19話 ホメイットという生き物
囚われていた意識が現実に戻ると、胎盤の中にいるかのような生温かく柔らかい感触。
手足は動かせず、目も開けず、鼻もきかない。
それら全てが働かないのではなく、……存在しない。
……知ってる感覚だ。
昔、メルヴィーに殺されまくったときの、手足がもげて、眼球がどこかにいき、顔面が丸ごと潰れたときの感覚。
今、思い返すと酷い目に合わされたものだ。
だが、皮肉にもそのおかげで自分の状態がわかる。
バラバラのボロボロ。
手足がなく、眼球も潰れ、もはや顔があるのかもわからず、感覚器官と言えるものは尽く死滅している。
だが、少し遠くに、まだ死んでいない手足、粉砕された新鮮な骨、熱を抱えた腹わたがあるのを魔力が教えてくれる。
念じただけでバラバラになった部位が磁石のように引き寄せられた。
肉の壁を突き破ってそれらが集まると、ぐちゃぐちゃに引っ付き、繋がり、みるみる再生していく。
一秒後には視界が戻り、臓物の臭いが鼻に満ちた。
「くっっさ………!!」
八つ当たり気味に体を包む肉の壁を蹴り破る。
暗い世界が破裂し、明るい世界が開けた。
臓物と血が飛んでいった先で、こちらを見て固まるホメイット。
卵を押し込む手が止まり、わずかに目を見開いている。
――――優先すべきは……ミレアの奪還と、ここからの脱出。
だが、一つ確認しておきたいことがある。
足で地を蹴ると想像以上のスピードが出た。
反射神経でタイミングを合わせ拳を振るうと、プリンでも殴ったみたいにホメイットの頭部がバラバラに飛び散る。
しかし、ホメイットは頭部を犠牲に衝撃を殺したらしく、少し後ろに下がった程度。
頭部を破壊されたのに随分と元気そうだ。
吹き飛ばした隙にミレアを連れて逃げる作戦もあったが、あえなく断念。
「やっぱり人間じゃないな」
この作戦を決行する前に、アルクタからホメイットの話を聞かされていた。
会議室の隅でブツブツつぶやき、考え込んでいたアルクタが意を決したように勢いよく振り向く。
「お主らに言っておくべきことがある」
作戦に関わる全員への突然の告白。
場は静まり、アルクタに視線が集まった。
「ホメイットについてじゃ。
まずは、今までお主らに黙っておったことを謝罪せねばならん」
素早く頭を下げ終えるとアルクタは続ける。
「ホメイットという敵は、かつて、ワシの知り合いじゃった。
……という噂を聞いたことはあろう。
かつての旧友、戦友。そんな噂じゃ。
じゃが、それは少し違う。
正確には、ホメイットはワシが作った生物なんじゃ」
『生物』という単語に反応した人物は少なかった。
大半は「作った生物………子供?」って感じだ。
「もちろん、ワシの子供ではない。
『作った』というのは『魔導書で生み出した』という意味なんじゃ」
魔導書で生み出された生物。
それを理解した面々は息を飲んだ。
そう、自分たちがこれから戦うのは人ではない。
「ワシは昔、恥ずかしながら荒れておってな。
希望に手が届いたと思ったら絶望に変わったんじゃ。
そりゃ、荒れるのも当然。
結果、ワシはありとあらゆる物に手を出した」
アルクタの目線が下がり、口が重たそうにゆっくりと動く。
「そのうちの一つが『植卵の魔導書』じゃった。
生無き物を、生ある者に変える。
ワシが手を出したのは、そんな魔導書じゃ。
それを使って最強の生物を作ろうとした。
しかし、上手くはいかなんだ。
作る上で、生物の強さは依り代となる『物』と『時間』に依存する。
これが肝じゃ」
物と時間か………時間……?
物に依存するのはわかる。
例えば、木を材料にするか、金属を材料にするかで生物の頑丈さは変わるだろう。
だが、時間というのは?
俺の疑問に補足するようにアルクタは付け加えた。
「時間というのは難しい話ではない。
生物の成長には時間がかかる。
それだけのことじゃ。
有用な赤ん坊などおらんじゃろ?
成人になってようやく使い物になるか、ならないか。
それまで待たねばならん
じゃが、それが長かった。
有用な生物には短くとも年単位の時間が必要じゃったからな。
一年をかけ、試行錯誤の果てに失敗を繰り返す。
老い先短いワシは焦った。
どうにか、結果を出さねば、と。
そして、魔導書を使用する上で絶対やってはならないことをしたんじゃ。
……………『暴走』じゃよ。
……魔導書を暴走させたんじゃ」
強力な兵器である魔導書を暴走させる。
それがどれほどの被害を生み出すかはわからない。
それはアルクタもわかっていただろう。
「やり方は簡単じゃった。
なんてったって、無生物を生物に変える魔導書そのものが"無生物"じゃ。
この魔導書という兵器をそのまま生物にしてしまえばいい。
魔導書そのものが生物となる。心強い味方の誕生じゃ。
……そう思っとった」
当時のアルクタの浮かれようが目に浮かぶ。
「ありったけを注ぎ込んで生まれたホメイットは最初、人の赤ん坊じゃった。
育てる内に少しずつ大きくなっていく。
しかし、ホメイットが言葉を発するようになって、ようやくワシは失敗に気付いた。
ホメイットはワシの過去の過激な考えだけを凝縮したような思想を持っておった。
危険過ぎたんじゃ。
いや、ワシから生まれた生物がまともなはずもないか………。
それに気付いたワシはホメイットを殺そうとしたが失敗。
ホメイットは姿をくらませ、次にその名前を聞いたときには教祖じゃった」
「殺そうとしたが失敗………か」
「そうじゃ。このワシが殺そうとしたのに失敗したんじゃ。
ワシはやつを舐めておった。
魔導書を依り代にした『生物』を殺せば良いと思っとった。
じゃが、事態はワシの想像を軽く超えておった。
長年、育まれた生物は依り代となる魔導書と深く、複雑に結びついておった。
もはや魔導書そのものがホメイット。
やつを殺すというのは、つまり。
『植卵の魔導書を破壊する』という事なんじゃ」
あの時のアルクタの言葉が本当なのかを確認するため、異空間から一冊の魔導書を取り出す。
「決闘の魔導書、発動!!」
魔導書から吹き出した血が俺とホメイットに襲いかかる。
俺はいつものことなので、ごく普通にそれを受け入れる。
だが、意外なことに、ホメイットも降りかかる血しぶきを振り払う様子はなく、平然と浴びていた。
「驚かないんだな」
「驚いてますよ。通用すると思っていることに」
自由を奪うはずの血しぶきは、しかし。
ホメイットに触れると弾かれて、寄りつくことすらできない。
「なるほど。わかりました。
これを使ってミレアさんから卵を取り出したんですね?
アレは生まれたてで弱く、繋がりもできたばかり。
断ち切られてしまうのも無理はありません」
ですが、とホメイットは語気を強める。
「私は魔導書そのものです。引き剥がすも何もない。
当然、効きませんよ?」
アルクタの言うとおりだった。
決闘の魔導書ですら、ホメイットと植卵の魔導書を切り離せない。
それに、結界内に引きずり込むことすらも失敗している。
純粋に魔導書の力で押し負けている。
「先程は殺すのに失敗してしまい、申し訳ありません。
次は必ず仕留めますので、ご安心を」
俺とホメイットを包む血の結界に亀裂が入った。
裂け目から多数の生物が飛び込み、俺に向かって一斉に襲いかかってくる。
「まぁ、予想通りだな」
手を軽く払い除けることで、俺を縛る血の梗塞具を破壊した。
もはや決闘の魔導書は完全に無効化されている。
互いに縛るものはない。
それに気付いたホメイットが後退するよりも、周りの生物が俺に到達するよりも速く、素早く踏む。
やはりホメイットは反応しきれておらず、俺の拳が再びホメイットに突き刺さった。
先程は人の急所である頭を狙ったが、次は胴体の最も魔力が濃い部分。
魔導書を撃ち抜く。
皮膚や脂肪、肉は拳で簡単に貫けた。
しかし、魔導書の付近に近づくと一転、分厚い魔法の壁に阻まれ、魔導書そのものに触れることすらできない。
魔導書という兵器を守るために、これまでの所有者によって何重にもかけられた防御魔法。
それが魔導書への干渉を徹底的に防いでいる。
アルクタがホメイットを殺しそこねた理由がこれだ。
「物理でどうにかなるレベルじゃないなッッ!!」
破壊など到底叶わない。
だが、幸いなことに魔導書を直接狙った攻撃なら。
さきほど頭部を破壊したときのような、肉体を犠牲に衝撃を消す方法は使えない。
ホメイットは歯を食いしばって耐えていたが、俺の攻撃によって体が宙に浮き、衝撃を殺しきれず後方へと飛んでいく。
大量の生物が足元や天井を埋め尽くしているが、ホメイットがいなければ、連携はとれず、単純に突っ込んでくるだけ。
「ミレアッッッ!!」
俺の呼びかけに反応はなかったが、近くでミレアのうめき声が聞こえる。
地を這う虫の濁流に手を突っ込むと、そこにミレアがいた。
担ぎ上げている間にも虫が体を這い回り、ホメイットが鬼の形相で迫ってくる。
「逃しませんよッッ!! あなたはッッ!! ここで死んでもらうッッ!!」
四方を虫に塞がれているため、退路など当然ない。
ならば、作る。
足元の虫を踏みつけて飛び上がり、拳で天井をぶち抜いた。
しかし、小さな虫の一体一体が俺の体を掴み、まるで鎖のように一塊になると、上の階に行くのを妨害してくる。
「さぁ、こちらへ」
天井にしがみつく俺を、ホメイットが見上げてくる。
俺は全身の筋肉を収縮させて、全力で肺の空気を押し出した。
「アルクタァァァァァァッッッ!! ここだぁぁぁぁぁッッッ!!」
下の階と違って閑散としている上の階に、俺の声が反響する。
直後、遠くから壁を破って迫る音。
「ホメイット、良いのか? ここにいて。アルクタが来るぞ?」
「……別に恐れてはいませんよ」
その割にホメイットの声は震えている。
俺は異空間から隔絶の魔導書を取り出し、鎖を断ち切りつつ、結界を足場にして上の階へ。
その間、ホメイットは追ってくることはなく、恨めしそうにこちらを見ていた。