26話 執筆
砂の大地に小さな石の墓を立てた。
アルクタの墓だ。
死体は決闘の魔導書に吸収されて消滅したから形だけ。
軽く手を合わせていると、懐でパタパタと生命の魔導書が騒ぎ始めた。
「わかったよ。契約の履行といこう」
生命の魔導書と俺は契約の魔導書を使って契約を結んでいる。
生命の魔導書には俺にしか魔法を使わないことと、記憶の転写を指示した。
だが、ここで重要なのは、契約の魔導書は一方的に契約を強いるものではないことだ。
互いの意思で結ぶことによって、真の効果を発揮する。
だから、俺も生命の魔導書に約束した。
「ほら、魔力だぞ」
ありったけの魔力を生命の魔導書に流し込んだ。
植卵の魔導書で生物になった生命の魔導書は、自分で自分を改造できる。
魔力さえあれば。
そのための魔力を提供するのが俺の契約内容だ。
生命の魔導書はさっそく魔法で自身を変身させ始めた。
表紙からは小さく柔らかな羽毛が生え始め、本の形そのものが根底から変わっていく。
頭が生え、翼が伸び、細い足が飛び出した。
どうやら生命の魔導書は鳥になりたいようだ。
翼は全長2メートルぐらいある大きな鳥だ。
種類は不明。この世に存在する鳥なのかも不明だ。
そして、生命の魔導書は翼を広げた。
ぴょんとジャンプしてバサバサと羽ばたくと、地面に突っ込んだ。
それを数回こなして、だんだんと空気の捉え方がわかったらしく、ついには空へと飛び立った。
頭上を2、3周すると生命の魔導書は遠くの空へと行ってしまった。
あっけないものだ。
「長い間、ありがとうな」
生命の魔導書を見送った後、砂風を避けるために近くの家に入った。
静かな家の中には銃殺された死体2つにその犯人と思しき男の首吊り死体。
父親だろうか?
魔物に襲われる前に一家心中したようだった。
しかし、近くを魔物が通った様子はない。
他の道を抜けていったようだ。
怯えてうずくまっていれば、死ななかったかもしれない。
「ま、ちょうどいいし、使わせてもらうか」
プラプラと風に揺れる死体を下ろし、3人の死体を他の部屋に移動させた。
広々とした中央の大きなテーブルに腰を据え、異空間から、かつては魔導書だったまっさらな紙を取り出した。
「魔導書作りなんて初めてだからな。慎重にいこう」
短く伸びをすると、紙束に視線を落とした。
先代の魔王にそそのかされて始まった俺の挑戦。
最初、上手くいけばサヤ姉が蘇ると思っていた。
だが、魔王になってから『魔導書辞典』という本の存在を知ることになる。
全ての魔導書の内容が細かく正確に書かれたものだ。
今でも魔法で加筆されている不思議な本で、これ自体も魔導書だ。
それぞれの魔導書で何ができるか、何ができないか。
魔導書辞典に書かれている通りだった。
そうなると自然な流れで時の魔導書の記述を見てみようとなる。
俺が期待していたのはサヤ姉を生き返らせること。
しかし、それを時の魔導書で実行するのは難しいようだった。
例えば、りんごがあったとしよう。
これを握りつぶして、すぐに時を巻き戻す。
これならりんごは元の形に戻る。
だが、りんごを半分囓ったあとに巻き戻しをしても、りんごは囓られた状態にしか戻らない。
時の魔導書には失われた部分を補う能力はないからだ。
だが、アルクタがやったように特殊なポーションで肉体の体積を増やしてから巻き戻しをすることで、過去の鍛え抜かれた大きな体に戻ることができる。
同じような方法でサヤ姉を生き返らせることも可能だ。
骨でも髪の毛でもいい。
体の一部があれば、どうとでもなる。
魔王になってから時折、魔王城を抜け出して、サヤ姉と別れたあの場所を探した。
先代魔王によって砂に変わった町。
その地下空間に残されたサヤ姉の死体は………消えていた。
骨の欠片でもないかと探し尽くしたが、見つからず。
しばらくして、そこに人が来ていたと知った。
残された魔導書がないか見に来たのだろう。
おそらくはそのときにサヤ姉の死体が見つかり、どこかに移され埋葬されたのだ。
何度も、何度も、情報を集めては地面を掘り返し、使えそうな魔導書があれば試した。
広大な大地に俺の踏まなかった土はないだろう。
そう思えるほどに時間をかけて、ようやく。
…………………………俺は諦めた。
サヤ姉は蘇らない。
現実に打ちのめされた。
それでも、この体では死ねない。
苦しくとも、絶望しても、終わることはできない。
そこで全てを終わらせるため、結局は先代魔王の導き通り、俺は時の魔導書を手に入れるしかなかった。
だが、ふと思った。
数多ある魔導書を使って、死ぬ前にサヤ姉に会えないかと。
どんな形でも良い。
魔導書辞典をめくり続けたが、気に入った魔導書は見つからなかった。
だが、辞典の最後のページに魔導書とは関係のない内容が書かれているのを見つけた。
煽るように『目当ての魔導書がない? ならば、己で生み出せ』と。
そして思い付いたのが、魔導書の作成だった。
「思い出せ。記憶の中にある魔導書の一つ一つを。
型、構成、魔導書に込められた願い。
それらを汲み取り、理解し、俺の求める魔導書を作る!!」
頭から火が出そうなほど発熱しながら、思考を加速し、抽出した解を白い紙へと記す。
何時間もその作業が続いた。
めまいがして、瞳が乾燥し、口も乾いていた。
それでも手は止まらない。
ただ会いたかった。サヤ姉に。
そして、ついに一冊の魔導書が出来上がった。
「『追憶の魔導書』完成……」
どっと息を吐くと、体が一気に重たくなったように感じた。
生命の魔導書はもう手元にない。
超回復は失われ、この体は急速に弱体化している。
だが、追憶の魔導書が完成した今、強大な力は必要ない。
あとは、この魔導書を発動させるだけ。
「………………………………………ん…」
一瞬、メルヴィーとナナタが頭に浮かんだ。
それを強引に振り払い、魔導書に魔力を注ぐ。
紫の煙が魔導書から溢れ出し視界を覆った。
キラキラと視界が輝き始め、光の明滅が強くなる。
一際強い光に目をつむった。
「ちょっとー!! そんなところで立ち止まって、どうしたのー?」
眩しい陽光に目がくらむ。
ピントがなかなか合わない。
あぁ、ダメだ。
涙が出てきたせいで視界がぐちゃぐちゃだ。
「もう!! 一人じゃ歩けないんですか!! って聞いてる!?」
懐かしい声が近づいてくる。
顔を上げられないでいた。
必死に涙を拭い、おぼろげな視界にその姿を写す。
「どうしたの? 疲れちゃった?」
「……ううん。なんでもないよ。行こっ……!!」
元気そうなサヤ姉を見ると口元が緩んでしまう。
差し出された手を取ると、力強く、けれども、心配そうにチラチラと振り返りながらサヤ姉が手を引く。
温かい手。はつらつとした声。心配そうな視線。
それら全てが懐かしさに溢れていた。
「元気のないユーシのために、腕によりをかけて美味しい料理を作るからね!!」
「うん!!」
心の隙間に温かい感情が染み渡った。