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取り戻せない過去、道しるべはいまだ見えず

 魔物の楽園が確実となった時、小さき竜は何も行動を起こさなかったわけではなかった。浄化作用を持つ自身の血に増殖魔法をかけ瘴気が強い場所へ撒いていた。結界を廻りに貼らなければ竜自身も瘴気に蝕まれてしまうため、大いに行動を制限されながらの地道な活動だ。


「サルーシャ山はアールが燃やしてしまったが、呪いの水の影響がまだ残っておるな。元の生き物がこの山に戻って来るのは遠い先のことになりそうだ……。ところでお主はここで何をしておる」


 竜が語りかけた先にはドクター・ハイネと名乗っていたヨエルがいた。生成したばかりの聖水を焼け焦げた地面や植物にかけている。


「これで罪が軽くなるわけじゃない事は分かっている。……けど、何もしないよりはマシだ」


「そのようだと、町の人々を説得するのに失敗したようだな」


 痛いところを突かれたヨエルだったが何も反論せずうなずいた。


「ところでタブレットとかいう薄い板はどうした? ()()()を監視するのは諦めたか?」


 今度こそ急所を突かれたらしくヨエルは目を見開いた。少し口がひきつっている。


「……あなたには関係ないことだ」


 ようやく口を開いたヨエルだったが口調がぎこちない。そしてわずかに目をそらした。


「ということは監視していたことを認めるのだな。ただ、何もお主のやったことを非難しているわけではない。あの子にかけられた呪いは他の誰よりも強力で暴発しないよう見張っておかねばならぬものだからな」


 冷たい空気が山にたちまち雪を降らせた。わずかに赤みの混じった雪は魔物化した焼け焦げた植物に降り積もるとたちどころに植物を枯らした。竜の血が混じった雪が山を浄化していった。


 しかし、その強力な浄化作用を持つ雪はヨエルには効かなかったらしく、ヨエルは女性のままだった。


「……いつ頃、この呪いは消えてなくなるかなんて聞いても無意味、か」


「それはお主自身がよく分かっておることではないか。今のお主には欠けておるモノを考えてみろ」


 他の人にあってヨエルにないものは薄々感づいていた。今まで一人で研究していたせいで誰とも協力しようとしてこなかったし、若いときは新しい魔法(時には黒魔法)を開発することにかまけて他人を出し抜こうとすらしていた。


 しかし、この危機的な状況で一人で何とかしようとしても無駄なことなのだ。ヨエルが苦手としていた信頼できる人と協力することが敵を倒すには必要なことなのだ、と。遅まきながらヨエルは痛感していた。


「平和な時だったら他人のことなんかどうでも良かった、のにな」




 ヨエルが魔術師として一人立ちした時は魔物がまだはびこっていなかった。その頃、謎の病が流行っていた。花食(はなはみ)症候群と呼ばれるその病気は高山にしか咲かない稀少種、イグニス・フロースという花を食べないと餓死してしまう恐ろしい病だ。


『あの花をちょうだい! 早くっ』


 ヨエルが始めて付き合ったばかりの恋人、マリアがこの病にかかってしまい、高山の一つであるディネポサ山に連れていくと、マリアは無我夢中で花を食べ始めた。


 枯れるとき独りでに火が燃え上がるその花は栽培も難しく、魔法栽培が確立された頃には恋人は痩せ細って以前のきれいさは見る影もなくなっていた。


『あの花を……、もっと』


 それが最期の言葉だった。新薬が開発されたのはそれから十年以上も経った後だった。しかしその薬には問題があった。その薬を服用すると、花しか食べていなかった患者はたちまち衰弱死してしまったのだ。


 その薬を開発した会社は倒産してしまったが、その頃のヨエルはあろうことか恋人の家族にお悔やみを述べることもなく新しい妻を迎えていた。そして、そのあたりから魔物が増加しヨエルの人生はあらぬ方向へと突き進み始めた。


「自身が選んだ行動が、何を引き起こすのか考えたことはあったのか?」


 竜に問われるまでもなかった。これはヨエルが

負うべき責任だ。恋人のために何もしなかった事への罰をヨエルは償い続けなければいけないのだと。 


 昔のように魔法研究に明け暮れていたなら、ヨエルの罪はもっと重くなっていたはずだ。ヨエルの魔法研究が沢山の人々から恨まれるかもしれないと、早くから覚るべきだった。


「……昔は考えてなどなかった。でも、今はっ」


「償ったからと言ってすぐ(ゆる)されると思っておらぬだろうな?」


「それは……」


 ヨエルが生きている間は赦されるはずがない。恋人が苦しんでいる間にもヨエルは新薬開発をするどころか、その時はまだ細々と食いつないでいた巨人を滅ぼす計画を立てていたのだから。


「マリアが赦しても、その家族は一生お主を恨み続けるだろうな」


「……巨人は、人間にとって害だから滅ぼすべきだと思っていた。それが人間のためだと本気で思っていた」


「だから、黒魔法に手を染めたと言うわけか」


「今はもう黒魔法の研究などしてない。決して、嘘じゃないっ」


 薄赤い雪が山を染めてゆく。魔物だった植物は枯れ、魔物化した小動物ももがき苦しんでいた。サルーシャ山は浄化されたのだ。


「聞いておったか? アールよ。こやつはもう巨人を滅ぼすつもりはないそうだが、信用できると思うかね」

 

 竜に促され洞穴からアールが出てきた。洞穴は大きいはずなのに、そこから出てきた巨人と比べると洞穴が小さく見えた。


 ヨエルは現れた巨人を見て絶句した。焼けただれた痕が炭化しているように見え呪いにさらされた事がうかがえたからだ。アールはヨエルを見るなり顔つきが歪み見るからにおぞましい表情になり、ヨエルを縮み上がらせた。やみくもに刺激してはいけないと直感したヨエルは体をこわばらせた。


「……おれの敵はジェイル一人だけで十分だ。今まで呪いのせいで何度も人間を憎んできた。その結果がこれだ。呪いから解放されても呪いにかかった過去は消えない。おれはこれ以上誰かを憎んで魔物以下の存在になりたくなんかないだよっ。だから、もうこの山に来るな。おれの事が気の毒と思うくらいなら、ここから失せろ!」


 アールが叫んだ勢いで樹木に積もった雪が落ちてきた。竜の血が混じっている朱色の雪がヨエルの頭に覆い被さった。


 学校から命からがら逃走しジョシュアに追い払われ、挙げ句の果てに巨人にも拒絶されたヨエルは立ち去ることしかできなかった。






 バタバタと落ちていく毛玉。看守から横取りした魔法銃がなければ今ごろ大量の毛玉の餌食になっていたに違いない。ジェロニモは脱獄するため手を組んだジェレミーを値踏みしつつ素早く毛玉を撃っていった。ジェレミーは鉄パイプで襲ってきた毛玉を殴り倒し床は血でヌルヌルと滑りやすくなっていた。


「早く出口を見つけないと、これより狂暴な魔物が襲ってくるかもな」


 言われなくても分かる。ジェレミーの発言に対して反論しかけたジェロニモは口をつぐんだ。異臭が鼻をついたからだ。何かが腐ったような嫌な臭い。


 恐る恐る臭いが漂ってきた方角を見ると、そこにはドロドロに腐った肉塊が二人をめがけて這いずり廻っていた。


「 お゛ に゛ い゛ ち゛ ャ 、ダ ズ ゲ……」


バキュンっ。


 頭が真っ白になってしまったジェロニモは知らない内にその肉の塊を撃っていた。二発、三発。何度も撃った。その肉塊が動かなくなった後でさえ、ジェレミーが止めなければ彼は撃ち続けるのを止めなかったに違いない。


 ジェレミーに銃を抜き取られたとき、ジェロニモは上ずりながら(うめ)いた。


「あの声は弟の声だった。でもそれはあり得ない。弟は、何年も前に亡くなったはずなのにっ」

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