ただじーっと何かを待つように前を向いていた。

 僕は思わずふっと笑みをこぼす。昨日はいらだちを覚えたその態度が、なんだかいまは微笑ましかった。手に持ったビニール袋の中のツナ缶を確認して、猫の方へ向かおうと一歩踏み出したところで、公園の反対側の入り口から女性が走ってきた。僕と同じくらいの年齢だろうか、スーツを着た女性である。女性は猫に近づくと、

「あ、いたいた。ほら、ご飯持ってきたよ」

 猫の前にツナ缶やキャットフードを置いた。猫はゆっくりと身体を動かしてそれにありつく。

 僕はその光景を見ていて心が温まるのを感じ、公園に背を向けて歩き出した。

 なんだか今日はいい日になる気がした。


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