5話 第一王女フレア その2
俺が拳を構えると同時、フレアは地面を蹴り、ドレスをフワリと踊らせながら迫る。
それを回し蹴りで迎え撃つが、フレアは一歩下がってタイミングをずらして避け、瞬時に攻勢に出る。
「うりゃァァァァァァッッ!!」
「………………ッッと!!」
フレアの拳を左手ではねのけ、続く右拳を肘で受け流す。
フレアの体が浮いた隙に胴体を狙って蹴りを放つが、およそ人間とは思えない反射神経と身のこなしでかわされた。
「遅いわね!! それが全力?」
「手加減してるんだよ」
接触時に熱を送り込む『熱血』の対策は接触時間を減らすことだ。
熱の対策さえできれば怖くない。
フレアの小さな体では物理攻撃は強くないはずだから。
だから、接触に気を付ければ簡単だと思っていた。
しかし、フレアの身体能力の高さと回避技術は天才的だ。
俺の攻撃がかすりもしない。
それと、もう一つ。
「……………ッッッ」
「ふふっ、痛いんでしょ?」
少ししか当たっていないのに、左手がじんわりと熱を帯び始め、骨の芯から鈍痛がやってきた。
接触のたびに左手の温度が上がっているようで、段々と手の感触が薄くなっている。
予想以上にフレアは『熱血』を使いこなしている。
「そろそろ真面目にやらないとな」
「よく言うわ!! さっきから本気の癖に!!」
「いいや、本気ではないな」
「ふーん、じゃあ、『本気』見せてもらおっか?」
フレアが嗜虐的な笑みを浮かべ、手を伸ばす。
先程よりも多くの熱と殺意がこもったその手を、俺は逆に掴み返した。
「ッッッッッッ!?」
理解できないといった様子でフレアが驚愕する。
たまたま恋人繋ぎのように絡み合った指をきつく握りしめた。
当然、俺の手は焚き火に突っ込んだような高熱にさらされる。
「痛いけどッッ!! まだ動かせるなッッ!!」
繋いだ手を思いっきり上に上げた。
フレアの軽い体も宙に浮く。
フレアは体をひねり蹴りを放つが、上に上げた手を次は勢いよく振り回した。
「なッッ!? きゃぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
こうして振り回していれば、フレアは体勢が整えられず、攻撃できない。
その間も左手は焼かれるが、このぐらい我慢できる。
「放しなさいよ!! 変態!!」
地面に叩きつけようとするが、上手く受け身を取られて決定打にならない。
「放してやるけど!! ちょっと痛いぞ!!」
「はぁっ?」
振り回し続けたことでフレアの目が回り、完全に体勢が崩れた瞬間、手を離した。
フレアは空中で逆さになりながら、もがく。
隙だらけのフレアのみぞおちに、殺さないギリギリを見極めて、渾身の力で右拳をねじり込んだ。
「ウグッッッッ!!」
ろくに受け身も取れないまま、フレアは地面に激突した。
息ができない様子で口をパクパクさせて、お腹をおさえながら地面にうずくまる。
一方、フレアに触れ続けていた俺の左手は完全に感覚がなくなっていた。
パンパンに腫れていて、今すぐにでも冷やした方が良さそうだ。
「俺の勝ちでいいな?」
フレアは体を起こそうとするが、膝をついたまま立てないでいる。
「いいな?」
俺は念押しでもう一度聞く。
「……………ない………」
フレアが震える声で言った。
「なんて?」
「……………て……ない…!! …負け………て………ないッッ!!」
「それは無理があるだろ。今も隙だらけだぞ」
俺の言葉が聞こえていないのか、フレアの言葉は止まらない。
それどころか、フレアの体から湯気がのぼり始めた。
「熱血で強引に回復力を上げてるのか。
だが、回復するまでの間は動けないだろ?
繰り返すが、隙だらけだ。負けを認めろ」
顔を上げたフレアの瞳が紅く輝く。
「私はァァッッッ!! 負けてないッッッ!!」
苦しそうに立ち上がり、睨みつけてくる。
厄介だ。
負けているのに負けを認めない。
報酬がフレアの口約束である以上、フレアが負けを認めない限り、俺の要求は通らない。
かと言って、ボコボコにして負けを認めさせれば、約束そのものを反故にされるかもしれない。
俺の考えていた穏便な落とし所はさっきの一瞬だった。
これ以上やればフレアを大怪我させる。
それに俺も危ない。
俺と違い、殺す気でやってるフレアは手加減しない。
さっきの掴んで殴る戦法も、警戒されてしまってる今は通用しないだろう。
それに左手の感覚はないし。
だから、これ以上まともな手はない。
フレアのことをちょっと舐めてたな。
もうちょっと楽だと思ってたんだが。
「続きをやるわよ!!」
目をギラつかせたフレアは俺の返事を待たず動く。
「…………きついな」
フレアが迫ると同時、熱気が押し寄せた。
たまらず目を閉じた瞬間、フレアの拳が眼前に迫る。
「隙だらけよ!!」
熱い拳が顔面に触れた。
膨大な熱が送り込まれ、顔が腫れ上がる。
まぶたが腫れ上がったせいで、左目は見えなくなった。
しかし、直前に顔を反らせたことで右目はまだ見える。
「クッッッッ!! この程度ッッ!!」
感覚の残っている右拳で殴るが、熱気の感触しかない。
「どうしたの? もしかして、まだ手加減してるぅ?」
煽るようにフレアが笑う。
感覚のない左手を右手で強引に拳の形にして構えた。
「まだまだこれからさ!!」
視線を動かすが、フレアの生み出した湯気で視界が曇り始めていた。
ドレスについた貴金属が湯気の向こうで怪しく光る。
突如、湯気を吹き飛ばして、フレアが現れた。
「近ッッ……!!」
反応が間に合わず、フレアの拳が腹をえぐる。
パンチは子供の力だが、その直後、体内が燃えるように痛みだした。
「ウグッッッ!! アァァァァッッッ!!」
体内の空気が熱せられたことで膨張し、腹が爆発しそうになった。
その腹をフレアが思いっきり蹴り飛ばす。
「ねぇ? 回復するの待ってあげようか?」
膝をつく俺をフレアが見下ろす。
さっきと立場が逆転していた。
「いや………大丈夫だ……」
筋肉で体内の破裂しそうな空気を抑え込み、立ち上がる。
油断しているフレアのみぞおちに拳を叩き込こもうとするが、その姿は揺らいだ。
「なに……!?」
「陽炎よ」
揺らぐ姿がかき消えると、フレアが回避不能の距離で拳を構えていた。
とっさに右腕でガード。
攻撃を受けた右腕の感覚が遠くなった。
両腕がじんわりと燃えるように痛み、感覚は消えている。
近接戦闘で殴る蹴るを攻撃手段としている俺には致命的な痛手だった。
「どうしたの? いつまで膝をついてるのよ。
立ちなさい。また膝をつかせてあげるわ!!」
フレアに攻撃されることを理解しつつも、立ち上がる。
フレアは滑り込むように足を潜らせ、俺の腹に拳を深く突き立てた。
「ゴッ………ハァッッ」
衝撃で口から爆発したように空気が漏れる。
だが、深く胴体に刺さった拳は今なら掴める。
そう思い、感覚のない手を伸ばした。
「同じ手は食わないわよ!!」
即座にフレアが俺の股関を蹴り上げる。
「ウッッッ………………!!」
朦朧とする意識の中、最後の攻勢に出た。
両腕を広げ、フレアの体を抱き締める。
「なっ!? なんのマネ!? 変態!!」
赤くなった顔に呼応するように全身が焼かれる。
だか、手の感覚がない以上、捕まえるにはこの方法しかない。
「全身を黒焦げにされたいのね!!」
フレアの心臓の鼓動とともに熱が送り込まれる。
しかし、
「俺は……まだ動ける…………」
感覚はないものの、力を入れればフレアを強く抱きしめることができた。
「い、痛いッッ!!」
腕の中でフレアがもがく。
華奢な体はミシミシと音を立てていた。
「俺の勝ちだ………!!
俺が本気なら背骨が折れてお前は死んでる……!!」
「はぁッ!? 私が本気ならその前に黒焦げになってるわよ!!」
ここにきて、俺は心の中で微笑んだ。
「いや、俺の勝ちだ。黒焦げになるより早く背骨を折れた」
「わ、私は手加減したのよ!!
あなたのお腹が爆発して、内蔵がかかったら嫌だから手加減したの!!」
「いや、本気でやっても俺の方が早い……」
「私の方が早いわよ!!」
「俺だ」
「私よ!!」
激昂するフレアを束縛する力が少しずつ緩んでいく。
全身の感覚は失われ、頭がぼやっとしてきた。
重力の感覚が抜け落ちたせいで地面がわからない。
ここまで、だ……な…………………。
* * * * *
「って、いつまで抱きついてるのよ!! 変態!!
離れなさい!!」
フレアはユーシの体をドンッと突き飛ばす。
すると、一切の抵抗はなく、フレアの体は開放された。
「えっ?」
停止した思考はユーシが地面に倒れる音でようやく動き出した。
「な、何してるのよ!! 立ちなさい!!
仕切り直しよ!! 決着を付けるわ!!」
フレアの声は虚しく響く。
倒れたユーシは目を閉じたまま動かない。
「そ、そうゆう作戦ね!!
倒れたふりして、私が近づいたら攻撃するつもりでしょ!!」
やはりピクリとも動かない。
「そのまま倒れたふりを続けるなら、あなたの負けよ!!
立ちなさい!! 立って再開しなさい!!」
たっぷり10秒待ったが、ユーシの体は全く動かなかった。
「わ、私の勝ちね!!
わかってる!? あなた負けたのよ!!
………ねぇッ!! 何とか言いなさいよッッッ!!」
ユーシの顔面を思いっきり蹴り飛ばしたが、それでも反応はない。
「そ、そうだ!! そこにいる護衛!!
見てたでしょ!? 私の勝ちよね!?」
他の護衛が戸惑った反応を見せる中、グレイグは即座に大きく頷いた。
「えぇ、もちろんフレア様の勝ちですなぁ。
なぁ? お前たちもそう思うだろ?」
グレイグにつられて、他の護衛も頷く。
その光景を見て、フレアの心に違和感が浮かんだ。
最後は接戦だったはず。
そんな即答できる訳ないのに。
なぜ、護衛は即答できるの。
体の熱が抜け始め、頭が冷静になるにつれ、わかりたくもないことがわかってしまう。
「………クッッ」
奥歯を強く噛み締めた。
なぜ即答できるか? そんなの簡単だ。
護衛の任務なのに後ろに下がらせてきた。
従わないやつはクビにしてきた。
だから、ここにいるのは私を肯定する人間ばかり。
私が勝ったからじゃない。
私が第一王女だから、こいつらは私の勝ちって言ってるんだ。
「さぁ、フレア様、帰りましょう。勝った訳ですし」
「うるさい!!」
まだ勝ってない。
いや、むしろ………。
私は全力で、本当に殺す気だった。
それなのに、あの男は私を殺さないよう手加減していた。
手加減が嘘じゃないって気付いてた。
みぞうちを殴られたときに動けなくて、隙だらけだったのもわかってた。
認めなかっただけで………………私は……負けていた。
ポロリと涙がこぼれた。
あまりにも悔しくて。
負けたはずなのに、勝ったことになっているのが悔しくて。
駄々をこねて、勝ってしまったのが虚しくて。
「………帰る……」
「ん? すいません、よく聞こえませんでしたぁ」
グレイグが無神経に顔を覗き込んで来る。
泣き顔を見られたくなくて背中を向けた。
「帰るって言ってるの!! すぐ!!
その男を急いで王城に連れて帰りなさい!!」
グレイグは黙って頷き、ユーシを背負って走りだした。
* * * * *
グレイグはユーシが死ぬ前に治療が間に合うよう、全力で走っていた。
少し後ろをフレアが意気消沈した様子でついてくる。
「兄ちゃん、無理しすぎだぜ。借り1つだ。絶対返せよ?」
グレイグは気を失ったふりをしているユーシに小声で語りかける。
「ふ……ざけ………んな………」
ボロボロになってはいるものの、ユーシはギリギリ意識を失っておらず、グレイグに反論しようとする。
「う~ん、元気そうだぁ」
グレイグはニヤッと笑った。