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梨飛は、目の前でお茶をすする華泉を見つめながら、こっそりと嘆息した。
ごろつきや悪漢が多い中で、優雅なしぐさで食事をする華泉の姿は、ひどく似つかわしくなかった。純白の外套は光沢があり、彼の品のある優美な容貌を際立たせるようだった。右手にしている黒皮の、掌だけ覆った手袋もお洒落だ。
しかも、甲の部分に金の糸を使って星の刺繍がされているのが、なんとも鮮やかだった。
貴華族の令息だろうか。まさか、王族じゃないよなぁ。
梨飛は、美味しいとはいえない食べ物を、黙って口に運ぶ華泉をしげしげと眺めながら思案した。
彼が特殊隊の一員でないのはわかった。術を操れるぐらいだから、普通の人でもないだろう。
(俺のことを救世主って呼ぶんだから、俺が神使候補だって知ってるってことだよな。ってことは、神聖者?)
いや、神聖者だったら神殿にいるはずだ。こんなところにいるはずない。そう思い直したところで、華泉が顔を上げた。
「僕の顔に何かついてる?」
華泉は、不躾な視線にも嫌な顔一つせず、穏やかに微笑した。
「別に何も……」
ちょっと気まずくて、視線を彼から外した。
「そう? ならよかった。それにしても見つかってよかったね。その短剣。とても大切にしてるものなんでしょ?」
彼は、箸を置くと、梨飛の腰に差してある短剣を指した。
「どうかな……」
素直に認めるのが悔しくて、曖昧に濁す。
「嘘つき。民主兵に捕まって引っ張られていく盗人相手に噛みついていたくせに。俺の短剣返せって。すごい剣幕だった。あれには僕もびっくりしたけど、迫られたおじさんの引きつった顔ったら! まるでどう猛な獣に襲いかかれたみたいな顔しちゃって! 真っ青な顔で、自分を捕らえている民主兵に助けを求めるんだから、まったく馬鹿丸出しで、いいさらし者。あぁ、けど久しぶりに笑ったかな。うん、本当に楽しかった。吟遊詩人が語る物語よりも見応えのある一幕だった。恐れを知らぬ勇猛果敢な勇者──退治されるは極悪非道の悪党ってね」
その時の情景を思い出したのか、くすっと笑った華泉は、仏頂面の梨飛に目を留めて、ますます笑みを深めた。
梨飛はそっぽ向いたまま黙り込んでいた。
あの後────。
華泉に助けてもらった後、梨飛が華泉といるのをみて、やばいと悟ったのか、慌てて逃げようとしていた欺丹と女将を難なく捕らえたのは華泉だった。あの梨飛を助けた時のような不思議な術を使って、逃げられないよう床に足を縫い止めていたらしい。
暴れる彼らを、たまたま巡回中だった民主兵に引き渡したわけだが、俺はなんもしてねぇとシラを切る欺丹に、ついキレて、自分の倍ほどある男に掴みかかり、盗まれた物の在処を吐かせただけだ。
『ヒッ、ヒィィィィ、お助けあれ! お、女将んとこだっ、た、短剣は女将んとこにある!』
いい年をした男が、子供に怯える姿は、華泉の言葉どおり滑稽だった。
まぁ、盗まれた物がすべて戻ってきたのだから、痛めつけることはしなかったが。
(旅券もお金もそのまんまでよかった)
梨飛を始末してから、質屋に持って行く気らしかったが、何度も同じ事を繰り返しているわりに、ずいぶんと悠長なことだ。
まぁ、そのおかげで梨飛の命と荷物は無事だったのだが。
彼らは常習犯で、民主兵も怪しいと睨んでいたらしい。
牛車引き裂きの刑は免れないだろう。人殺しまで犯していたらしいから。
「けど、そんなに大事なんだ」
含むような物言いに、眉を潜めた梨飛が横目で見ると、
「真っ先に短剣の行方を訊くぐらいだから、君にとっては、お金よりも価値があるものなんだろうね」
ふふふと目を細めた。
「……………」
「知ってる? 鞘に散らばっているのは、水晶じゃなくて石だよ。──聖石。しかも力の宿ったね。素人目じゃ、ただの飾りにしか見えないけど、僕にはわかるよ」
「なに……?」
「あぁ、ごめん。それは知らないんだっけ? じゃあそれが、実の両親と梨飛とを結ぶものだってことは知ってるのかな?」
梨飛は唖然とした。
何を言ってるんだ? こいつ。
「なんで…、知って……」
騎兜と自分だけの秘密だと思っていたのに。
「さあ、どうしてだろうね」
華泉は、謎めいた微笑を浮かべると水を口に含み、そのまま木製の湯飲みを片手でもてあそぶ。
「父さんから聞いたんだろ?」
華泉と父が知り合いなんて考えられなかったが、それ以外思いつかなかった。
「まあ、そんなところかな」
「いつ?」
「さあ、いつだったかな」
このガキ! 頭にきた!!
梨飛は、キッと華泉を睨み付けると乱暴なしぐさで席を立った。
「人をからかうのもいいかげんにしろよ。ここでお前とはお別れだ。じゃあな」
梨飛は、華泉に背を向けると、なんだ、子供同士の喧嘩か、と騒ぎ立てる男たちの間を縫うようにして歩いていった。下品な笑みを浮かべながら、好奇心丸出しにする悪漢たちを無視しながら店を出る。腹が煮えくり返るようだった。
この町に来てからいいことないな、と肩を落としながら道をゆっくりと進む。
外の空気に触れながら沸騰していた頭を冷やす。
南領より少しばかり冷たい風は、水分を含んでいるようだった。
梨飛は、梨飛が住んでいた南領より被害を受けていない町並みを見つめ、歩む速度を緩めた。
ギゼの実の後遺症がまだ残っているようで歩くのが辛かった。一応毒消しの薬は、民守兵から貰って飲んだのだが、あまり効かないようだ。
細い横道に入ると石造りの壁にもたれかかった。
石の冷たい感触が、服越しに伝わってきて心地好い。そのままずるずると地べたに座り込む。
「ああ、そうだ。飛行場に行かないと……」
朝から色々あってすっかり忘れていたが、そもそもここに来たのは、飛行船に乗るためじゃないか。
梨飛は重い腰をあげた。瞬間、軽い眩暈が襲い、よろけた。
「やば……」
石畳の上に激突する、と思わず目をつむった刹那、身体はふわっと浮いていた。
この感覚は……。
そっと瞼を開いた梨飛が見たものは、にっこりと微笑む華泉の姿だった。
「大丈夫? あまり無理しないほうがいいよ。あの薬はあまり効果がないからね。飲んだ直後は、薬が回って身体が軽くなるけど、時間が経つと毒が再び回り始めるんだよ。一日休めば、毒は抜けるよ」
そういう話は、飲む前に言えよっ。
梨飛は顔を引きつらせると、
「なんでお前がここにいんだよ」
「なぜ…って、そりゃ、僕が君の後を追いかけてきたからに決まっているでしょ? やだなぁ。偶然とでも思った? 世の中に必然はあっても、偶然なんてものはないんだよ。君に謝ろうと思ってね、後をつけてみたんだけど、案外気づかれないものだね。梨飛が鈍感なのかな。あぁ、怒った? 頬がぴくっと動いた。じゃあ、さっきの分も含めて謝るよ。僕が悪いんだろうね。そうは思いたくないけど。まぁ、一応ごめんね」
しおらしく頭を下げる華泉に、梨飛のこめかみが波打った。
謝罪の言葉にしてはずいぶんな言い様だ。
けれども、今の梨飛には反論する気力もなかった。
「……んで、ほんとは何しに来たんだよ」
「ふ~ん。少しは賢いようだね。まあ、僕に比べたら天と地ほどの差はあるけど。これから飛行船に乗るんでしょ? その体で飛行場まで行くのは無理そうだから、優しい僕が付き添ってあげようと思って」
「絶対裏があるだろ。何が目的だよ」
疑り深くにらみ付けると、華泉は大げさなまでに目を見開いてみせた。
「やだなぁ。人を疑っちゃいけないってお父さんから習わなかった? 僕がそんな極悪非道に見えるかな。あーあ、なんか心外。人の好意と親切は、たまには素直に受け取っても損がないと思うけど。あ、そっか。あのおじさんに騙されて、少しは警戒してるとか? ああ、なるほど。ちょっとは学んだね。けど、そんなに疑心暗鬼にならなくても、僕は君を騙したりしないよ──多分」
「って、多分かよっ」
だるさも忘れて、思わずつっこんだ。
「うん。ほら、僕って正直者だから嘘つけなくて」
「………………」
「あはは、やだなぁ。黙り込んじゃって。まあ、道中よろしく。僕も梨飛と同じで、神殿に用があるんだ」
なんで神殿に行くこと知ってるんだ?
なんて疑問に思いつつも、自分が神使候補であることを知ってるなら、行き先くらい知っているかと思い直す。
「信じたくないけど、華泉って…神聖者?」
「僕が神聖者? うん、面白い冗談だね。あんな退屈なものになんてこの僕がなるはずないでしょ。知ってる? 幼くして連れ去られた神聖者の見習いは、一番輝かしい時代を勉強と祈りと規律に縛られ、閉鎖的な空間で生きていくんだよ。考えただけでもぞっとするね。若いならば若いだけ、冒険心や外へ羽ばたきたいという気持ちが強いのに、姿の見えない神に祈りを捧げ、声も届かない神相手に懺悔を繰り返してるなんて笑っちゃう。一日がそんなに単調で何が楽しいのやら」
まさに神をも畏れぬ冒とく者。
梨飛は、唖然呆然とした面持ちで、固まっていた。
くすくすと笑いながらそれを見ていた華泉は、笑いを止めるとまだ硬直している梨飛に近付いた。
「梨飛、歩ける? 急いでここを離れよう」
「……ぇ、ちょ…、ちょっと華泉!?」
華泉は、我に返った梨飛の手を掴むとその場から急いで離れた。
刹那、それまで梨飛がいた場所から火の手が上がり、爆発したかのように弾けて、膨れあがった。燃え上がった。真っ赤な炎が、まるで生きているかのように蠢くと、梨飛たちに襲いかかってきた。
「こ、これって……!」
「火満だよ。南領にも出たでしょ? 炎の悪鬼が。火満は、水が大好きで、近くにあるものをすべて燃やし尽くしてしまうんだ。凶暴ではないけど、魔術じゃないと消すことができないから厄介な悪鬼だね」
華泉は、梨飛の腕を自分の首に回すと梨飛が落ちないように支えながら跳躍した。
彼は向かってくる炎を避けると眉を寄せた。反対側も炎で塞がれていて、逃げ道がなかった。子供二人がやっと通れるくらいの道幅では、炎を避けるのも困難だった。
「おい、火事だぞ!! だれか来てくれ!」
燃え盛る炎に気付いた男が、大声で人を呼ぶ。
「中に人が閉じ込められてるみたいだ!!」
「民主兵はどうした!?」
「イヤだ。また怪奇現象かしら。昨日から変なことが起こってばっかね」
見物人や火を消そうと水を運んできた人々を目の端にとめた華泉は、少しばかり迷惑そうな顔をした。
「華泉、どうするんだよ。この悪鬼って俺たちのこと狙ってるみたいだし。無関係な人巻き込めないよ」
「どうしようかな。特殊隊も来ないみたいだし」
「そんな楽観視してないで、悪鬼をやっつける方法考えろよ!」
「んー、魔術を使って葬ってもいいけど、それじゃあ、すぐ終わっちゃってつまんないし。人がいなかったらもう少し楽しめたんだけどね」
「おま…、本気で言ってんのか!?」
「やだなぁ。もちろん冗談に決まってるじゃない」
華泉は、楽しそうに微笑すると梨飛から手を離して、彼を地面に座らせた。そして、短く呪文を唱えると掌から水色の光を生み出した。光を放つ球体は、掌の上でふわふわ浮かんでいた。
華泉は、それを火満に投げ付けた。鈍い爆発音と共に熱気が華泉たちに襲いかかった。
けれど、華泉がとっさに結界を張ったので二人とも無傷だった。
辺り一面に水蒸気が立ち込め、周りは深い霧が覆っているように真っ白だった。
「なんだぁ?」
「おい! 無事か!」
「や…、なんなのこれっ」
戸惑う声は、こっちに来ようとしていた者たちのだろう。
華泉は薄く笑みを引くと、
「梨飛、僕にしっかり掴まっててね。飛ぶよ」
え、え…っと、意味不明な声を発する梨飛を抱えたまま、宙に浮かび上がると三角形の形をした屋根の上に着地した。
そして、ふわっと跳躍しながら屋根を伝って人目のないところに移動した。
華泉は薄暗い裏路地に足をつけると、目を回している梨飛を見て笑った。
「大丈夫? 弱いなぁ。もしかして高いとこ駄目だった?」
「……うぷ、…、………っ」
梨飛は紙のように白くなった顔をますます蒼白にさせながらうめいた。
(くそーっ、覚えてろよ!)




