24話 アルクタ戦 ③
むかしむかし。
遥か昔の、先代の魔王に囚われていた頃。
いつも館は暗かった。
魔王が暗影魔法の使い手のせいか光は嫌われ、館内に光源と言えるものは設置されていない。
そのせいで夜は暗く、月明かりが唯一周囲の状況を教えてくれる。
そして、月明かりは今日、館の入り口で倒れる巨大な魔王を薄く照らしていた。
最初、それが魔王だとわからなかった。
だって、最強のはずの魔王の倒れる姿なんて想像できるはずがない。
暗すぎる闇夜の中、確かめるべく、大きな影に近づく。
「……やぁ、先に君が来たか」
弱々しく声を絞り出したのは、間違いなく魔王だった。
「だ、誰か呼んできます」
「その必要はないよ。執事がもう動いている」
いつもの優しい口調。
何事もなかったかのように立ち上がりそうにも見えた。
「無様だと思っただろ? 床に倒れて動けない僕を」
「い、いえ、そんなことは!!」
これまで絶対支配者である魔王に盾突いても良いことはなかった。
だから、いつものように回りくどく話をする。
「少し驚きました。魔王がそんな風になるなんて」
「ハハハ!! 僕はそんなに完全無欠じゃないさ。
君と違って、僕は死ぬ。その程度の存在さ」
諦めたように魔王は言う。
自身の死を悟ったらしい。
「君は僕のことを強大な魔王と思っているだろう。
だけどね? 僕は君が思っているほど大したやつじゃない。
例えば、この巨体だ。
この体を見ると皆が『魔王様の力強さを感じる』と言うんだ。
だけど、僕の本当の体はこんな大きさじゃない。
元は君よりも十数センチ身長が高い程度だった」
目の前にある頭だけでも僕の身長を超えそうなほど大きい。
それが元々は普通の背丈だったとは信じられない。
「前に話しただろ? 僕の家系は代々影を受け継ぐ。
強大なのはそれさ。僕は受け継いだ影を制御しきれなかった。
結果、大きな影に見合った大きな体になるまで、四肢を引き伸ばされた。
どうだ? 情けない話だろ?」
自嘲気味に魔王はぼやく。
と思ったら、その目がイタズラを思い付いた子供のように輝いた。
「そうだ!! 君に話があったんだ。
愚痴を話してる場合じゃないね」
「僕に話?」
これまで館に連れてこられてから、魔王は僕と一切関わろうとしなかった。
それが突然、話とは。
「そうだ。君にだ。
僕はねぇ、この館の主だから、この館の中で起こったことを把握してるんだ。
君とメルヴィーが銀エルフの少年を匿っていることなんかもね」
「…………ッッッ!? ……す、すみませんでした!!」
とりあえず謝っておいたが、頭の中は他のことでいっぱいだった。
館ということは、つまり、あの事も……。
「銀エルフは僕の方で奴隷商と話をつけておいたよ」
「ありが――――」
「で、君が自殺しようとしてた件なんだけど」
……やっぱりバレていたのか。
「色々と試したみたいだね?
シンプルに首吊り、飛び降り、入水、館に来た殺し屋に喧嘩を売ったり、書庫に忍び込んで魔導書で自殺しようとしたり。
そんなに死のうとするのはお姉さんを失って絶望したからかな?
にしても皮肉なものだね。死にたくないと苦しむ僕と死ねないと悩む君。
そんな君に朗報さ」
「朗報?」
「君が死ぬ方法を教えよう。
まず君が死ぬために重要なのは、君の頭に刺さった生命の魔導書を取り出すことだ」
「試したことがありますけど、魔法で一体化してるらしいです。
どうやるんですか?」
以前、頭のおかしい魔道士に依頼して、頭を切り開いてもらい、生命の魔導書を取り出そうとしたことがあった。
しかし、魔導書はただ刺さっているだけではなかった。
魔法によって僕と深く結びつき、簡単には切り離せないらしい。
「強引に取り出すんじゃない。
時を戻すのさ。君の頭に魔導書が刺さる前に。
ちょうど時の魔導書の持ち主を特定したばかりでね。
アルクタと言う年老いた勇者だ。
僕をこんな目に合わせたのもそいつさ。
そいつから時の魔導書を奪い、できる限り弱体化した状態で、自分に巻き戻しの魔法をかけるんだ。
そうすれば、君は死ねる体になる」
よく見ると、魔王の顔は左と右で異なっていた。
左はシワだらけの老人のように、右は若々しい子供のように。
時間が左右でズレている。
「ただし、君の体は適応能力が高すぎる。
一度でも時の魔導書に適応すれば、君の体には巻き戻しが効かなくなるだろう。
だから、上手くやることだね」
「ありがとうございます。参考にします」
魔王の魂胆は透けて見えた。
僕かアルクタ、どちらが死ねばよし。
両方が死ねばなお良し、と考えているのだろう。
最後まで敵を減らそうとあがくのは、さすが魔王と言ったところか。
「あぁ、そうだ。
巻き戻しといえば、君のお姉さんを生き返らせることも可能かもしれないよ?」
なんでもないことのように魔王はつぶやく。
しかし、その言葉は深く僕の胸に突き刺さった。
* * * * *
アルクタは震える手で生命の魔導書に手を伸ばした。
生命の魔導書は触れるだけで発動する特殊な魔導書だ。
アルクタは覚悟を決めて、ガシッと掴む。
「………ん? 発動せんな?」
持ち上げた魔導書を開いてみるが、偽物ではない。
正真正銘本物の生命の魔導書だ。
「伝承が誤っておったのか?」
ペラペラとページをめくる内に違和感に気付く。
本のバランスというか、何かが変だ。
本に何かが挟まっている?
疑問に思いつつ、次に開いたページにはギザギザとした歯のような物が付いていた。
「なんじゃこれ――――」
パタンと勢いよく魔導書が勝手に閉じ、ギザギザの歯がアルクタの指を噛み千切った。
「ぐぁァァァ!! 指がァァ!!」
手のひらからこぼれ落ちた魔導書は転がるようにしてユーシにぶつかった。
直後、ユーシの体が作り変えられていく。
「魔導書が選り好みをしおった?
まるで生き物………まさか!? 植卵の魔導書か!?」
これがユーシの作戦だと気付いたアルクタは、ユーシの周囲の空間ごと時の流れを止める。
この中で動けるのは逆流する時を相殺できるアルクタだけ………のはずだった。
しかし、ユーシの肉体の変化は止まらない。
慌てて刀を振り下ろした瞬間、ユーシの姿が消えた。
生命の魔導書も一緒に。
「なっ!? ど、どこに!?」
「こっちだ」
背後から声をかけられ、アルクタは遅れて振り向く。
そこには時を巻き戻す前よりも磨き上げられた肉体のユーシがいた。
大きくなった筋肉のせいで身長が伸びたように見える。
「……植卵の魔導書を盗んだのはお主じゃったか」
「あぁ、傷が小さかったから簡単に復元できた」
「それをお主の脳内に刺さっておる生命の魔導書に使い、生物にしおったか」
「それだけじゃない。契約の魔導書で行動を縛ってある。
魔法を施せる相手は俺だけとな」
ガリガリとアルクタの歯が軋んだ。
「勝った……つもりかのぉ?」
「つもりじゃない。勝ったんだ。
気付いてるだろ? 時の魔導書が効いてないことに」
「じゃが、お主も魔導書は全滅しておる」
「生命の魔導書で理想の肉体になった俺と、老いたアルクタ。
勝負にならないな」
「老いなど、とうの昔に克服しておるわ!!」
アルクタはそう言うと、ポーションを口に含み、振り上げた刀で自身を突き刺した。
腹部を貫いた刀から時の魔法が流れ込み、アルクタの肉体が若返っていく。
曲がった背骨が縦に伸び、筋肉が膨らんでいき、全盛期の姿に戻っていく。
蘇った肉体から刀を引き抜くが、その刀は今のアルクタには小さな過ぎるようにすら見えた。