16話 サヤ姉との思い出
あまりの眠気に体を支えられず、足から崩れ落ちた。
それでも、意識の縁で残った力を奮い立たせ、思考を続ける。
意識は落とすな。
対処法はある。
だから、何としても………
「おはよう。 なんか浮かない顔してるね?」
突如として太陽が登り、眼前に少女が現れた。
あまりの違和感に目眩がする。
だけど、何がおかしいのかが分からない。
「……何でもないよ」
とりあえず、見覚えのある少女に向かって当たり障りのない言葉を返した。
「嘘だね。悪い夢でも見たんでしょ?」
「見てない」
「そんなに怖かったんだったら、今日の夜は私のベッドで一緒に寝る?」
「別にいい」
矢継ぎ早にサヤ姉が話しかけてくる。
だが、サヤ姉の相手をするよりも、違和感を調べるのが優先だ。
適当に対処して、考える時間を作る。
って、さっきも同じこと考えてたな。
………『さっき』って、いつだ?
「ねぇ、やっぱり、なんか様子が変だよ? 何かあったの?」
「いや、ちょっと悪夢を見ただけ。
すぐに下に行くから、サヤ姉は先に行ってて」
「わかった。朝食の準備しとくから早く来てね」
隣の家に住んでいるサヤ姉は俺よりも何才か年上で、朝はいつもわざわざ起こしに来てくれる。
俺も自分で起きるのが苦手だから、なんだかんだ助かっていた。
「………ちょっと待てよ。
今、何を考えようとしてたっけ?」
何か違和感があったような気もするが、思い出せない。
思い出そうとしても、昨日のことを思い出すばかりで重要な内容が漏れている気がする。
思い出せず、けれども違和感はある。
こう言うときは、
「忘れよう」
頬をバチッと叩き、体を起こして伸びをした。
サヤ姉が用意してくれた服に着換え、階段を駆け降りる。
1階では肉の香ばしい匂いが漂っていた。
「いただきます」
「はいはい、食べちゃって。
急がないと仕事に遅れるよ」
目玉焼きをかっ喰らい、サラダを素早く平らげ、肉を頬張ると、急いで家を出る。
「サヤ姉、行ってきます」
「いってらっしゃ~い。帰りは卵を買って帰ってきてね!!」
アスファルトの路上には大量の人がさまよい、その間をぶつからないようにしながら全速力で走った。
仕事場に到着するとすぐに荷物を渡され、それを目的地に届けるために、またもや走る。
簡単な契約書、何かのサイン、色紙、手紙、報告書。
ここ最近は電気の節約でデッドメディアが息を吹き替えしている。
俺ぐらいの年齢なら、そう言ったデッドメディアで稼ぐのが流行りだ。
鉄塔の梯子に飛び乗り、勢いよく駆け上がった。
髭面のおっさんに手紙を渡し、素早く梯子を滑り降りながら、次の目的地へ目を向ける。
「次はナダさんか」
町の中の一際大きな建物の中で、剣の稽古をつけているナダさんに封書を渡した。
「おっ!! ユーシいい所に」
「ん? どうかしました?」
ナダさんは顎をポリポリ掻きながら、
「仕事を受けて欲しいんだ。
外で待ってるおじいさんを追い返してほしい。
丁寧に対応しているんだが、なかなか帰ってくれなくてな」
「いや、次の仕事があるんで」
「追い返すのに成功したら、金貨を一枚やろう。
どうだ? 試しにやってみるだけでも損はないだろ?」
確かに悪くない話だ。
それに、ナダさんに粘られたら、それこそ次の仕事に遅れる。
「わかりました。金貨一枚、忘れないでください」
建物の外に出ると、近くの花壇に腰掛けている老人がいた。
この人だろう。
「あの、あなたがナダさんに話があるという」
「そうじゃ。ワシじゃ。ナダ君に話したいことがある」
髪の毛は薄く、白髪がちらほら。
杖をついてはいるが、真っ直ぐな立ち姿で年齢のわりには元気そうなおじいさんだ。
というか、見覚えがあるな。
誰だっけ?
………………気のせいか。
「ナダさんは忙しいので、代わりに話を聞くことになりました」
「君がか?」
「えぇ、僕が」
ナダさんと話をするはずが、よくわからない子供が出てきたのだ。
おじいさんも不満だろう。
これで怒って帰ってくれたら楽なんだが。
「まぁ、良い。話をしてやろう」
「ありがとうございます」
(仕事があるから、さっさと終われ)
おじいさんはコホンと咳払いをして話し始めた。
「君にはワシがただの老人に見えるかもしれない。
じゃが、かつて、わしは勇者と称されたほどの強者じゃった」
「へぇー」
適当に相槌を挟みつつ、時計の針を確認した。
「ワシはまだ戦える。
この体を魔法で若返らせることが出来れば、即戦力になる。
じゃから、時を戻すという『時の魔導書』をワシに使わせてくれんか?
ワシがいれば百人力じゃ。
とりあえず、見せてはもらえんか?」
おじいさんは唇を震わせて、語り終えた。
どう返した物か困ったものの、時間をかけたくなかったので隠すことなく、本心を伝える。
「魔導書って確か、使いこなすのが難しいですよね?
それをおじいさんが本当に使いこなせるんですか?」
この前、ナダさんの部屋にあった魔導書を触ったときに長々と説教された。
魔導書を扱うのは難しいとか、触れただけで発動する魔導書もあるから危険とか。
「それに、もっと若くて強い人が魔導書を使えばいいですよね?
おじいさんは後進育成とかをすればいいのでは?」
ふむふむとおじいさんは頷いた。
「君もそう思うのか。
ワシが弱いと、戦力にならないと」
口をへの字に曲げそうになるが、まだ時間はある。
「いやー、おじいさんに無理をさせるのは良くないというか何というか………」
「君、配達の少年じゃろ」
突然の言葉に顔が引きつった。
よく考えてみたら、このおじいさんが待っていた所を横切ってナダさんに封書を渡しにいった訳で、配達だとバレていても不思議ではない。
「えぇと、ですねぇ………」
この時点で失敗したようなものだし、おじいさんを放っておいて、次の仕事に向かおうかと思った。
しかし、予想に反して、おじいさんの表情から力が抜けていった。
「配達の少年に対応させるほど、ワシは低く見られていると言うことか。
………………まぁ、よい」
「えっ、いいんですか?」
思わず聞き返した。
これは絶対に怒られる場面だと思ったが、思いの外、穏やかな人のようだ。
「確かに今のワシはただの老いぼれじゃ。
機を見るしかあるまい」
そうボヤくと、おじいさんはナダさんのいる建物に背を向け、ゆっくりと去っていった。
「何だったんだろ。あのおじいさん」
首を捻りつつもナダさんから金貨を貰い、次の配達場所へ足を動かした。
そうして、一日中走り続けた結果、懐にたくさんの報酬を忍ばせて、帰路についた。
太陽はほとんど沈み、遠くの空が赤く靄のようになっている。
卵を忘れずに購入し、ガスで燃える街灯が並ぶ道を早足で抜けた。
家の前で呼吸を整え、体の力を抜くと、取手に手をかける。
「ただいま」
奥の部屋からシチューの匂いがした。
トコトコトコッと床を鳴らして、サヤ姉が迎えてくれる。
「おかえり。今日は遅かったね」
「ちょっと多めに仕事したから」
「よく頑張りました。
ご飯出来てるけど、先にお風呂にする?」
「そうだね。体をサッと洗ってくる」
お風呂で汗を洗い流し、サヤ姉の作った夕食を食べて、一日は終わった。
布団に入り、目を瞑ると、扉の開く音が。
「サヤ姉、どうしたの?」
突然、寝巻姿のサヤ姉が布団に潜ってきた。
「ユーシが悪い夢を見ても不安にならないように、一緒に寝てあげる」
「えぇー、別にいいよ。一人で大丈夫」
そんなことを言っている間に、サヤ姉は隣で枕に頭を乗せていた。
「ちょっ、近いよ。サヤ姉」
少しずつサヤ姉の体が近づき、白い腕に抱き寄せられた。
「昔はこうやって一緒に寝たでしょ?」
「そうだけど……」
少し動くだけでも、顔がサヤ姉の胸に当たってしまう。
離れようともがくが、サヤ姉に抱きしめられ、柔らかい胸の感触に沈んだ。
「や、やっぱりダメだよ。
サヤ姉は……ほら、もう女の子なんだし」
サヤ姉はクスクスと笑い、更に強く抱きしめてくる。
むにゅむにゅと柔らかい感触が止まらない。
「ユーシもいつの間にか、男の子になっちゃったんだね。
昔はおっぱいなんて気にしないで甘えて来たのに」
「昔はサヤ姉のおっぱいもこんなに大きくなかったし」
目の前の谷間から目を逸らさずに応えた。
「触ってもいいよ」
「えっ?」
サヤ姉に手を掴まれ、強引に胸元へ導かれる。
心臓の鼓動がどんどんと速くなり、息が荒くなった。
目を閉じると、手の中に大きなマシュマロのような感触が広がる。
「どう? 女の子のおっぱいを触るの、初めてでしょ」
「うん、夢みたい………」
まるで天国のようだ。
頭がぼぅっとしてくる。
しかし、『夢』という言葉が頭の片隅に引っかかった。
夢?
………………夢………………。
今朝、感じた違和感。
それはまるで『夢』のような、この世界に対してではなかったか?
違和感の正体がわかると急速に頭が冷えだした。
思い出さなければならない。
何か、重要なことを忘れている。
「………ねぇ、もう良いかな?」
サヤ姉の戸惑った声で顔をあげて、気付いた。
無意識の内にサヤ姉の胸を揉み続けていたことに。
「うわっ!! ご、ごめん!!」
「別にいいよ。真剣な目で揉むもんだから、私も止めるの遅くなっちゃった」
手の平にはまだ感触が残っている。
その感触を握りしめ、心に刻んだ。
「もう遅いし、寝よっか」
またもや、頭が胸に沈む。
このマシュマロを堪能しながら、睡眠を…………。
待て。何か忘れてないか?
今、何か気付いたような……?
思考を深めようとしたとき、窓の外で揺らめいていた月がぐんっと動いた。
月はそのまま加速を始め、流れ星のような速さでどこかに飛んでいった。
引っ張られるようにして太陽が顔を出し、陽光が窓から射し込む。
隣で寝ているサヤ姉がゴソゴソと動き始め、体を起こした。
「おはよう。アレ? 眠れなかった?」
「いや、………えっと、今起きたとこ」
「嘘が下手。朝食作るね」
そう言うと、サヤ姉は部屋を出ていった。
「今のなんだ?」
一瞬にして夜が明けた。
月が凄まじい速度で動いていた。
夢を見ていたのか?
………………夢?
頭の片隅で記憶が疼いた。
違和感が顔を出し始め、この世界の全てがおかしい気がしてくる。
見覚えのある昨日。
繰り返される違和感。
そう言えば、俺の体ってこんなに小さかったっけ?
と他のことも気になりだした。
まだ思い出すべきことがあるはず。
確か、何かの対処方法が────────
「朝食できたよー」
「うん、すぐ行く」
何かを思い出そうとしていたような気がする。
でも、何だったか。
…………………何でもいいか。