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毒と薬は紙一重

 街を見渡す限り魔物礼賛の看板が忌まわしいほど目に焼き付く。気配を消す薬を飲んで魔物に見とがめられることもなくなった代わりに四方八方から魔物にぶつかる羽目に陥ったルチアは妹がいるかもしれないベル・ドゥーロに行くため、転移魔方陣を描くための開けた場所を探していた。


「結界を張る魔法、検索したんだけどどこにも書いてなかったな。最近のネットを見ても魔物崇拝ばかりで嫌になってくる。……元の生活にいつになったら戻れるのかな?」


 製薬会社に勤めていたころが懐かしくなったわけではない。あそこに勤めていた時ルチアは精神をすり減らしながら薬を試飲していたのだから。時折営業で来社したジェロニモに会うことだけがルチアの癒しになっていた。





 会社に入社して間もなく配属されることになった試薬品の検査係。できた薬品の性能を試すだけ、という一見して簡単な仕事を入社したばかりの新人にやらせることにルチアはふと違和感を感じた。こうしたことは何年も勤めてきた人がやることなのでは? しかし、質問しようとしたとたん上司から睨まれた。その時ルチアは入社した会社を間違えたと覚った。何度も退社届けを提出しようとしたが、その度に新しい試薬品の仕事を頼まれてしまい生来押しの弱いルチアは流されるままに5年も経ってしまった。


 ジェロニモが営業として来なかったら、どうなっていたかルチアは考えただけでもゾッとした。おそらく一緒に会話することもできなかったはずだ。彼は元来から真面目な人らしく、ルチアを口説くような真似はしなかった。そしてルチアを誘うようなこともしなかった。ルチアが会社という日常から抜け出したい思いでジェロニモをお出かけに誘ったのだった。


「こ、今度の土曜日、一緒に食事に行かない? よ、用事があるならまた今度でいいからっ」


「うん、いいよ。行こう」


 断られると思ったがあっさりOKしてくれた。その時ばかりは会社の出来事を忘れることができた。このまま、平日が来なければ良いのに。だから、土曜日の当日ジェロニモから急用の仕事が入ってきたとメールが来たときはひどく落ち込んだ。彼が悪いんじゃない。頭では分かっていても、心が悲鳴を上げた。


 魔物騒動が出たのはその一週間後だった。




 頭から触覚が生え背中には蛾のような羽が生えた男が青果店に入るなり果物を持ったかと思うとそのまま吸い付き旨そうに果汁を飲み干した。男が振り返った時目が複眼になっていて口がストローのようになっていた。周囲の人の中には仮装をしていると思った人もいたらしく、その人はタブレットで写真を撮ろうとした。


 が、仮装ではないことは蛾男が次にとった行動で判明した。タブレットで写真を撮影した人に近づくなりストローを首に突き刺し血液を吸いとったからだ。その瞬間辺りが騒然とした。会社帰りのルチアはその瞬間を見てしまったのだった。


 どうやって逃げ出したのか、今でも記憶は曖昧だ。蛾男がルチアに襲いかかってきた瞬間、何かが蛾男に飛び付いたことだけは頭の片隅に残っている。


 魔物がもし仮に消え去ったとして本当にあの会社に戻りたいのだろうか? おそらくそれはきっとない。精神を削ってまで会社に奉仕する意味なんてない。目先の利益にしか関心のないような会社にルチアは居続けるつもりはないのだから。


 今の世の中は魔物崇拝で狂っているが、魔法があまり得意でないルチアが生き延びるには製薬会社の薬で立ち向かうしかないようだ。





 フェリーの中は水浸しになっていた。ミュリエルが聖水を作ろうとして白い箱に雨水をかけた結果、白い箱に増加魔法でもかかっていたのか、赤い雨水がみるみるうちに溢れだしていった。学生時代に一回使用しただけで使い方もうろ覚えだったため、ミュリエルは増える雨水を止めることもできずモタモタするばかり、妹のパツィも使い方を知らないのかカバンの中にしまい込むと代わりにカバンの中にあった呪いを解くための魔法薬が入ったビンが増加していった。そして、何かの拍子にビンのふたが開いてしまい魔法薬と赤い雨水が混ざった水がフェリー一杯に溢れだした。


「何してるの、早く止めてよ!」


「そんなの分かってたら苦労していない!」


「船が港に乗り上がるぞ! 魔物だらけの海に放り出されたくなければ海に手すりにしがみつけ!」


 尾黒提出の焦った声が響く。ミュリエルとパツィは歯止めのきかなくなったフェリーをどうすることもできず提出に言われた通り手すりにしがみつくことしかできなかった。そして、フェリーはついにベル・ドゥーロの港に乱暴に乗り上げた。


 グシャグシャグシャッ!


 嫌な肉塊が弾ける音がする。おそらく魔物を多数、()いたに違いない。フェリーから溢れる雨水が転機をもたらすことになろうとはミュリエルやパツィはおろか、尾黒提出でさえ預かり知らぬところであった。






 カーラは一人で日が沈んだ山で何かを探索していた。魔法灯がなければ辺りの様子は全く目に見えないほど暗い。片方の手にはジョシュアが警察から奪った魔法銃を握りしめ魔物が出たときのために引き金に指を添えていた。カーラがこうして山を歩いているのは町の人にキノコ狩りの人が戻ってこないと聞かされた、ただそれだけのことだった。カーラにとっては見知らぬ他人も同然だったが、その人を探しに行くためキノコが採れる山へ単独で乗り込んだのだ。ただしジョシュアとはまたしても揉め事を起こしてしまったが。


 カーラが山火事を消しに行った後、日が沈みかけた夕暮れの事だった。黄色いパーカーを着たエイドリアンと言う人がキノコ狩りから戻ってこないと町の人に聞かされカーラは山に戻ろうとした。


「おい、止めとけ。山には魔物がはびこってるんだぞ。それにもう暗いんだ。一人で行くには危険だ」


 ジョシュアがまたもやカーラを引き留めた。だが、カーラは引き下がるつもりは毛頭ないらしくその手を払いのけた。


「私の体は鋼鉄で出来てるようなものだし大丈夫。それに、これ以上魔物を町にはびこらせたくないの」


「おいっ!」


「魔法灯を持ってるから大丈夫!」


 先ほども山火事を消しに一人で行ったカーラを引き留めなかったのは、単にジョシュアがカーラに注意を向けていなかったからだ。ジョシュアの気が別の方向に向いた瞬間カーラはいつの間にか山火事を消火しに行ったのだ。あまりにも無謀すぎる行動に呆気にとられたがその次も赤の他人のために探しに行ったためとんだお人好しだとジョシュアは半ば呆れた。


「どうなっても知らないぞ……」



 


 雪原にある結界の中では魔物に襲われた人の治療が大方終了していた。その人は包帯で巻かれだいぶ息はおさまってきた。魔物リスに引っ掻かれ虫の息だった男はエリアの聖水をつけた薬草により息を吹き返していた。男の服にネバネバとついていたキノコも呪いを解くのに役にたった。後は男が目を覚ますのを待つだけだった。





「こう暗くなってくると足元が分からなくて歩きづらいな……、あれ? 向こうに光が見える?」


 エイドリアンという人を探しに山に上っていたカーラは(ふもと)辺りに魔法灯による明かりが灯されているのを目の当たりにした。魔物は魔法灯の明かりを嫌うためあの明かりは魔物が出したものではない。そう確信したカーラはそこに昼間に出会った巨人、アールがいるとも知らずに魔法灯に向かって走り出した。


「エイドリアンという人について何か知ってるかも!」


 しかし、カーラが音を立てたことにより目を覚ました魔物がいることを彼女自身は知らなかった。

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