25話 アルクタ戦 ④
凄まじい速度で景色が流れていく中、視界にはそれよりも速く動くアルクタがいた。
時の魔導書を無効化し、近距離で戦っている今、時の魔導書の恩恵はないと言っていい。
つまりは究極の肉体を手に入れた俺に、アルクタは生身で競り合っている。
全盛期のアルクタの速さと力強さは、人という脆弱な種族からは想像できないものだ。
「避けるばかりで手は出せぬかッッ!?」
見たこともない連撃を仕掛けてくるアルクタは合間に口を挟む余裕も見せてくる。
「当たってないけどな」
俺も返事をしつつ、刀を紙一重でかわす。
その度にアルクタの顔が歪んだ。
新しい肉体は直感でそれ以上動く必要がないと教えてくれる。
ギリギリで避けているように見えても、アルクタが優勢で戦っていたときとは話が別だ。
どれだけ振っても刀がかすることすらないため、アルクタは焦っている。
このまま続けていれば、いずれ気付くだろう。
この紙一重が実力の差だと。
「それにしても……」
肉体の調子が遥かに良い。
これまで生命の魔導書の能力を全く引き出せていなかったことが今更わかる。
先代魔王が俺を放置していたのは正解だった。
誰も、所有者である俺自身も触れられないことで生命の魔導書は封印できていた訳だ。
だが、そう考えるとやはりアルクタの異常性も際立つ。
人類が魔物を脅かした過去、そのときに人類を導いたのは間違いなくアルクタだ。
アルクタの全盛期はまさに無敵だったのだろう。
頑強な肉体から生み出される、芸術のような剣技。
立ち塞がる魔物は尽く、それこそ、魔王であっても斬り伏せられた。
しかし、アルクタが唯一、抗えなかったもの。
それが時の流れだ。
英雄と称された日々が一転、老人と揶揄されて、相手にされなくなった。
一瞬ではなく、長い時間をかけて絶望していったのだ。
そして、最後にアルクタは狂気に墜ちた。
もし、その時に奪った魔導書が生命の魔導書だったら、全てが変わっていたかもしれない。
魔物の優勢すらも。
だが、アルクタが選んだのは時の魔導書だった。
英雄だった過去に縛られていたのだ。
あの頃の自分に戻れば全てが好転すると、そう思ったのだろう。
「お主を殺しッッ!! ワシは栄光へと至るッッッ!!」
振り上げた刀はポキリと真ん中で折れた。
目を見開くアルクタには見えているだろうか?
速度を上げた俺の拳が刀をへし折り、アルクタの胴体に穴を空ける瞬間を。
よろめいたアルクタの足元に大量の血が流れ落ちる。
しかし、時が止まり、逆流し、アルクタの胴体に空いた穴はすぐに塞がった。
「……ッ………ァ……ハァ…………お主……まだ…全力では……ないなッッ………!?」
「俺の体はもっと動けるらしい。
アルクタはどうだ? 時の魔導書を使うだけで限界だろ?」
アルクタは時の逆流によって肉体を若返らせた。
しかし、ただ時間を戻せば、記憶も過去の状態に戻ってしまう。
だから、脳だけは若返っていないはずだ。
そうなると、若い肉体に老いた脳というギャップが生まれる。
その状態にいつまで耐えられるかは不明だが、長くはないだろう。
その前に……
「そろそろ体が馴染んできた。魔法を使わせてもらうとしよう」
「言わずに使えばよかろうッッ!!」
「言った方が効くんだよ。この魔法は」
俺の足元から血が溢れ出し、濁流となってアルクタに押し寄せた。
後ろに飛んでしっかりと避けたアルクタだったが、着地と同時に地面からも血が吹き出しアルクタを捉える。
世界を赤黒く染めた血は結界となり、俺とアルクタを世界から隔離した。
「決闘の魔導書、発動」
「ば、馬鹿なッッ!? 魔導書は消滅したはずッッ!?」
「確かに魔導書は消滅した。けどな? 内容は"頭"に入ってる」
「魔導書を丸暗記などできるはずがないッッ!!
そんなことをすればッッ!! 脳が耐えきれないはずッッ!!」
「俺の体が時の魔導書で少年になって、生命の魔導書で復活したとき。
こう思わなかったか?
『なんで記憶が保持されてる?』ってな」
「ッッッ!?」
一瞬は思ったはずだ。
しかし、予想外の事態の連続で考える暇がなかったのだろう。
落ち着いて考えれば、答えなど一つしかない。
「生命の魔導書の効果か……!?」
「そうだ。生命の魔導書は元々、情報を蓄積する特殊な魔導書だ。
ありとあらゆる状況に対応するべく、過酷な環境、強力な魔法、最適な戦闘法など全てを記録する。
そして偶然にも、生命の魔導書は俺の"頭"に住み着いた。
全てを記録する魔導書が。
結果、俺の記憶は全て生命の魔導書が勝手に管理するようになったんだ」
「一体化はそこまで……」
「俺の記憶が戻ったのも、生命の魔導書に同じものがあるからだ。
それをそのまま、脳内に写せばいい。
しかも、情報が入りやすいように生命の魔導書は脳すらも作り変える」
「そして、記憶が保持されることを利用して、魔導書を記憶したと言うのかッッ………!?」
「あぁ、これまで見た魔導書の全てを詰め込んだ」
「す、すべて………!?」
どういう意味かわかるはずだ。
時の魔導書を無効化できるようになった俺に対して、アルクタは生身で全ての魔導書の魔法を受ける。
アルクタは絶望して肩を落としたが、歯を強く噛みしめると、なおも抗おうともがく。
「俺はそれぞれの魔導書をただ覚えている訳じゃない。
脳の処理能力が上がったことで、それら全てを理解した。
魔導書の不備を正し、強力無比に改造したんだ」
まとわり付く血は鎖へと変化し、アルクタの力を持ってしても抗えない束縛を施す。
「縛りを追加する。
互いに魔導書を一冊放棄すること」
「なっっっ!?」
アルクタの唯一の魔導書、時の魔導書は絡め取られ、血の海に沈んだ。
俺も生命の魔導書を手放す。
「公平性の欠片もないッッ………!!
何が決闘の魔導書じゃッッ………!!」
「はなから対等に戦うつもりはない。
勝つために足掻いてきたからな」
放棄された時の魔導書を拾い上げ、中身を流し読みしていく。
これだけで脳内には時の魔導書が記録された。
「さてと、どんな殺し方でもできる状況だが……」
「さっさと殺せッッ!! それともワシをいたぶるかッッ!?」
自暴自棄になったのか、アルクタは無意味に鎖の中で抵抗する。
今にも舌を噛み切って死にそうだ。
その前に最後の仕上げといこう。
「なぁ、アルクタ。最初に会ったときから聞きたかったけど聞けなかったことがある」
「ふん、無意味な時間稼ぎかッ」
「……俺を覚えているか?」
「…………どうゆう意味じゃ?」
それを聞く意味がわからないようで、アルクタの威勢が弱まった。
「じゃあ、サヤは……サヤ姉はどうだ?」
「何を言っておる!!」
「……ナダさんは知ってるよな?」
「なぜ、お主がナダのことを………?
……………………まさかッ!? お主、あの場にいた少年かッ!?
そう考えれば、生命の魔導書が人に寄生していたのも納得がいく……」
「そうだ。あんたを倒すために立ちふさがった俺を生み出したのはあんただ。
自業自得ってやつかな?
何か一つでも違ったら、俺はここにいない。
あんたが扉を閉めていれば、変わったかもしれない」
「扉……? ……閉めておらんかったか………。
あのときは自分のことでいっぱいじゃったから………」
「あの後、魔王は俺を見つけた。
もし扉が閉まっていたとしても、サヤ姉と二人で魔王に殺されていただろう。
だから、別に閉められていた方が良かった訳じゃない。
どちらも悲劇ではあった」
「…………じゃ、じゃあ、ワシは………」
「でもな? 目の奥にこびり付いて離れないんだよ。
サヤ姉のボロボロになった姿が。
記憶力がいいのも考えものだ。
もし扉が閉まっていたら、俺はサヤ姉のあんな姿を見ずにすんだかもしれない。
そう考えるとあんたを許すことはできない
でも、こうして生命の魔導書を取り出せたのはあんたのおかげでもある。
だから、迷った。
戦いながら考えてたけど、一つだけ決めていたことがある」
「…………なんじゃ……?」
「あんたを殺すってことだ。
生かしておくと、あんたはまた何か良くないものに手を伸ばす。
かと言って、残虐に殺す気にもならない。
だから、あんたには老衰で死んだもらう」
「………老衰……? ま、まさか!?」
時の魔導書の内容を思い出す。
目次を辿り、文章を探り、時の早送りについての記述を発見した。
「ま、待て!! ワシが悪かった!! 謝る!! じゃからッッ!!」
「あぁ、あんたが悪い……」
アルクタの筋肉がしぼみ始めた。
絶望した表情で自身の四肢を見つめるアルクタの全身から筋肉が失われていく。
頬がこけ、細い骨に薄っぺらい皮膚が張り付き、背骨が曲がる。
皮は更に薄く途切れ途切れになり、白い骨が見え始める頃、眼からトロリと何かが腐り落ち、アルクタの体は倒れた。
衝撃で骨は粉へと変わり、血の海に沈んでいく。
「………終わった……のか」
結界の解除された空を見上げると日はまだ高い。
時の魔導書を異空間に放り込むと、足元の生命の魔導書を拾い上げる。
「やるべきことは残ってたな」