皇女のたくらみ
ミストリアス侯爵ザカリアスと聖王国第四皇女セラスティアの婚礼披露のお茶会は滞りなく幕を下ろした。
義母であるテオドラ前侯爵夫人の尽力や侯爵家自慢の料理人が腕を奮った甲斐もあって、招かれたお客は口々に新婚夫婦の幸せな結婚生活を寿ぎながら帰っていった。
だが、その日。
セラスティアだけは、眠れぬ夜を過ごしていた。
屋敷の中に用意された寝室のベッドに横になってからも、昼間の温室で交わした会話がずっと胸の奥でしこりとなって残っていた。
勇気を出して問い詰めたにも関わらず、結局ザカリアスの口から満足な答えは得られなかった。
(あと一年耐え忍んで欲しい、ですって?その一年もたたずして、ラスティカ王国は滅び去ったのではないの!)
ほんのひと月も経たぬ間に攻め滅ぼされた美しい国。セラスティアは無力だった。また何も知らず何も知らされず、お飾りの花として大人しく一年過ごせと言うのだろうか。
(ラスティカのことは良き想い出になんて……出来るわけないでしょう!あの男、あくまでも女は政治に関わらせないつもりなの!?)
セラスティアは耐え切れぬ苛立ちに、思わず、ぼふっ!と羽毛でふかふかの枕を打った。
ザカリアスを叩いたことをあれほど反省したにも関わらず、やっぱり目の前にあの陰鬱な顔があれば我慢がならなかった気がする。
(そっちがそのつもりなら、こっちにも考えがあるわ……!)
セラスティアはガウンを羽織り起き上がると、机に向かった。文箱を開け、上質な紙とペンとを取り出す。
東の空が薄紫に白んでも、部屋の灯りが消えることはなかった。
明くる朝、セラスティアはパティに身支度を整えられながら、鏡の前で切り出した。
「パティ、実はあなたにお願いがあるの」
「……はい?」
改まった頼み事の気配に、パティの表情がわずかに変わる。同じ乳を分け合い姉妹同然に育った二人にだけ分かる。昔から、こういう時の殿下は何かパティには思いも付かないような特別なお願いをするのだ。
「あの、ラグナル殿と言ったかしら、ザカリアス殿の部下の。彼のお家に誰か伝手はないかしら?結婚しているなら奥方か、それとも一緒に暮らすお母上かご姉妹か……メイドや料理人でも構わないわ。出来れば信頼できる人を」
パティはその人懐っこくて親しみ易く、マメな性格のおかげで、異様なまでに顔が広い。
どこそこのお屋敷の奥方の侍女だとかメイドだとか、果ては料理人や馬丁まで、聖都に親しくしている友人知人が数え切れないほどいる。
「探してはみますけれど……一体なぜ、そんなことを?」
「ザカリアス殿が何をしているのか、知りたいの」
ザカリアスは言った。
一年、耐え忍んで欲しい、と。
それはまだ、ラスティカ王国の一件は終わっていないということだ。
「ラスティカで何が起きたのか、これから何が起きようとしているのか……わたくしたちの手で調べるの。ザカリアス殿には内緒でね。パティ、あなたの力が必要なのよ……手伝ってくれる?」
「……まぁ!セーラ様ったら!」
パティはセラスティアの突拍子もない思いつきに振り回されるのは、正直言って慣れている。
共に離宮で暮らしていた頃から、何度そうやって悪戯や冒険の片棒を担がされて母や乳母から一緒に叱られたことか。
黙っていればガラス細工のような嫋やかな容姿に似合わぬ、皇女らしからぬ真っ直ぐで奔放な気性に、呆れつつもついわくわくしてしまう。
「勿論、パティはどこまでもセーラ様と共に参りますとも!幾らでもお力になりますわ!でも……どうやって?」
セラスティアは儚げな蝶のような白金の睫毛を瞬き、うっとりと微笑んだ。
「……殿方には殿方のやり方があるように、女には女のやり方があるものよ」
※※※
眠れぬままに過ごしたお茶会の夜。
あの日から、セラスティアは山のような手紙を書いた。
勿論ザカリアスに向けてではない。
自身の、そしてパティやテオドラ前侯爵夫人の伝手を辿って、ザカリアスの事務官であるウィンストン卿の奥方へ、ラグナル殿こと、トルバー卿の妹へ。
他にも宮廷でザカリアスの部下として働く者達の妻子や侍女達へ。
一通一通丁寧に手紙をしたためた。
婚礼の挨拶にかこつけて、筆頭宰相たる夫に仕える家族の多忙をねぎらい、近頃何か困ったことはないか、何でも力になるということを細やかに伝えた。
そして、他愛ない世間話を織り交ぜて、それぞれの夫や父や主人である男達の動向を巧みに聞き出した。
こういう時、皇女の肩書きは絶大であった。
彼女達はこぞってセラスティアの気遣いに感謝し、丁寧に手紙の返事をくれた。誰にも話せぬ悩みを、教えてくれた。日に何度も手紙を運ぶ使者が屋敷と屋敷とを往復することさえあった。
中でも特に気になる話があれば、身軽に出歩くことの難しいセラスティアの名代としてパティが先方の屋敷まで赴いた。気の利いたお茶菓子を手土産に、彼女たちの生きた声を届けてくれた。
セラスティアは毎日自室の机に女達から届いた手紙を広げ、隅から隅まで読み返した。屋敷の図書室で見つけた聖王国やラスティカの家系図や貴族名鑑、商家の組織図から地誌学や大陸諸国の歴史書まで、片っ端から読み漁った。
海綿が水を吸うように、セラスティアは昼夜を忘れて没頭した。
小鳥の囀りのような小さな彼女達の真実の声が、一つ一つセラスティアの元で集い、形を成していった。
そうして分かったのは。
お披露目の茶会の二日後、ザカリアスが内々に百余りの兵を整え、とある倉庫を制圧したということ。
そして、それ以外にも市中に多くの兵を放ち、ラスティカに所縁のある者達を次々に捕らえていること。
そして、このところ部下の多くが二つの商家の内偵に駆り出されているということ。
二つの商家とは、西のフラー家と東のベルモント家。古くからラスティカ王国と聖王国との貿易を引き受け、対立しつつも共に発展して来た二つの家系は、それぞれがラスティカ王家に所縁の深い大商家である。
(……これが、あの男の言っていたラスティカ茶の粗悪品の取り締まり?それにしては……随分大がかりね)
だが、フラー家とベルモント家に関する調査は捗々しい成果が上がっていないらしい。
駆り出された夫がもう五日も帰ってこないと泣きつく妻からの手紙は、今朝手元に届いたばかりだった。
※※※
そして、二週間余りが過ぎようとしていたある日。
「『ラスティカの涙』……?」
その名が聞こえて来たのは、パティの友人であるという、宮廷書記官の娘からだった。
「えぇ、何でも彼女の話では、ラスティカ侵攻以来父上は随分お忙しくて、家にも書類仕事を散々持ち込んでいるそうですわ。それで、父上の書斎を片付けていた時に、押収品の欄にそう書いてあったのを見かけたのだそうです。ぁ、彼女は昔からお茶好きで!……でも茶葉の名前にしては聞いたことがない、って不思議がってました」
「そうね。わたくしも……聞いたことのない名前だわ」
セラスティアはパティと共に首を捻った。聞いたことのない呼び名だ。
けれど、何故だか不思議と胸騒ぎがする。二つの商家について内々に進められているという調査も、それを探していたのだろうか。
(でも、百余りの兵を動員して押収したものが、それ?まさか本当に茶葉の銘柄……では、ないわよね?)
「どうします?セーラ様」
「…………呼び出して、直接確かめるしかないわね」
「えっ!?でも、商人たちが素直に応じるでしょうか?」
「その為にこれがあるの」
パティは、はっと息を呑む。
セラスティアは愛用の文箱の底板を取り外した。セラスティアの紋章が彫り込まれたその木製の文箱の底板は、隠し扉になっている。
中から取り出したのは、ラスティカ王家の押印がある白紙の便箋だ。王家の公式文書に用いられるこの便箋は、セラスティアが戦火の迫るラスティカの王宮から逃れる際に、もしもの時の為にとこっそり持ち出したものだった。
「まさかこれを実際に使う機会があるとは、予想もしなかったけれど……」
セラスティアはペンを執った。
”親愛なる諸兄へ
貴殿らの活躍は我が方へも聞き及ぶところである。亡きラスティカの英霊もお喜びであろう。
ついては、最高級の『ラスティカの涙』を持参し、御前にて献上せよ。
王家への忠義を尽くした商家には王室御用達のお墨付きを与える。
参上せぬ場合は以後『ラスティカの涙』の取引を禁ずる。”
手紙を覗き込んだパティがぎょっとして目を見開いた。
「セーラ様、これって……」
「ラスティカ王家の名で、フラー家とベルモント家、二つの商家を同時に呼び出すの。怖気付いたり疑ったりして来なければ、他家に出し抜かれるかも知れない。理に聡い商人たちは多少の危険を犯してもこの商機をものにしようと思うのではないかしら」
「でも、そもそも『ラスティカの涙』が何なのかも分からないのに!」
「勿論、はったりよ。禁制品でも何でもないただの茶葉なら、約束通りお墨付きを与えれば良いわ。その場合、ラスティカ王家ではなくセラスティア皇女個人の、だけれど……」
あまりにも大胆不敵が過ぎる主人の作戦に、パティは呆れるやら感心するやら、開いた口が塞がらなかった。




