雪解けの日
ジェレミーとジェロニモはカリドゥス国内の辺境にいた。樹氷が立ち並び捕らえられたままの囚人服を着たままだった彼らはもうろうとする意識の中、洞窟にたどり着いた。そこなら吹雪をしのげる。そこに誰かがいるなんて考えもせず二人は洞窟の中に入っていった。
彼らがいたパン・シール教団の収容施設があるカリドゥス国は北方の民族が国民の大多数を占めていて、少数ながら、異民族が昔ながらの暮らしを守って暮らしていた。その居住区がジェロニモ達が入った洞窟のそばに点在していたから、二人が洞窟に入っていくのを目撃した人もいた。その内の一人であるミュゼッタは母親の忠告も聞かずに洞窟に入っていった。
「大丈夫。何かあったら毒矢を射るから。心配しないで」
知らない旅人にうかつに近づいてはいけないと母親はミュゼッタに教えたが好奇心が旺盛な彼女は知らない服装を着た人達がどんな人なのか興味が沸いていた。
「それに、クマなんて今ごろ冬眠しているから」
近頃見慣れない生き物が増えてきたから注意しようとした母親だったが、その頃には少女は洞窟に向かって走り出していた。
洞窟の中は冷えていた。寒さのせいで体がろくに動かない二人は火を興す間もなく気を失った。
変化は確かに起きていた。魔物は補食対象である人間が少なくなったせいで餓えていた。そのおかげか魔物同士で争いが起き始めていた。魔物は魔物の肉を消化できないため、互いが互いの肉をむさぼろうとしても腹は満たせないまま衰弱していった。まだ残っている人間達は先の見えない生活に希望を見失いかけていたが、襲ってくる魔物が少なくなっていることに気がついた。魔物の楽園の終焉が見え始めた時だった。嵐はいつまでも吹き荒れる事はない。動かなくなった魔物を見てマーラは自然の摂理が人間の都合に負けることはないと安堵した。
「次に生まれ変わる時は、普通の鹿に生まれ変わりなさいな」
彼女の足元には大きな退魔用魔方陣が描かれている。マーラがその中心に立つと魔方陣が光始め、マーラの姿が見えなくなるほど光輝いた。光が徐々に収まっていくと、マーラの姿は消え失せていた。
教会の扉は強引に開け放たれた。外気が入り込み雪が室内に吹雪いた。外でうずくまる巨人。獣人族の娘もピクリともしない。漆黒の闇で良く分からなかったが、教会の回りに張り巡らされた結界と魔法灯が破壊されたことがうかがい知れた。
何者かが教会に入って来た時、そこにいる誰もが戦闘態勢に入った。なぜならそこにいたのは魔物だったからだ。頭から角が生え、口からは牙が覗いている。目は血のように赤く鋭い爪が今にも辺りを切り裂かんばかりだ。青白い肌をしたその魔物はカーラを見るなりこう言った。
「どう? きれいだと思わない?」
その声はカーラの知っている声だ。ただ、いつもと違い、いつものように恥じらいのある声でなく自信に満ちた声だ。
「ダニ……エラ? 嘘でしょ? 何で……」
頭が真っ白になったカーラは変わり果てたダニエラの姿に困惑を隠せない。そばにいたジョシュアはいつ魔物を鉄パイプで殴り倒そうか、考えを巡らせていた。
(相手を刺激しないで。この魔物から放たれる魔力は尋常じゃないわ)
エリアの心の声が頭に響いた。言われなくてもカーラは分かっていた。しかし、相手はダニエラの顔をしている……。
「カーラにもこの水を飲んでほしいの。だって、私たち友達でしょ? 友達の言うことはちゃんと聞かないと」
ダニエラが持っている瓶には黒い水が入っている。それを見たヨエルの目は血走っていた。
「それを、……出すな」
明らかに様子がおかしいヨエルにルチアは震えが止まらなくなっていた。そばにいるトミーはどうしようか分からずうろたえるばかりだ。
「ああ、ドクター・ハイネ。久しぶりね。それともヨエルって呼んだ方がいい? 魔物仲間がここにいるなんて嬉しい!」
「はあ? 何を言ってる……」
思わずジョシュアは反応してしまった。初めてドクター・ハイネを見たときから違和感を感じていたジョシュアだったが、明け透けにダニエラに言われてしまって明らかに狼狽していた。
「呪われたジョシュアには分かっていたはず。ドクター・ハイネ、いやヨエルは半分魔物なんだって。カーラの味方のふりをしておいて後で美味しく食べるつもりなんでしょ? 命は大切に、食べ物は粗末に扱ったら駄目だものね?」
「でたらめを言うな! 私は、そんなことはしない!」
全否定するヨエルだったが、明らかに顔つきがおかしいためカーラは無意識のうちにヨエルから距離をとっていた。
何かしなくちゃ。そう思っていても、友人が魔物になるところを見たくなんてなかった。頭が理解を拒否している。そうだ。目の前の奴はダニエラじゃないんだ。ヨエルも、きっとヨエルの皮を被った魔物なんだ。みんな私を騙そうとしてたんだ。だから……。
「お前はダニエラなんかじゃない! ダニエラはそんなこと言わない! ダニエラは優しい人なんだ! ダニエラの皮を被った魔物のくせして! ダニエラを返せ!」
目から涙が溢れてくる。魔物ならば倒さないといけない。本当の友達ならば悪いことをしようとしたら止めないといけない。ジョシュアが何かを私に言っているが必死になっている私には聞こえなかった。私は知らないうちにジョシュアから鉄パイプを奪ってダニエラの顔をした魔物の頭を殴り付けていた。
「良い人気取りして思い上がるな! 自分の好みを他人に押し付けて善人ぶるな! そういうところが嫌なんだよ!」
私自身が何を叫んでいるのか、激昂した私には分かっていなかった。けれども、それが私が必死に押さえつけていた思いだった。幼い頃に他人の欠点や過ちを率直に指摘して縁を切られたこと。その時から私は思ったことを言わないようにした。人を傷つけない嘘を言えないなら何も言わない方がましだから。
だけど、本当は自分に嘘なんてつきたくない。その思いがかつてダニエラだったモノに向かって噴出していた。
「本物のダニエラは善人気取りなんかしない人なんだよ! 失せろ! 化け物め!」
言ってしまった。本当はこんなことを言うはずじゃなかった。でも、今のダニエラはもうダニエラじゃない。こんなの、認めたくない。
ジョシュアが私に体当たりを食らわせ私は椅子にぶつかった。
「もう止めろ! オーバーキルだぞ! 冷静になれ!」
彼の声が震えているのは気のせいだろうか。ルチアは私から顔を背けているし、トミーは震え上がっている。エリアは口を真一文字にして辺りに散らばる血を魔法で消失させていた。
……これは一体、誰の血? 恐る恐る私は足元に目をやった。そこには血まみれの肉塊と化したダニエラの変わり果てた姿が転がっていた。
「い、嫌っ。嫌だあ゛ー!」
私は声が張り裂けんばかりに叫んだ。私がころした。ダニエラをころした。ころしてしまった。魔物だったら聖水を浴びせれば良かったのに、それすらも浮かばなかった。
私はもう、以前のようには生きていけない。
「おい、お前何してるんだ!」
唐突にジョシュアの声が響く。ハッとして顔を上げると狂った表情のヨエルが目の前にいた。いつも飲んでいるらしい聖水の効果が切れたのだ。
「血が、血がほしい! 血をくれ!」
意気地無しにも私は動けなくなり、その場に座り込んでしまった。迫り来る危機。そうだ。ダニエラをころした私には当然の成り行きなんだ。だったらいっそ……。
「止めろ! 止めるんだ!」
この声は誰の声? でも、速くころしてほしい私には関係のないことか。
扉が破壊される音がした。そこには巨人が獣人族の子を抱き抱えて立っていた。
「困っている人を助けるのが騎士の役目! おい、そこの、ヨエルとか言う奴! かかってこい! おれが相手になってやる!」




