誤解と願い
ラスティカ王国は何故滅びねばならなかったのか。
ザカリアスは言った。
「ラスティカの涙という、中毒性の高い薬物を精製し交易品に紛れ流通させた。聖王国の皇女殿下を娶り、親交国となった後も……いやそれまで以上に、輸出量は増やされた。聖王国の国力を削ぎ落とし、内から蝕む目的は明らかであり、それはラスティカ王主導の国策でもあった……」
『ラスティカの涙』。
それがただの高級茶葉などではないということはセラスティアも薄々気付いていた。
しかしザカリアスの言葉は、やはりという諦観と共に、それでも、と一縷の望みに縋る気持ちだったセラスティアを暗闇に突き落とした。
何よりセラスティアを失望させたのは、あの優しいラスティカ王が全てを知っていて、あまつさえその卑劣な政策を主導していたことだった。セラスティアは何も、知らされていなかった。
(あの方にとっても……わたくしはただの、お飾りの妻だったのだわ……)
知らず、セラスティアは強く唇を噛んでいた。
「俺が……最も許せないのは……結局のところ……一番被害を受けるのは、貴族でも聖王家でもない。貧しい庶民達だってことだ」
ザカリアスの口から貧しい庶民達を慮るような言葉が出たことに、セラスティアは意外な気がした。だがその口調には、今まで以上に明確な怒りが含まれていた。
「それでも。アンタにとって確かに良い想い出があったなら、それを穢す必要はなかったろう。知らなくていいことなんざ、この世にはいくらでもある」
ザカリアスは踵を返し、話を切り上げて立ち去ろうとした。
「待ちなさい……!それでも……わたくしは、もう。なにも知らないまま、知らされないまま、憐れまれ侮られただ政略の駒にされるなどごめんなの。知らないままでよかったとは思いません」
咄嗟に、セラスティアはザカリアスの肘を掴んで見上げた。底なし沼の如く暗い瞳を。
「……それから……ごめんなさい」
知りたくなかった、とは思わない。
こうまでしなければきっと知ることは出来なかった。けれど、ザカリアスに多大なる迷惑をかけたのは事実だろう。
なりふり構わず駆け付けたのか、血の気が引いて蒼白を通り越して強張ったザカリアスの表情からも、それは察せられた。
「……でも。パティをわたくしの代わりにと考えているなら、わたくしは今すぐ大通りで洗いざらいこの顛末をぶちまけます。あなたがどれだけ秘密裏に処理しようとしても」
セラスティアは、あえて脅迫するような口ぶりで言った。パティに己の身代わりに罪を被せるなど、断じてあってはならない。
「……俺を脅しているのか」
意図はすぐに伝わったらしい。何処もかしこもいけ好かないが、流石は聖王国の筆頭宰相だけあって、頭の切れる所は素直に好ましい。
(……先に、わたくしを脅しつけたのはあなたでしょう?)
セラスティアは挑みかかるような目でザカリアスを見つめる。
「女だと侮るなら、その足を掬っていくらでも痛い目を見せて差し上げます。ザカリアス。わたくしは、あなた方の都合の良い人形ではないわ」
侮りには侮りで、脅しには脅しで。黙って耐え忍ぶことなど、セラスティアには出来ようはずもなかった。
「全て……あなたの良いように処理しましょう。殿下。……だが、今後、このような真似は起こされぬように」
ザカリアスに突き放され、セラスティアは数歩よろけた。けれどその後ろ姿が扉の向こうに消えるまでずっと、毅然として自らの足で立ち、前を向いていた。
その後、泣き濡れてべしょべしょになったパティと共に解放されたセラスティアは、件のラグナルという銀髪の武官に侯爵家へと送り届けられた。
機密情報の漏洩、公式文書の偽造、果ては国家転覆罪だと散々仰々しい罪状を並べ立てられた割に、その後セラスティアの周囲は不気味なほど静かであった。
約束通りザカリアスは事件の全容を公にはしなかった。
元々そのつもりであったのだろう。真実を明らかにしても誰も得をしない。ザカリアスも、勿論セラスティアも。当然と言えば当然だ。
世間的にも記録的にも、公に残るのは、とある商家が禁制品の違法取引で捕まったという、それだけのこと。
※※※
幸か不幸か、セラスティアの無茶無謀に過ぎる作戦のおかげで、難航していた『ラスティカの涙』の調査は思いも寄らぬ形で決着を迎えた。
ラスティカ王家なき後も薬物を市中へ流していた大元を断つ事が出来たからだ。
捕らえられたベルモント家の当主は、当初からラスティカ王家と共謀し茶葉に偽装した『ラスティカの涙』の密輸入と売買に携わっていたことを白状した。商家の財産はことごとく取り押さえられた。
ベルモント家と共に捕らえた者達を締め上げ、押収した資料を丁寧に辿れば、末端の売人まで辿り着くのも時間の問題と思われた。
勿論、他にも山積みの仕事は残されていたが、とにかくザカリアスはぽっかりと時間が空いた。事務官であるウィンストン卿の再三の勧めもあって、仕方なく久方ぶりにミストリアス家の屋敷に帰り着いた、その日。
「……ザカリアス!やっと帰って来たのね!」
「義母上……相変わらずお元気が有り余っていらっしゃるようで、何より」
屋敷に着いて早々、テオドラがザカリアスを出迎えた。寝不足の頭に甲高い声がガンガンと響く。暗に含ませた嫌味もちっとも通じない。
「私のことはいいのよ!それより、皇女殿下ったら……このところずっと、今にも死にそうに暗い顔をして塞ぎこんで、部屋に篭もり切りなのよ。お茶に誘っても散歩に誘ってもダメ!それどころかここ数日は食事も喉を通らないのか、パンにチーズを挟んだようなほんの軽食しか召し上がらないの」
「……ほう」
あの強気な皇女殿下も流石に今回の一件には懲りたのだろうか。気落ちするのも無理はない、とザカリアスは微かに眉を持ち上げた。
「ザカリアス、あなたが何か殿下に思いやりのないことを言ったのではないでしょうね!?」
「義母上にかかっては、殿下に降り掛かる不幸という不幸は全て私のせいのようですな……」
ザカリアスは、とんだ濡れ衣だと思いはしても頭ごなしに否定も出来ずに渋面のまま零した。
「とにかく!仕事はひと段落したのでしょう?ウィンストン卿に聞いていますよ。だったら殿下のご様子を伺って来なさい、今すぐに!」
テオドラに散々せっつかれ、ザカリアスは重い足を引き摺って扉の前まで辿り着いた。
あんな事件の後だ、流石に何か慰めの言葉の一つくらいはかけてやらねばなるまい、と冷静な頭では分かっている。事件の関係者には固く口止めをし、最早心配せずとも皇女や侍女の名が表に出ることはない。そう伝えて安心させてやれば良い。
しかし、いざセラスティアの部屋の扉の前へ立ってみると、逃れられぬとは分かっているが気が重い。また何と言って詰られるのか。それともまた扇で打たれるのか。責め立てるような珊瑚色の瞳に真正面から見つめられるのは、どうにも心がざわついた。
考えれば考える程、ズキズキとこめかみが締め付けられるような痛みに苛まれる。ザカリアスは、面倒事はさっさと片付けるに限ると覚悟を決めた。
「………皇女殿下。私です、ザカリアスです」
コンコン、と控えめに扉をノックし、声をかける。だが返事はない。
「……殿下?」
屋敷の誰も、出歩く姿を見ていない。ならば部屋にはいるはずだ。なのにやはり、幾ら待っても返事はない。ドアノブをそっと回してみれば、中から鍵がかかっている。
ザカリアスは嫌な予感がした。
義母は、殿下はあれ以来酷く塞ぎ込み、ここ数日は食事も喉を通らない様子だった、と言う。だとしてもあのしたたかな皇女に限って、自ら死を選ぶことなどあり得まい。
だが、初めてこの屋敷で向き合った時。
死に損なった、いっそラスティカ王国に殉じるべきだった、と口にしたセラスティアの姿が脳裏を過ぎる。
真実を知って、いよいよもって世を儚んだのだとしたら?
「……クソ、ッ……!」
ガンッ!
ザカリアスは扉を踵で思い切り蹴り飛ばした。重厚な扉の鍵穴近くを蹴って無理やりこじ開ける。
「……きゃっ!」
「……!?」
ザカリアスは思わず目を見開く。
部屋の中には、ベッドの上で大量の書物に埋もれながら、片手に持ったサンドウィッチに食らい付くセラスティアがいた。
※※※
何故だか、予想とは違った形でザカリアスはセラスティアに詰め寄られていた。
蹴り破った部屋の中は、想像とは全く異なる意味で酷い有様だった。ベッドの上にも書き物机の上にも所狭しと書物とメモが散乱している。豪華で瀟洒な寝室には最早足の踏み場もない。
「ねぇ、あなたは貧しい庶民たちが被害を受ける、って言ったわね?『ラスティカの涙』なる薬物が街に蔓延すれば、常用し健康を損ねる者や高額な代金を支払えずに身を持ち崩す者も多くなる。ひいては風紀や治安も乱れていく。確かに、真っ先にその犠牲になるのは哀れな庶民達だわ……」
あれから、セラスティアは考えた。ラスティカ王家に所縁のある者として、何が出来るのか。どうすれば償えるのか。
不運と不幸を嘆き泣き寝入りすることなら誰にでも出来る。だが、セラスティアはそうはしなかった。知ったからには、目の前の悲劇から目を背けることなど、セラスティアの矜持と信念とが許さなかった。
まず部屋に引き篭もり、侯爵家の図書室から持ち出した古今東西の政治や経済、果ては薬学の専門書まで、寝る間も惜しんで手当たり次第に読み耽った。
食事に費やす時間も惜しくなり、調べ物をしながら片手で食べられるサンドウィッチで済ませるまでになった。
「薬物の広まりを防ぐのも勿論だけれど、せめて何か、被害を被った庶民達を救う手を打つべきなのではないかしら?」
セラスティアの周囲には、この数日で彼女が考えたらしき思索のメモが所狭しと散らばっている。細やかでありながら大胆な筆跡は、セラスティアの人柄を思わせた。
ザカリアスもあまりの惨状に言葉を失ったのか、黙っているのを良いことに尚も矢継ぎ早に続ける。
「……でも、実際に彼ら彼女らが何を求めているのか、何を為すべきか、本を読むだけでは分からないことばかり」
セラスティアは一度、言葉を切った。そしてその珊瑚色の瞳がザカリアスをじっと見据える。
「だから、ね……ザカリアス。この目で確かめてみたいの。わたくしを街に連れて行って頂戴」
思いもしなかったであろうお願いに、ザカリアスはいっそ呆れ返ったのか、これ以上ない程重い溜息を零した。
「……殿下。一体何を勘違いしているのか知りませんが……このような真似は二度とするな、と言ったのを聞いておられませんでしたかな?大体、殿下を街へお連れするなど、出来る訳が……」
「まぁまぁ!それは名案ですこと!」
突然割り込んできたのは、ザカリアスが最もこの場にいて欲しくないと今まさに心から願った人物であった。
大きな物音に様子を見に来たのだろう。開けっ放しの扉の陰から進み出たテオドラは鷹揚に微笑んだ。




