ラスティカの茶
「……ラスティカ王国は、何故滅んだの」
珊瑚色の瞳が、真っ直ぐにザカリアスを見据えていた。
セラスティアの、その眼差しと表情に、ザカリアスはひどく居心地の悪い思いがする。
とはいえ、この屋敷に来てからこれまで、居心地の良かったことなどただの一度もありはしなかったのだが。
はぁ、と吐き出した息は、静かな温室の中ではことのほか大きく響いた。
セラスティアの表情が微かに険しくなる。
珊瑚色の眼差しに、唇に、責めるような色が乗る。
「……面倒な女だ、と。そうお思いですか、ザカリアス殿」
「いえ……。……ご気性真っ直ぐなのは、良いことと存じます」
セラスティアの表情がますますなんとも言えない方向に険しくなった。嫌味と受け取られたかもな、とザカリアスも思うが、どう聞こえようと構わないという気もした。どちらも正しく本音ではある。
面倒だし、真っ直ぐなのは悪いことではないはずだからだ。
カップに口をつけ、その馥郁たる香りと味わいを舌に載せた。
そのまましばらく沈黙が続く。
「……いつまで黙っているつもりなの?」
じれたようにセラスティアが口を開く。ザカリアスは、今度は気取られぬよう気をつけながら嘆息した。
「ラスティカの茶、と一口に言っても……グレードはまちまちだそうですな。この家で使う茶葉は、おそらく最高品質のものでしょう。しかし今後はそれすら粗悪品が混じり出すかもしれません」
「……え、えぇ?」
「今後しばらくは、それらを取り締まるべく体制を強化し、ラスティカ茶の名誉を守ることに注力致します」
「……は、はぁ」
「それで良いでしょう。ラスティカは地上の楽園。ラスティカ産のものに不味いものなし。国滅びたとて、その歴史と名は残ります」
ザカリアスは立ち上がり、温室の扉に手を掛ける。
呆気に取られていたセラスティアは、ハッとしてその後を追いかけ、またその肘を掴んだ。
「よくありません……! それではなんにもわからないままよ」
ザカリアスの、漆黒の暗く開いた底なしの穴のような眼が、セラスティアを見た。
「殿下」
ザカリアスの声は、低い。地の底から這いずるように。
さしものセラスティアも、ほんの一瞬怯む。
「もう……あと……そう……一年。一年ほども耐え忍んでいただければ……。殿下、今度こそ、貴女を幸福にして差し上げます」
ザカリアスは、肘を掴むセラスティアの手を取り、恭しく掲げて。
「ですから、どうか……それまで。ラスティカのことはどうか、良き想い出としてお持ちください」
漆黒の目が伏せられ、それだけを言い終えると、ザカリアスは取った時と同じように恭しくセラスティアの手を離す。
同時、温室の扉がノックされ、開かれた。
「閣下、こちらにおいででしたか。貴重な休日に失礼致します。例の件が……」
そこに居たのは、短く刈った銀色の髪と精悍な顔立ちが印象的な、逞しい青年だった。
「そうか。では急ぎ参ろう。……殿下、急ぎ片付けねならない仕事ができましたので、これで失礼」
ザカリアスが応える間、青年はセラスティアを一瞥し一礼する。
ザカリアスはその青年を伴って、さっさと温室から……それどころか屋敷からも出て行ってしまった。
「セーラ様……! ご無事ですか!?」
青年の背後にすっぽり覆われて見えなくなっていた赤毛の乳姉妹パティが、さながら竜の口に単身飛び込んでいった者にするような大袈裟な様子で心配する。
セラスティアは、なおも呆気に取られたまま。
「な、なんなの……いったい。……パティ、今の方は……?」
「あ、あの方ですか? 宰相様の部下だそうです、ラグナル様……でしたか。大きくて無表情で、ちょっと怖かったです」
ラグナルはザカリアスを探して、パティにその案内を頼んだのだという。確かに、見上げるばかりの大きな体は、威圧感があった。
わざわざ部下が探しに来たほどだ、ザカリアスの緊急の仕事というのは方便というわけではないのだろう。
しかし。
セラスティアの望むような答えは、何も返してもらえないままだった。
***
「閣下……よろしかったのですか。先程のお美しい方が、噂の奥方殿なのでは?」
馬車に乗り込むザカリアスに、短銀髪の偉丈夫ラグナルが尋ねる。
「いいんだ、ちょうど話は終わったところだったからな」
それより資料を、とザカリアスが促す。
ラグナルの差し出す紙束をめくりながら、ザカリアスはまた溜息がこぼれた。
「今回捕らえた連中は八人。以前から例のブツを、茶葉や名産品に紛れ込ませて密輸していたのと同じやつらで間違いなさそうです」
「……親玉が消えても、律儀に仕事をしているのか」
「むしろ、ますますやる気になっているみたいでしたよ。散々締め上げてやりましたが、なかなか口を割りません」
「やる気……聖王国への復讐も兼ねて、か?」
ラグナルは頷いた。
ザカリアスは紙束にまた目を落とす。
そこには簡単な肖像と名前と年、そして出身が記されている。その全て、ラスティカの者たちだった。
「残党も、例の薬も、まだまだ量がありそうだな。できるだけ早く潰したい。ひとりふたりは死んでもいい、もっときつく締め上げろ」
ラグナルは了解と言って頷いた。
ザカリアスとラグナルの乗る馬車は、やがて目的地に入っていく。
聖都の外れの、堅牢な塔であった。
***
「閣下、とうとうやりましたよ」
精悍な顔にギラギラとした目をして、ラグナルがザカリアスの元にやってきたのは、あの茶会の日から二日後のことだった。
事務官のウィンストンがラグナルのために茶を入れる。
「……そうか、よくやった。制圧に必要になりそうな数はどの程度だ」
「およそ百もあれば」
「ウィンストン卿、すぐにトルバー卿に百の精鋭の手配を」
事務官はラグナルとザカリアスのために茶を置いて、すぐさま指示された仕事に差し掛かる。
ラグナルが意気揚々と出て行く、その広く逞しい背を見送り、ザカリアスは事務官の入れたラスティカの茶を口にした。
――なぜ、滅びたのですか。
と、セラスティアはザカリアスに尋ねた。その問いに、ザカリアスが最初に感じたのは、微かな苛立ちだったかもしれない。
なぜそんなことを聞くのか。
終わった話を、わざわざ蒸し返す必要がどこにあるのか。
ほんの短い、政略での婚姻とはいえ、良いものだったのならいたずらに掘り返さなくても良いだろうに、と。ザカリアスは心からそう思ったものだった。
――話に聞いていたより、したたかな女じゃないのか? あれは。
思えば。
聖王の宣言に意見し、ザカリアスを扇で引っ叩き、お披露目のパーティではザカリアスの言葉を逆手に取って意趣返しのようなことまでしてきた。
――どこが、儚く可哀想な姫様なんだ。
ザカリアスは、自身に皇女セラスティアについて聞かせた今は亡き前王に毒づいた。
苛立ち紛れに幾つかの申請書類に却下の烙印を押し、宮廷議会に提出する議題書を持って執務室を出て行った。
議会が終わったのは日も暮れた頃だった。
「閣下。トルバー卿は無事に完遂されたとのこと。残党は制圧、倉庫にあった分は押収。街に出回っている分を回収するため、更に二百ほどの増援をお求めです」
執務室に戻ったザカリアスに、事務官が淡々と告げる。このウィンストンという男は、朗報も悲報もいつもこの調子で変わることがなかった。
「それで……?」
「万事つつがなく。ゆえ、本日はお帰りになられては?」
ザカリアスは、脳裏をよぎるあの珊瑚色の瞳に、一瞬眉をひそめる。
「これで、ラスティカの一件は片付く、と見てよいと思いますか。ウィンストン卿」
「……。さて。別の似たような組織や、ラスティカとは関係のない連中が引き継ぐ……という可能性はまだおおいに」
事務官の淡々とした懸念の表明に、ザカリアスは頷いた。
「でしょう。まだまだ片付けねばならない仕事が山積みでしてね」
だから帰れないのだ、と。そう言うザカリアスの顔は微かに笑っていた。