甘い水で滅ぶ時
あの頃は別の地獄が広がっていた。私が幼い頃は魔物なんて危険な存在はないに等しかった。確かに蛇が茂みに隠れてなんかいたりしたが、私には蛇が不思議な存在で周囲の人が怖がったりする中、興味津々でいつまでも蛇を見つめてたり棒で突っついたりした。
幼少期の私は思ったことをはっきり言ってしまう質で何気ない質問をして同級生を泣かせたりもした。その度に親や先生らに注意をされ自分のしたことが良くないことだと思い知らされた。
それでも私の頭の中には疑問が渦巻いた。どうして思ったことを言ったら友達が泣いてしまったのか、今でも私には分からない。
「どうして皆同じことしたがるの? 皆同じでつまらないよ!」
それからというもの、私は疑問を圧し殺して生きてきた。どうして、違う意見を言ったら駄目なの? どうして、正直に自分の意見を言ったら駄目なの? どうして皆は同じことをして安心したがるの?
どうして、その服はダサいよって言ったら駄目なの?
それでも皆に合わせて普通を装って生きていてもどこかでボロが出る。
「カーラのやつがまた制服を着ないで登校してる! 先生に言ってやれ!」
「先生! カーラをなんとか黙らせてよ! 不愉快になる!」
私はなるべく意見や疑問を言わないようにした。けれども私のないに等しい評価はマイナスを更新した。少数いた友達でさえ私に近寄らなくなった。率直な意見を言っただけなのに、誰からも敵対視された。
こうしてダニエラと出会うまでは私は独りになった。
そして今、そのダニエラが敵として私に立ち向かっていた。魔物は人間の仲間だと思い込ませようとしながら、満面の笑顔で偽物の幸せを私に吹き込もうとしていた。
寒さが激しくなり私たちは廃墟と化した教会に寝泊まりするようになった。巨人のアールは図体が大きく扉を潜り抜けることができないため、外で魔物の警戒を行うことになった。
エイドリアンは大事を取って自宅に戻ることになったが、去っていく時の表情は晴れやかで、ともすると厄介な事から解放されて安堵したのかもしれない。
「魔法や魔物に無知なやつがいても足手まといなだけだ」
ドクター・ハイネことヨエルの剣呑な物言いにエリアは口を真一文字にしたが何も言わなかった。ここにいる誰もがパン・シール教団を倒すためだけに集まっているとは到底思えないメンツだと思っているのがありありと読み取れた。
その例外とも言える巨人と獣人族の子は皆で力を合わせれば魔物を全てやっつけられると本気で信じているようだ。獣人族の子(ミラという名前らしい)は寒いのも構わずアール兄ちゃんと離れたくないと駄々をこね、一時間前から外に飛び出していた。
改めて私はかつてサン・マリ教会と呼ばれていた教会の内部を見渡す。魔物にやられたのだろうか。ステンドグラスは割れていて隙間風が入ってきている。教会の回りに結界を張り、教会内部には魔法灯を灯しているとはいえ、この隙間風には閉口した。
「おい、ここにはストーブはないのかよ! 寒すぎるぜ!」
つい先程まで氷漬けになっていたトミーは私の姉のルチアの制止も聞かずにわめき散らし始めた。魔物退治に無関係なトミーがここにいるのも、彼が提案した空を滑空するお手軽魔法のせいだと知ったのはルチアの申し訳なさそうな表情を私に向けたからだった。
「何で役に立ちそうにない奴がここにいるんだ?」
ジョシュアの苛立った声に私はつい言い返した。
「あの人は私のお姉ちゃんと二人で氷漬けになって降ってきたんだから、泊まる場所を予約した訳じゃないの。私たちと一緒よ」
飛べば一瞬で着く距離も、歩いて追いかけるには一日が終わってしまいそうだ。カモメの姿をしていても中身が人間の尾黒は飛び方を知らない。ましてや他の鳥と話すことさえできそうもない。
雪が積もった地面を歩く行為は体を冷やしてしまうし、羽毛を膨らませても足元から冷えていく。人間だった時は服を厚着してコートを羽織ればなんとかなるが、鳥の体では足に靴下を履くことさえ出来ない。
愚痴や不平不満や言い訳を言うのは尾黒のポリシーに反するので滅多に言わないが、それでもこの寒さには悪態をついてしまいそうになる。
「くそ、せめてあの二人が逃げていった場所さえ分かればっ」
あの二人とは、先程までフェリーに乗船させていたパツィとミュリエルのことだ。あの二人にならば尾黒の兵器を使わせるのに最適だと考えていたが、逃げられてしまっては元も子もない。あの兵器を使うには人間の手が必要なのだ。鳥の翼ではどうしようもない。
長いこと歩いていたせいで気がつかなかったが、尾黒はカーラ達がいるベル・ドゥーロという町にたどり着いていた。歩いている人たちは皆疲弊した面持ちで足取りも重い。魔物退治だけでなく、魔物愛護団体との抗争に明け暮れていたからだ。
「……ここも、魔物の悪意から逃げられなかったか」
空気が澄んでいることだけが、魔物を生み出す瘴気がないことの証拠だ。それでも、遠方から魔物は人間という獲物を求めてやってくる。人間の中にも魔物保護団体に入ってしまう者がいるが、十中八九瘴気に正常な判断を阻まれた者達だ。そして、その人は例外なく人間をころす事を厭わなくなる。
命を大切に、という美名の元に魔物を保護し人をためらいなくころす人を尾黒は嫌という程見てきた。
「せめてここの人達だけでもマトモなままでいてもらいたいものだな」
パツィとミュリエル改めパトリックとマイクはたどり着いた町に生気が無いことに気づかされた。所々に罠にかかった魔物が二人を見て飛び付こうともがいているし、建物は壊され店もろくに経営できていない所が多数あった。普通に見える人達でさえ、鈍器を所持して魔物を警戒していて、町全体が疲弊している様がうかがえた。
「……泊まれる場所、無いみたいだね」
「野宿なんて嫌っ。寒いし魔物が襲ってくるかもしれないじゃない!」
「じゃあ、あのフェリーに戻る? 水浸しだけど」
とたんにパトリックの脳内にあの錆び付いたフェリーと得たいのしれない軍服を着た人が思い出された。
「絶対嫌。……ちょっと待って。もしかすると戻ってみるのもありかもしれない」
「どういうこと? まさか、あの人に会いたいなんて言わないよね?」
マイクはフェリーに戻るなんて真っ平ごめんだが、パトリックの考えていることは別にあったようだ。
「あのフェリー、水浸しじゃない?」
「それがどうしたってのよ? ……あ」
二人は忘れていた。持ってきていた鞄の中に聖水が入った瓶が入っていたことを。ついでに増加魔法を持つ白い箱で赤い雨水と一緒に増量してフェリーを覆い尽くしたのだ。
「魔物を食い止めることが出来るかもしれない!」
夜も更けた頃、何やら教会の外が騒がしくなった。誰かの声が聞こえる。私はエリアが出してくれた毛布を体に巻いて寝ていたが、あまりにも騒がしいので皆目が覚めてしまった。トミーやドクター・ハイネはぶつくさ文句を言いながらまたまどろんだ。
「カーラに会わせて! 会いたいの!」
「……もしかして、ダニエラ? そこにいるの?」
昼に起きたことを思い出す。確かに魔物愛護団体の中にダニエラはいた。しかもその団体が起こした騒ぎの後、町のかろうじて機能していた警察により移動魔法で魔物愛護団体は皆強制的にそれぞれの自宅に帰されたはずだ。
「君、家に帰った方がいいよ! 寒いし魔物に襲われてしまう!」
巨人のアールの声が響いた後に続いたダニエラの声が響く。
「私は帰れない! カーラに魔物の素晴らしさを教えられるまで帰らない! そのために私は魔物になるんだから! そして魔物が安全で人間の仲間だって教えてあげるの! カーラだって私の魔物になった姿を見れば喜ぶはずよ!」
ダニエラの嬉しそうな声が脳内にこびりつく。このとき私は決定的にダニエラとの友情にヒビが入って、もう元には戻らないことを覚った。
「おい! それを飲んだら駄目だ!」




