埋葬される夢
身も心も凍るほどの雪が降り積もる。今着用している服ではあまりにも心もとない。カーラは逃亡生活を送る事になるとは、学校に入学したばかりのころは思いもよらない事だった。襲いかかってくる魔物との戦いにも疲れ果て家に帰りたい一心だったが、この混乱状況の中自宅が無事なのか甚だ疑問だった。というのも、いく先々の街は魔物によって破壊し尽くされていたからだ。残された人々も正気とは言えない状態で頼れそうになかった。
一緒に逃亡しているジョシュアとの仲も緊張感が漂い一触即発になるくらいピリピリしていた。唯一の友達だったダニエラを学校に残してきた事が悔やまれたが、その友人でさえ今やパン・シール教団の熱心な支持者になっていた。カーラは孤独感を痛切に味わっていた。それは学校にいたときよりも強くなっていた。ジョシュアがドクター・ハイネを剣呑に追い払ってから一層それを強く感じるようになった。誰からも見放され、一緒にいるジョシュアでさえ二人の間に深い溝を広げているように思えた。
こんなことになるならば、もういっそのこと学校から逃げ出さなかったほうが良かったのかもしれない。魔物だってそう無尽蔵にわいて出てくるわけではないから私にかかった呪いで襲いかかってくる魔物を粉々にしたらきっと学校だって安全になったはず。カーラがそう考え始めていた矢先のことだ。
威勢の良い大人数の声が聞こえてきた。声のする方向に顔を向けると大勢の人々が雪が積もった畑のど真ん中で魔物狩りについて議論を繰り広げていた。カーラとジョシュアはいつの間にかディレル街から北東にあるいなか町、ベル・ドゥーロに来ていたのだ。
銃や火器、バールのようなもの等ありとあらゆる武器を携えた集団が、魔物狩りだけでなくパン・シール教団を壊滅させる計画を熱気を帯びた様子でまくし立てていた。
その中で一際声を張り上げていたのはジェレミーの幼馴染みのエイドリアンだ。彼はジェレミーの毒キノコ栽培を間近で見てきたが、あまり協力的でなかった事を悔いていた。親しい人が捕まえられたのを見たせいで、パン・シール教団に目にもの見せてやると言わんばかりの勢いで周囲の人達に向かって発言していた。
「あいつはロッククライミングが大好きだった。それが今じゃ狭い檻の中だ。魔物さえ増えてなかったら夏にはサルーシャ山の断崖を登っていたはずなんだ。その山でさえ、今となっては魔物がはびこる危険な山になってしまった。それもこれも、パン・シール教団のせいだ。あんなキチガイが出てこなかったら魔物が増えるはずはなかった!」
わき立つ集団の魔物への怒りはとどまることを知らないせいで、端で見ていたカーラは話しかけるのを戸惑ったほどだった。
「あの人達、街にいる人達よりまともそうだけど……。どうしよう?」
「放っておけば良いだろ。あまりカッカしすぎると見えるはずの物も見えなくなる。冷静さを失うとまともな判断力さえ狂うからな」
ジョシュアのそれは至極妥当な意見だ。カーラには思い当たる節が余りあるほどあったので、遠回しに熱くなりすぎるなと言われているような気になったぐらいだ。
それでもパン・シール教団を倒す仲間が増えるかもしれない。その思いはカーラの足を自然に集団の方へ向かわせた。魔物が人間を食い潰すのを黙って見ているくらいなら、たとえ無駄だとしても最後まで抗った方がいい。間違っていることに頭を下げるくらいなら、わずかな希望をつかむために立ちはだかる障壁だって壊して見せる。たとえ将来が暗雲立ち込めたままになろうとも、カーラは未来を諦めようとしなかった。
彼女自身が学校から立ち去った時に知らず知らずの内に決意は固まっていた。安住の地なんてないのかもしれない。それでもカーラは自身だけでなく他の人達のために、この国や他の国に住む人達が魔物を崇めなくて済むように、本来の人間性を取り戻すためにも、パン・シール教団を倒すと決めた。
魔物に苦しまなくて済む日が来るためにも、これはカーラ自身が選んだ苦悩だ。
人間にとっても、亜人にとっても住む場所はほぼ壊滅したも同然だった。ミリア湖がある場所は魔物に占領され湖ですら腐敗臭が漂う不快な場所になっていた。湖の守り主である竜のミリアが消失した時から腐敗が始まっていた。時折竜の血が混じる浄化の雨は降るものの、雨が止んだ後元に戻ったはずの動物がまた魔物化する事態に陥っていた。それもそのはず、目に見えない瘴気が湖全体を覆っており浄化の雨でさえ瘴気を消滅させる事が出来なかったからだ。
ジェイルの手先になってしまったアールの存在が事態をさらに悪化させていた。良心や理性を眠らされ思考をコントロールされたアールは人間を滅ぼすための魔物になってしまった。アールに直に会ったことのある人物であるはずのマダム・マーラはアールに起きた事を認識していないらしかった。
アールの存在に否定的なカーラは物語の人物が実在しているとはまだにわかに信じることが出来ないでいた。ルッツィ改め彼女の姉のルチアに起きたことでさえ嘘だと考えた。なぜなら、物語に書いてあった事すべてがカーラの考える事実と反していたからだ。
ジョシュアがドクター・ハイネを物語の登場人物であるヨエルだと考えた理由でさえ馬鹿げていると感じていた。あの元息子、銀髪の少年ランコアに原因があるとカーラが考えていても不思議ではない。あの巨人の物語を渡した少年をカーラは胡散臭く感じていたのなら物語に書いてあることも嘘と思っていても仕方のないことだ。だから、私の存在を否定したのも仕方がない。私は存在を否定された者だから、彼女の前から消えるより他はない。ジョシュアがドクター・ハイネを排除したのは賢明な判断だ。何故ならその人は、いや私は体全体から瘴気を発しているのだから。
ジョシュアにこっそり渡したタブレットが功を奏した。パン・シール教団の作った盗聴機付きのタブレットはカーラの動向をくまなく私に教えてくれる。これは断じてパン・シール教団を利する行為などではない。カーラにかかった呪いを解くために必要なことだ。カーラにかかった呪いは、世界を滅ぼす最も程度のひどい呪いだからだ。この呪いはいずれ彼女が触れるもの全て、いや魔物以外を破壊するようになるからだ。
あとは人形のテレージアの持つ裁ち鋏も回収するだけだ。……あれは魔物化したエルフや獣人族を斬る手はずになっている。魔物全滅作戦に役立ってくれるはずだ。
アールが正気を失ってからどれほどの時間が経っただろうか。人間が魔物に襲われ悲鳴をあげる様子を最初は楽しげに眺めていたアールだったが、時が経つにつれ何故か楽しめなくなっていた。
少し赤い雨がアールの頭上から降った後のことだ。人を襲う度に雲となってからは消えたはずの心臓がキリキリと痛んだ。魔物が人間を襲うのを見て楽しもうとしたが、その時も胸が銃で撃たれたかのように痛んだ。最初は気のせいだと思い込もうとした。が、人を襲う度痛みは激しくなった。そして人を襲うのを止めた時に痛みは止んだ。
「ジェイル様のタメに、人をコロさないとイケないノに……」
(……出して)
小さい声が聞こえた気がして辺りを見回す。しかし、そこには魔物と呻き声をあげる人間しかいない。気のせいかとまた人を襲おうとした……。
(思い出して。本当のあなたを。あなたは騎士になりたいはず。はやく、本当のあなたを取り戻して)
それは温かく優しい声だった。何故だか懐かしいその声はアールの黒く蝕まれた心を癒した。




