遥か彼方、カモメの国へ
何度も後ろを振り返りながら逃避したせいで足が痛くて歩くこともままならなくなったパツィとミュリエルはついに浜辺まで逃げた。潮の匂いが鼻を突く。遠くでカモメが鳴いている。二人は見つからないように声を潜めた。魔物が疲れもせず追いかけてきたからだ。
「あいつら、いつまで追いかけて来るの?」
パツィが不安そうな声で呟く。走ったせいで息が上がっていたが、その息は空気の冷たさと相まって白くなった。
「静かにしてっ。奴らに聞こえるでしょ。それより船を探そう。奴らがいない場所に逃げるの」
「私たち船なんて漕いだことないのにどうやって逃げるの? それに船で逃げられたとして海に魔物がいない訳じゃないでしょ」
パツィの非難はもっともだった。しかしここで魔物に捕まるわけにはいかないのだ。船が漕げないからと言って容易く捕まってしまうのは自ら未来を潰すのと同じだ。
だからミュリエルは意地でも船を見つけることにした。しばらくするとパツィも渋々船探しに付き合うことにした。パツィも魔物には捕まりたくないのは同意見なのだから。
しかし、しばらく二人で辺りを見渡して見てもそれらしい船は見つからない。ミュリエルは落胆しそうになったがこのままでは見つかってしまう。小屋に隠れたとしても見つかるのは時間の問題だからだ。
ルチアみたいに気配を消せる薬を持っていたら良かったのだが、あいにく二人は製薬会社には勤めてはなかった。そこで二人は人体強化魔法をまたかけることにした。時間稼ぎにしかならないが何かしないといけないような焦燥感が二人にはあった。
二人で魔物のいない島へ逃げる。それが理想論だと二人は分かっていた。海外の人の動画を視聴しても魔物を絶賛していない国は皆無に等しいのだから。それでも魔物が住んでいない国がどこかにあるはずだ。パン・シール教団の影響がない国がどこかにあってもいいはずだ。それがないなら、無人島に住む覚悟を決めなければならなかった。
一夜にしてパン・シール教団が瓦解することはない。一夜にして魔物が元の姿に戻ることはない。一夜にして魔物愛護家が間違いを認めることはない。だからこそ、生きるための移住を二人は決断した。都市とは無縁の生活を送ることになろうとも、魔物がいないならそれに越したことはない。
「……泥で船を作ろう。物体強化魔法を使えば崩れないかもしれない」
「はあっ? なに言ってるの? 作ってる暇なんかないのパツィだって分かってるでしょ! 船を探した方がっ……。……あ」
「どうしたの? まさか魔物に見つかったっ?」
口を押さえて後ずさるミュリエル。何か得たいの知れないものを見てしまったような表情だ。
「……船が、あった」
「え、船? そんなものが、……うそ。ホントに船があった。これで私たち逃げられる!」
確かに遠くの波打ち際にかすかに船らしきものが見える。身体強化魔法で全速力で船に近づいた後、それが打ち捨てられ錆びた大型のフェリーだとわかった。船の近くにいる瘴気に汚染されていないらしい普通のカモメが二人を物珍しそうに眺めている。
「ねえ、これ。動かせる?」
聞くまでもなかった。二人が探していたのはオールで漕いでいくような小さな船だったのだが、これは明らかに大型船で、強化魔法だけで動かせるような代物ではなかったのだ。
「車の免許すら持ってないのに、船を運転なんてできるわけないじゃない」
緊迫した空気が漂ってきた。仲違いしている場合ではない、それが分かっていても船が動かせないと分かると二人の間に沈黙が流れた、その時だった。二人のやり取りを見ていたカモメが二人の間に割って入ってきた。
「あの怪物どもから逃げたいようだな」
「え、誰?! どこにいるの!」
太い男性の声が聞こえたので、思わず船を船を見上げた二人だが人が乗っている気配はない。幽霊すら乗船していないようだ。目に見えない魔物の仕業だと思った二人は体に強化魔法をかけ逃げる準備をした。
「どこを見ている! 俺が話しているのが見えないのか!」
声をした方を見るとそこには目付きの鋭い強面カモメしかいない。カモメがくちばしを開くとまたあの太い男性の声がした。
「やっとこっちを見たな! 我が軍艦に乗りたいのなら、乗せてやらないこともない! 俺はこの船の提督、尾黒だ! そしてこの軍艦の名はブラックテール号と言う!」
どこからどう見てもフェリーにしか見えない船を軍艦と言い張るカモメは見た目は普通で、およそ魔物には見えなかった。しかし、言葉を発したのはこのカモメに違いない。
「カモメがしゃべった……」
「失礼な! 俺はこう見えて人間だったのだぞ! 黒い霧を吸い込みこのような姿になってしまったのだ! しかしそんなことはどうでも良い! 貴様らはこの船に乗るのか、乗らないのか!」
二人は悩んだ。フェリーは錆びているし、第一提督と名乗るこのカモメはどうやって船を動かすつもりなのか。
「ニャー! グズグズするな! 怪物に追い詰められてしまうぞ!」
「ね、猫みたいな声で鳴いた……」
興奮すると猫のような鳴き声を発してしまうらしく、ハッとしたカモメは急にくちばしをつぐんだ。
「き、気のせいだ! 空耳に違いない! この俺がニャコみたいな声で鳴くはずがない!」
「ニャコ……」
「こ、これ以上言うな! 俺の株が下がる!」
(まだこのカモメのこと何も知らないんだけどな……)
二人は迷っていた。これはパン・シール教団の罠ではないかと。しかし、立ち止まっている間にもまだ魔物が二人を探し追いかけていた。逃げられるのなら、得たいの知れないカモメの船に乗っても構わないではないか。二人は覚悟を決め、錆びたフェリーに乗船することにした。
「よし、出港するぞ! 皆の者、船を出せ!」
誰も乗っていないはずの船がカモメが指示を出しただけで途端に生命がみなぎったかのように騒がしくなった。そしてついに船は動き出した。
実はこの船がいく先にカーラとジョシュアのいるベル・ドゥーロという町があるのだが、二人はそんなことは知る由もなかった。
アールが魔物を燃やすようになってから、ある不穏な噂が流れるようになった。あの巨人は魔物を燃やしていながら、真の狙いは普通の人間なのではないかと。恐怖のあまり何を信じていいか分からなくなった呪いから免れた普通の人は、魔物だけでなく魔物を倒しているアールにまで恐怖を感じるようになっていた。それが、巨人討伐に発展するまで長くかからなかった。
「このままだと、俺らも魔物扱いされて燃やされてしまう。その前にあの巨人を倒してしまおう」
誰も巨人討伐を止めるものはいなかった。魔物狩りが郊外の人々に広まったように、巨人討伐も密かに広まった。燃えるところに巨人あり。アールはまさか自分が命を狙われているとも知らずに魔物狩りを続けていた。
「今度はあの山の魔物を燃やそう。人間に被害が及ぶ前に。……でも、せめておれが浄化魔法を知ってさえすればっ」
悔やんでも悔やみきれない。魔物も元をただせば普通の生き物だった。それでも魔物の命は絶たなければならない。そこにアールは痛みを感じていた。
いつか瘴気が消えるその日まで。アールはまた一つ山を燃やした。




