13話 王城襲撃
王城の一室、静寂に満ちた部屋でセリアは書類の整理をしていた。
王城の警備は最低限の衛兵しかおらず、不足の事態には『隔絶の魔導書』で対応することになっている。
しかし、魔導書はユーシが持っていった為に、セリアは無防備とも言える状況だった。
「う~ん……この嘆願は認められませんね……。
あとでやんわりと断らないと」
悩ましそうな声で唸るセリアはトントンと手にしていた書類をまとめ、次の書類に手を伸ばす。
そこで、ふと足元に伸びる光に気が付いた。
部屋の扉が開いているようで、細いオレンジの光が差し込んでいる。
「衛兵の方ですか? この部屋は私が使っているのですが……」
話しかけるも反応はなく、セリアは椅子から立ち上がり扉に近づいた。
「ちゃんと閉めたはず………ぼーっとしてたのでしょうか?」
扉を閉めようとしたとき、扉の向こう側に微かに気配を感じた。
そぉっと扉を引くと、綺麗な翡翠色の髪が目に入る。
小さく細い体の少女が無感情な目で立っていた。
セリアは驚きつつも、嬉しそうに微笑む。
「ミレア………!! 元気にしてましたか?」
血の繋がらない、でもその分、心だけは深く繋がっている妹をぎゅっと抱きしめる。
「怪我はしていませんか? お腹が空いていませんか?」
翡翠色の髪を優しく撫でながら訊ねるが、ミレアからの返答はなかった。
くりっとした翡翠色の綺麗な瞳が、不安そうなセリアの表情をそのままに反射する。
「………ミレア?」
反応のないミレアは細く白い手を持ち上げると、弱々しくセリアの手首を掴む。
瞬間、セリアの体に電流が走った。
体の力が抜け、膝から崩れ落ちる。
「……ミ……レア……なん…で」
四肢が痺れて動けないものの、意識を失うことはなく、ギリギリ口だけが動く。
床に倒れたセリアをミレアは相変わらず無表情に覗き込む。
ゆったりとした動作でセリアに馬乗りになると、再び手首を抑えた。
「………ぁぁ………」
セリアの全身をピリピリとした電流が流れ、少しずつ回復していた体がまたもや麻痺した。
今度はそのまま手首を掴まれたままで、全身をくすぐるような電流が流れ続ける。
逃げようともがくセリアの足は虚しくピクピクと動くだけ。
「や……めて…!! ……ミレ…ア!!」
セリアは全力で抵抗するものの、自分よりも一回り小さなミレアを押しのけることすらできなかった。
「おや、あっさりと終わりましたね。
妹さんを使う作戦は大成功のようで」
いつの間にか扉の側に見慣れない男が立っていた。
フードで全身を隠しており、明らかに怪しい雰囲気をまとっている。
それなのに衛兵に捕まることなく、王城に潜入している。
「あな……た…は……」
「お初にお目にかかります。セリア様。
私はホメイットという、しがない教祖ですよ。
喋りにくいですか? すみません、今、楽にしますよ」
ホメイットがミレアの肩を叩くと、少しだけセリアの舌の痺れが弱まった。
「ミレアに何を……!?」
「あぁ、見ての通り、魔法で操っています。
もし抵抗をすれば、その瞬間にこの方も死ぬようにしてあります」
「わざわざミレアを人質にして何が目的ですかッ!!」
「いや、これと言った要求はないのですが、とりあえず、これを食べてもらえますか?」
ホメイットはそう言うと何処からか鶏卵を取り出した。
それをセリアの口元に近づけ、口を開くように促す。
「そんなもの食べる訳ないでしょ!!」
「別に食べなくてもいいですよ?
でも、その代わりに、あなたに馬乗りになっている妹さんが大変なことになりますよ?」
懐から取り出したナイフをミレアの喉元に向け、ホメイットは優しげな笑みを浮かべる。
「さぁ、どちらを取ります?」
「そ、そんな!! ミレア!! 目を覚まして!!」
「呼びかけた程度で解ける魔法ではないのですが……。
面白いですし、もう少し試してみます?」
ホメイットは口ではそう言いながらも、ナイフの切っ先はミレアの喉を薄く裂き、流れ出た血がセリアの頬に一滴垂れた。
「わかりましたッッッ!! 食べますッッッ!!
ですから、どうかミレアには手を出さないでくださいッッッ!!」
「最初からそうすればいいものを。
一々手間をかけさせないでください」
面倒くさそうに、しかし、楽しそうに微笑みながらそう言うと、卵をセリアの口の中へ強く押し込む。
「んんんッッ!! ぅ……ぐ……ッッ!!」
卵が喉の奥へと押し込まれ、息ができなくなった。
「吐き出そうとしたってさせませんよ。
無理やり食べさせるのは慣れてますからね」
セリアは助けを求めて、ミレアに視線を送る。
しかし、ミレアの翡翠色の瞳は人形のように無機質に黄緑色の光を反射していた。
「さぁ、あと一息!!」
グイグイと力技で卵が押し込まれていく。
同時、セリアの体内に不快な魔力が入り込んだ。
「んんんーーッッ!! んん、ん……」
段々と視界が遠のき始める。
喉の奥で引っかかる卵を押し込もうとしたとき、ホメイットは扉から漏れる光が大きくなっていることに気付いた。
同時、足元にベチャッと何かの落ちる音がした。
「おや?」
力が入らなくなくなった手を見ると、手首から先がなくなり、そこから黒い液体が漏れていた。
視界の端で、微かに光を反射する刀。
反射的に腕を十字に構え飛び退くが、ガードした両腕を貫通した刀が胸に突き刺さる。
「久しぶりじゃな」
片手で刀をゆったりと持つアルクタが、街角で偶然出会ったかのように話しかけたきた。
「ずいぶんとお元気そうですね。
年齢相応に衰えたらどうですか?」
胸を貫かれているホメイットも余裕そうに言葉を返す。
「お主を仕留めた後なら、それで良いかもしれんな」
アルクタは刀へ力を込め、グイッと押し込むが、それよりも早く、ホメイットは飛び退いた。
深く刺さっていた刀はあっさりと抜けて、ホメイットは部屋の端まで距離を取る。
その隙にアルクタはセリアのお腹に掌底を叩き込み、卵を吐き出させた。
「ア、アルクタさん……なんでここに………?」
「お主を守るためじゃ。ついでにホメイットの討伐じゃな」
「つ、ついで………」
卵を吐き出したばかりのセリアは意識が朦朧としているようで、焦点があっていない。
「そこのお主、危ないぞ。こっちへ来い」
アルクタの手招きに反応して翡翠色の髪が揺れる。
ミレアはゆっくりと足を引きずって近づくが、アルクタの眉間にシワが寄ると同時、背中から剣を引き抜いて襲いかかった。
それまでの動きからは想像できないほどの速さで駆け寄り、剣を水平に振る。
「むっ!! 雷光かッ!!」
アルクタは電流の走る剣をかわしつつ、セリアの頭を床に押し付けた。
ミレアの剣がアルクタの顎の下とセリアの頭上を通り、空振りに終わる。
ミレアは更に踏み込み、追撃のため剣を掲げた。
「操られた状態じゃ、こんなもんじゃな」
ミレアの剣が振り下ろされる瞬間、神速の刀が横薙ぎに振るわれ、ミレアの剣は根本から折られた。
それをミレアが知覚するよりも早く、アルクタの拳がミレアの腹部に突き刺さる。
衝撃で吹き飛んだミレアは机にぶつかり、壊れた人形のように体を痙攣させた。
「ホメイットよ、お主の手駒はこんなものか?」
部屋の奥の暗闇でたたずむホメイットは、笑みを浮かべながらアルクタを睨みつけた。
「あなたに人情はないのですか?
操れている女の子にこんな乱暴をするなんて」
「接触で電流を流してくる相手に手加減できる訳なかろう。
ワシ対策で連れてきたのじゃろうが、その手には乗らん」
「……冷たいですね。けれど、それこそ、アルクタです」
その言葉に次はアルクタが睨みつけた。
「戯言を。今すぐ殺してやるわい」
「させませんよ。
操り人形は切り捨てられたようですが、こちらはどうです?
切り捨てられますか?」
部屋の扉が蹴り破られ、複数の正気を失った衛兵が飛び込んできた。
一直線にセリアに飛びかかった衛兵をアルクタは瞬時に斬り伏せる。
「他愛もない」
「えぇ、これからですから」
斬り伏せた衛兵の死体が爆発し、中にいた何かが形を変えながら、襲いかかった。
再び斬り伏せるも手応えはなく、形を更に変えて襲いかかる。
吹き飛ばされたミレアも折れている骨を気にせず立ち上がり、剣を構えた。
その奥ではホメイットが懐から複数の卵を取り出す。
「チッッ!! 引き時か」
「セリアさんを捨てて、私を倒しに来ればいいのでは?
どうしたのですか? 切り捨てましょうよ?」
「ワシは………………お主とは違う……」
最後にもう一度睨むと、アルクタは刀を素早く納刀し、セリアを抱えた。
謎の生物を蹴って退かすと、近くのガラス窓を突き破り外に出る。
王城の何階かもわからない階数から、足で壁にブレーキをかけながら滑り降りた。
「えぇ!? 嘘ですよね!? このまま降りる気ですか!?」
青ざめたセリアが悲鳴をあげた。
「なんじゃ、意識が戻っておったか」
「これッ!! そのまま行ったら地面にぶつかって死にますッ!!」
「ワシが上手くやる。騒ぐな」
「上手くやるって無理ですって!!」
枯れ枝のような見た目の硬い足を壁に擦り付けているものの、勢いは弱まらない。
靴は遠の昔に擦り切れたようで、ボロボロの布が足首に巻き付いているだけだった。
「怖いなら舌を引っ込めて、目をつむっておれッッ!!」
「そ、そうします……!!」
セリアはぎゅっと目をつむり、神に祈る。
着地の瞬間は謎の浮遊感の直後、軽く衝撃があっただけだった。
「今のは魔法ですか!?」
「詮索するな。それよりも追手じゃ。逃げるぞ」
裸足のままアルクタが駆け出し、数秒後に先程の形を変えていた何かが地面にぶつかる。
茶色い体毛が生え揃い、立派な獣の四脚と3つの頭部があった。
「地獄の犬っころ。ケルベロスじゃな」
「次々に落ちてきます!!」
5、6体が固まって地面にぶつかるが、全てのケルベロスがすぐに立ち上がり、こちらへと駆け出す。
「仲間の元までアレを引き連れて走る」
「それまでに追いつかれないですか!?」
「心配するな。足には自信がある」
アルクタの言葉通り、老人とは思えない脚力で地面を蹴り進む。
ケルベロスも犬の散歩のように付いてくるのが精一杯で、距離が縮まる様子はない。
「………………待て。変じゃな」
「ちょっと!! 足を止めないでください!! 追いつかれます!!」
「うーむ……」
渋々といった様子でアルクタは再び走り出す。
「ホメイットの狙いは王女を抹殺して、がら空きの王城で自分が王になることじゃと思っとった」
「そ、そうなんですか?」
「うむ。殺さずとも、お主の妹ミレアのように操るつもりかもしれん。
何はともあれ、狙いは実質的にこの国を仕切っているお主のはずじゃ」
「それで何が変なんですか?」
「何というか、あまりにも簡単に逃げられたのが不思議でな。
そう……まるで、お主を狙っていると見せかけて王城から追い出されたような」
「追い出す…………………。
あっ、王城の地下には魔導書があります!!
アレを使われたら!!」
「魔導書? ホメイット1人が複数持っても……。
……そうかッ!! ……アレをやるつもりか!!
お主を届けたら急いで戻らねば!!」
アルクタは砂利道で素足をより忙しなく動かし、仲間の元へと合流を急いだ。
その間、アルクタの脳内には過去の苦い後悔の記憶が思い出されていた。