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3.秘石

「んー…っ、」


 梨飛は飛行場に着くと大きく伸びをした。華泉に待ってろと言われた場所でおとなしくしていた梨飛だったが、だんだんじっとしているのもつまらなくなって、背をもたれていた身を起こすと、後ろを振り返った。

 そこには巨大な壁があった。

 しばらくじっと見つめていた梨飛は、ふいに手を伸ばした。


「おぉ、つめた~っ。どおりで、背中が冷たかったはずだ」


 石にしては妙に白い壁に手を当てた梨飛は、ぺたぺたと触りまくる。

 ひんやりとした感触がこの熱すぎる日差しの中では心地よく、思わず頬をくっつけた。


「気持ちいいかも……」


 滑らかな表面は、傷一つなく、騎兜が生み出す刃のようだった。


「坊主、ここは初めてか?」


 突然男が話しかけてきた。


「そう、だけど……」


 欺丹のことがあって以来、どうも疑心暗鬼になってしまう。

 思わず身構えると、男はぶはっと吹き出した。


「そんな警戒なさんな。なにも捕って喰おうっていうわけじゃあるまいし」


 傷のある顔を歪めて豪快に笑う男は、困惑している梨飛の頭をがしがしとかき混ぜた。


「坊主、冷石(れいせき)が珍しいか?」

「冷石……?」

「この石さ」


 男はそう言って石を右の甲で軽く叩いた。 


「別名、水神の欠片ともいうがな」

「なに、それ。変なの。石なのに水神が関係あんの?」

「なぁに、ちょいとここに伝わる伝説さ。西領(リベル)がほかの領に比べて水に恵まれてるのは、こいつのおかげだって……」


 不自然に言葉を切った男は、なぜか梨飛を凝視し、驚いたように口をぽかんと開けた。


「おい……、続きは?」


長すぎる間に訝しく思いながら先を促したとたん、我に返ったらしい男は、がしっと梨飛の両肩を掴んだ。


「あ、あ……」

「っ、いたいよ……ちょ、力ゆるめ……」

「青い! 坊主、なんだね、その目は! てっきりこの国のもんかと思ったが、よそもんか!」

「────!」


 『よそもん』という言葉に梨飛の顔が強ばった。


「あ…、はな……」


 離せ、という声は割り込んできた声にかき消された。


「ねぇ、おじさん、礼儀ってもの知らないのかなぁ。あ~あ、これだから人間って……」


 柔らかな笑顔とは裏腹に、冷めた声音に潜む殺気に気づいてか、男の顔が見事なまでに引きつった。


「さっさとその汚い手を退けてくれる?」


 消されたいの?


 そう瞳が語っているようで、男はひっと小さく叫びながら逃げていった。

 それをつまらなそうに見つめながら、華泉が梨飛の方に視線を移す。


「梨飛? なにぼけっとしてるのさ。元々まぬけな顔立ちなんだからもっと顔を引き締めないと見られたもんじゃないよ」


 男を追い払ってくれたのは嬉しいが、なぜ一言多いのだろうか。


「ほらほら、なに眉間に皺寄せてるの。親切で優しい僕が搭乗登録をすませてあげたんだから、ぼぅっと突っ立ってないで行くよ。あ、その前に…ハイ、旅券。落とさないようにね。紛失届出しても見つからないから。手癖の悪い人も多いみたいだから盗まれないよう肌身離さず持っておくこと。梨飛ってば鈍感だし、抜けてるから」


 搭乗可能の判子が押された旅券をしっかりと梨飛の手に乗せた彼は、梨飛が虚ろな表情をしているのに気付き、笑みを消した。


「なに、まだ気分が悪いの? 山場は越したし、あとは激しい運動をしなければ疲れは出ないと思ったんだけど」

「気分はいいよ。ただ、ちょっと、ね……」


 首を傾げた華泉は、梨飛が居心地悪そうに顔を隠そうとしているのを見て、ああ、と納得した。


「あのおじさんの言葉気にしてるの? ほんと馬鹿だね。まあ、わからなくはないけどさ。僕たちが火の民って呼ばれるゆえんは、赤い瞳のせいだしね。この国で生まれる限り、たとえ異国の者であろうと他種族であろうと皆赤い瞳を持って生まれてくる。それは絶対」

「え……」


 梨飛は、華泉の言葉に顔を少し上げた。華泉の前髪に隠れていないほうの瞳をまじまじと見つめ、絶句した。


「う、そ……」

「嘘? もちろん嘘じゃないよ。まぁ、あまり知られていない事実だけどね」

「……やっぱ俺よそ者なんだ」


 ぽつりと呟いた言葉は小さすぎて華泉には届かなかったらしい。

 梨飛は華泉に引っ張られるように動いた。

 青空を背景に浮かび上がる真っ白な飛行船。

 立ち並ぶ家よりも巨大で、壮麗とした飛行船が、何隻も横並びに止まっている様は、圧巻であったが、憂える梨飛の心には響かなかった。


 身分の高そうな者たちの後に続いて梨飛たちも、帝都行きの飛行船に乗り込んだ。乗員に案内され、とても飛行船とは思えない美しい廊下を歩き、個室に通される。

 元気のない梨飛を慮っているのか、珍しく茶々も入れず向かい合わせに黙って座っていた華泉は、「これより上昇致します」とほとんど怒鳴りつけるような乗員の声を聞いて、梨飛に言った。


「窓の外を見てごらん。離陸するよ」


 華泉のその言葉に、梨飛は少しだけ視線を向けた。

 機体がゆっくりと上昇する。

 遠くなる地面を追っていた梨飛の瞳は、硝子の窓がなければ届きそうなくらい近い青空を映して歓喜に輝いた。とぎれとぎれの雲が、青と解け合って薄く尾を引く様は、芸術家たちが描く絵よりも鮮やかな色合いだった。


「す…、ご……っ!」


 人の姿も点より小さくなり、消えていく。立ち並ぶ建物は、おもちゃのように小さくて、まるで自分が巨人か、さもなくば鳥になったような気分にさせられた。

 水平線の向こうに見えるのは、清き大河(ラシェル・セーフィ)だろうか。透明な川が静かに横たわっていた。

 梨飛は、鬱とした気分も忘れ、その光景に魅入っていた。

 高い金を払ってでも乗りたくなる気分が梨飛にもよくわかった。


「快適だろ? さすが、上流階級の者たち用に作られているだけのことはあるよね。全部屋個室で、中の作りも豪奢で鮮麗されているし、馬車ではなく飛行船で町を移動したくなる気持ちはわからなくもないね。馬車は窮屈だし、揺れるし、時間かかるしで、あんなもの二度と乗りたくない」

「華泉も飛行船のほうがいいって思うんだ」

「乗る人の気持ちがわかると言ったんだよ。僕は、飛行船に乗りたいとは思わないよ。自分で飛んだほうが早いと思っているからね。それに、この飛行船に乗るお金がすべて帝王の私財になるかと思うと乗る気をなくすね」

「か、華泉!」


 この国の王に向かって何と言う口のききかただろう。言っていいことと悪いことがあると咎める梨飛に、華泉は冷笑を浮かべ、


「本当のことだろう? 君は、愚鈍で無能な帝王のおかげで、市民がどれだけ被害を受けたかわかっていないようだね。歴代の王の中でも際だって頭の悪い王のせいで、貧富の差はますます広がり、各国との間に剣呑な雰囲気が漂っているんだ。親交の厚かった燐国のヨークラン大国とは、ここ何年も連絡を取っていないようだしね。いくら十聖長(ラ・フィルト)の傀儡だからって、王は王。彼にしかできない仕事もあるのに、彼は各国の王が平和について協議する会談を欠席し、国々との軋轢を生んだ上に他国の貿易を禁止し、飛行船に乗って観光することも律した。さっき飛行場で見ていて気付いたでしょ? あそそこにいたのは、この国の者たちだけ。本来なら、他の国々の人であふれ返っていなければならないっていうのにね。本当に愚かで、救いようがない馬鹿だね、今の帝王は」

「い、言い過ぎだって……」


 饒舌な舌は、ことさら辛辣に、毒を込めてはかれる。飄々としていたのが嘘のような冷たい眼差しを向けられた梨飛は、少し身を引いた。


「言い過ぎ? 何が? どこか? 本当のことなのに? 悪口には耳ざとい帝王がこんなところにいるとでも? まぁ、聞こえたっていいけど」

「嫌い、なんだ。王様のこと」

「大嫌いだね」


 吐き捨てるように言葉を紡ぐ華泉の瞳には、(さげす)むような色が浮かんでいた。


「…………」


 梨飛は華泉の言葉に何と答えていいかわからず、沈黙した。

 黙ってしまった梨飛に、華泉も何も言わなかった。

 二人の間に気まずい空気が流れた。

 仕方なく梨飛は、座り心地のよい長椅子の背にもたれかかった。そのまま、ゆっくりと瞼を閉じた。昼間よりは毒が抜けたので、さほど気分は悪くなかった。

 外と違って、飛行船の中は蒸し暑くなく快適だった。空調装置が備わっているか、天井の開いた隙間から涼しい風が流れ込んでくる。


   ガタンッ


 いつの間にか寝入っていた梨飛は、突然の揺れに、長椅子から転がり落ちた。


「……ッ」


 したたか打ち付けた尻をさすりながら椅子に座り直すと、華泉がいないことに気付き眉を寄せた。

 かっこ悪い場面を見られなくてよかったが、華泉はどこにいったのだろう。それに、あの揺れは一体……。

 広がる不安に疑問がゆっくりと浮かび上がる。


「なんだ? あの空──」


 梨飛は窓にへばりつくと目を見開いた。

 真っ黒な霧状の薄い雲が、まるで蜘蛛の巣のように空を覆っていた。

 飛行船は、ゆっくりとその中へ進んでいく。船体がふりこのようにぐらぐらと揺れる。地震(クラシュ)のように激しくはないが、船体が宙に浮いているため、心許無い感じがした。

 梨飛は、窓枠に掴まって、揺れをやり過ごした。


 けれどしばらく経っても振動は小刻みに触れた部分から伝わってきた。

 窓から見えるのは、晴れ渡った空ではなく、吸い込まれそうなほど深い闇だった。

 窓に触れる闇は、少し色が薄く、灰色がかっていたが、どこか嫌な感じがした。夜の暗闇とは正反対の、落ち着かない、恐怖しか浮かばない、ねっとりとした陰の気を宿した雲。じっと闇の先を見つめていると、黒に赤が混じり合った気がした。


 ぞくりと肌が粟立つ。


 頭の中で危険信号が鳴り響いた。


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