まだ見ぬ土地へ
魔物への変化は不可逆的なものではない。それがわかっていてもなお、半魔物の息子を捕らえるのは至難の技だ。しかし、魔法で動くしゃべる人形の持っているハサミさえ手に入れさえすれば何とかなるかもしれない。
あの巨人との出会いの後、私は運良くあの人形に出くわすことができた。人形はエルフと獣人族の子供と食事の最中だった(もっとも人形は食べ物ではなく魔力のこもった水を飲んでいただけだが)。私はあの人形のそばにハサミがあることを確認した後、すり替え魔法で普通の裁ち鋏と入れ換えた、までは良かった。
そこで問題が発生してしまった。手っ取り早く立ち去ることが出来れば良かったのだが、獣人族の子が私のにおいを感知してしまったのだ。
「ねえっ、そこで何してるの?! 一緒にご飯食べる?!」
人懐こい声をかけてきたその獣耳は疑うということを知らなさそうな純朴な目をしていた。魔物感知レーダーは無反応。エルフも同様にレーダーは反応しない。保護者代わりのそのエルフはといえば、私を胡散臭い目で見ていた。小手先の嘘などすぐにばれるだろう。
「……そのハサミ返してくれない? 盗んだことバレてないとでも?」
「は、ハサミはそこにあるだろ。盗んだなんて人聞きが悪いな」
「この人形が持ってたハサミは魔を斬る特殊仕様なの。けど、このハサミはその雰囲気は感じられないんだけど、どういうわけ?」
ピリピリしたオーラを察した獣耳の子は黙ったままだ。しかし、人形は黙っていなかった。
「私のハサミを返さないと、こうしてやる!」
人形がそう叫ぶと私が持っていたハサミが宙に浮き上がり、私を攻撃し始めた。
「う、うわっ。止めろ!」
ハサミの動きが素早すぎて、魔法で食い止めることができない。こんなことなら動きを封じる呪文を覚えておくべきだった。
そして代わりに私がエルフに魔法で動きを封じられてしまった。
「あなたがしようとしていることは罪を助長させるだけ。このハサミは返してもらいます」
船旅は穏やかなものだった。確かに魔物化した魚が船めがけて突進してきたのだが、そのたびに跳ね返されていた。何かしら特殊な防御魔法がフェリーにかけられているに違いなかった。というのも、嵐が吹き荒れたにも関わらずフェリーは波に揺さぶられることなく走行したからだ。それくらい船旅は快適なものだったと言える。ある一点を除いては。
かなりの距離を走ったパツィとミュリエルはお腹がすいてきていた。家から持参したパンはすでにない。外食しようにもまわりは魔物だらけでまともに店を構えているところはないに等しく、店からくすねた食料は魔物から逃げている最中に落としてしまっていた。
「ねえ、何か食べ物この船にないの?」
パツィが尾黒提督と名乗る目付きが鋭いカモメに聞いてみた。大型船なんだから何かしら貯蔵庫があってもおかしくないと思ったからだ。
「あるといえばある。しかし、ただでは手に入らない」
「どうしてよ? 何か保存食があるんじゃないの?」
「あるにはある。ちょっと着いてこい」
命令形の言葉にムッとしながら二人はカモメの後に着いていった。そして着いた先は調理場だった。しかし、ドアを開けた先に待ち構えていたものを見て二人は絶句した。黒いヘドロのようなものが調理場を覆い尽くしていたのだ。わずかに見える食料もヘドロのせいで腐り果ててしまっていた。
「こういうわけだから何か食べたいと思うなら釣りをして魚を釣るより他はない」
「でもそれじゃ、栄養が偏ってしまうじゃない!」
「それにしても、このヘドロはどこから入ってきたの? まさか、この船に魔物がいたりしないでしょうね?」
「魔物がこの船にいるはずがない! そんな奴がいたら、この俺がショットガンで直々に成敗してやる!」
手がないから銃は持てないというツッコミは抜きにしても、ミュリエルの辛辣な言葉にカモメは激怒した。食料がないというだけで人はこうもイライラとするものなのか。しかし、ここはカモメの言う通り釣りをするしかないようだ。
「でも、釣りをするとして魔物しか釣れないと思うんだけど、どうするの?」
「……」
どうやら、一昼夜で片付きそうにない問題が山積みのようである。ミュリエルは仕方なしに学生時代に習ったうろ覚えの聖水作りに着手することにした。魔物の肉を食べるぐらいなら出来合いの聖水で浄化するしかないと思っているのが端から見ても見え見えである。
「……私はアップルパイが食べたいな」
魔物を燃やす作業のせいで人間から不必要に不信感を持たれてしまったことに未だに気づいていないアールは一人で黙々とそこら辺に生えていたキノコを食べていた。しわくちゃで見た目は悪いがお腹がすいて仕方がないアールはよく焼くこともせず半生の状態でそのキノコを食べた。
「味がしないなー。はぁ、肉が食べたい。でも、魔物の肉なんて食べられないし……」
しわしわキノコを大量に採ったアールは味がしないことに文句を垂れながらキノコを食べていた。しかし、アールの知らないうちに見知らぬ誰かが山に入ってきたようだった。その誰かは大きなかごを持って何かを採取しに来たようだ。
「ジェレミーの奴、帰ってきたら百回殴ってやる! マッシュリーヴァっていうしわしわのキノコを五十本収穫してくれ、なんて変な書き置き残しやがって! キノコなんかより魔物狩りが優先事項だろ……、ってわぁっ! ま、魔物だ!」
パン・シール教団に捕まってしまったジェレミーの幼馴染みのエイドリアンがキノコを一心不乱に食べていたアールに出くわしてしまった。
「ち、違うっ。おれは魔物なんかじゃ……」
「うるさい! 誰が魔物のいうことなんか聞くか! これでも食らえ!」
そう言うと相手はスプレー缶を取り出した。缶には唐辛子の絵が書いてある。「辛さ十倍」と書かれたそのスプレー缶のノズルに手をかけようとした、その時、樹上から魔物化したリスがエイドリアンの顔に張り付いてしまった。
「う、うわぁー!」
気が動転したエイドリアンは無茶苦茶にスプレーを辺りに吹き散らし始めた。しかしそんなことをしてもスプレーはリスにあたるどころか、代わりにアールの顔にバッチリ吹き付けられてしまった。
「い、痛い! 何なんだ、これ!」
アールが唐辛子スプレーでうめいている間、リスの鋭い爪がエイドリアンの顔を引っ掻いた。
「ギャー!」
ダラダラと滴る血液を美味しそうになめるリス。しかも悪いことになめられたところから煙が立ち上った。まるで酸性の液体にさらされたかのよう。エイドリアンは悲鳴をあげる気力を失っていたが、すかさずアールがリスを握りつぶした。
「ひどい怪我だ。とりあえずエリアの所へ連れていかないと!」
リスの唾液に毒が含まれているらしいことに感づいたアールは怪我を負った人間に一刻の猶予がないことを覚った。先ほど毒キノコを食べたことなど忘れ去ったアールは勢いよく山をかけ降り、邪魔をしてくる魔物を蹴散らした。
「お前ら、退きやがれ! 退けないと踏み潰す!」
「う、嘘だろ……。どこだよ、ここ」
パン・シール教団のアジトから逃げ出したジェレミーとジェロニモは眼前の光景に絶句した。建物の周囲が断崖絶壁になっていたのだ。
「どうやって逃げればいいんだ……」
「おい、絶望するにはまだ速いぞ。あれを見ろ」
顔面蒼白になったジェロニモにそう言うと、ジェレミーは崖の向こうを指差した。何か人工的な光が見える。ジェレミーは何を思ったか石ころをその光に向かって投げつけた。すると石が空中にぶつかり、空にヒビが入った。空がガラスのように砕け散る。そして割れた後には何もない広大な雪原が広がっていた。降り注ぐ雪が黒い大地を白に染めていた。




