氷雨と残火
赤黒い空が一日中人々を憂鬱にさせる中、郊外に住む人達の逮捕が相次いだ。魔物狩りが違法として魔物保護団体が訴えたからだ。毒キノコ栽培をしたジェレミーもまもなく逮捕された。
「俺は正しいことをした。後悔はしてない」
そんな言葉に魔物保護団体が耳を傾けるわけもなく、彼は連行された。彼が収容された刑務所はディレル国の北にあり建物内にいながら凍えるようなところだ。
彼が逮捕されるのを見た幼馴染みのエイドリアンや友人達は秘密裏に仲間を集め決起することにした。それはちょうどカーラがドクター・ハイネと落ち合ったころだった。
長い間ろくにまともな食事をとっていないドクター・ハイネはやつれ果てていた。しかしそれはカーラやジョシュアも同じだった。同じ境遇にある三人は互いを気遣えるほど心の余裕があるわけではなかったのだ。
開口一番ジョシュアがドクター・ハイネに言った言葉は「あんたを信用することは出来ない」だった。
「ち、ちょっと! そこまで言わなくても!」
「ジョシュアの言うことは間違ってない。……私は偽者だからな」
三人の間に冷たい空気が流れた。冷たい雨が降りしきる。遠くで爆発音がした。きっと魔物が町中で暴れているのだろう。そこにはきっとうず高く積もった瓦礫から助けを求める声があげられている事だろう。
「偽者……」
カーラはひっそり息を飲んだ。正体を偽ったまがい物であることを自ら認めたマリー・ハイネはことさら弁解する様子を見せなかった。爆発音が立て続けに続く。遠くで煙が黙々と上がっているのが見えた。
「お前が何しようと勝手だが、魔物を助けるような真似はするなよ」
「分かっている。十分そのつもりだ」
カーラはなぜドクター・ハイネが否定しないのか訳が分からなかった。それは自らの理性が信用できなくなるくらい落ち込んでいると認めるようなものだからだ。
「ジョシュア……」
寒々とした空模様の中で思わずジョシュアの名前を初めて呼んだカーラに反応しなかった彼は代わりにドクター・ハイネにあることを要求した。
「この街から出ていけ。戻ってきたら容赦しないからな」
会話はそれだけで終わった。ドクター・ハイネは気落ちした様子を見せなかったが去っていく後ろ姿が暗く重い影をまとっているように見えた。本当は頼れる人が必要だと思っていたカーラはジョシュアの対応を恨めしく感じた。
「本当に、これで良かったのかな? あの人、他の人と違ってまともに見えたんだけど……」
「俺には見えたんだよ、奴の欠点が。前にも言ったが俺には人の弱点が見えるんだ。……あいつは聖水を飲まないと理性を保てない。それに水にわずかな怨素が含まれていると、聖水が作れなくなってしまう。きれいな水がなくなり二度と聖水が作れなくなってしまうと奴は姿は人間でも、心は魔物と同じになるだろうな」
反論出来ないと思ったカーラは口に出して言わなかったが、わだかまりが胸の内に溜まっていくのを感じた。ジョシュアは良い相棒になれそうにない、と。それでもパン・シール教団に立ち向かうには仲間が必要だ。些細なことでもめるべきでないと分かっていたが、カーラは惨めな気分になっていた。
冷たい空気のせいで空から降る雨はことごとく雪になった。黒々した上空で雲になったアールが黒い雪を降らせていた。
「皆、呪ワレテシマエ! 魔物ノタメノ滅亡ヲモタラサン!」
それに当たった植物は魔物になり地面から根を引き抜いて人間に襲いかかった。空を飛んでいた鳥も魔物化し人間を襲い始めた。黒い雪に降られた人間は気がふれたかのように周囲を破壊し始めた。混乱が混乱を呼び、魔物が暴れる中で正気を保っていたのはカーラを含め怨素の入った黒い呪いの水や霧に呪われた人達だけだった。
それ以外の人達は凶暴化したり魔物化したりしていつしか都市の機能が果たせなくなっていた。正気を保った人々は隠れて暮らさざるを余儀なくされた。狂気が狂気を呼び、まともな人が奇人扱いされるようになった今、理性的な人はパン・シール教団に送られ思考矯正を受ける羽目になった。
そのうちの一人のゼル改めジェロニモは退職願いを提出した途端にパン・シール教団に強制的に送られてしまった。呪いのせいで体が頑丈になった彼は殴られたり蹴られたりしても怪我ひとつ負わなかったのでパン・シール教団の支援者の心の内にある彼を痛め付けたいという気持ちにさらに火を点けることになってしまった。
「こいつの腕を切ってやろうぜ。そうしたら反抗出来なくなるぜ」
「馬鹿言え。前にナイフを突きつけても跳ね返ったのを覚えてないのか? この前なんかコイツを火であぶっても無傷だったんだからな」
「だったら、何が良いって言うんだ? あぁ?!」
「俺に文句あるのか! 言ってみろ!」
目の前で喧嘩が始まり、またかとウンザリしたジェロニモはタブレットについていた小さい穴について考え始めた。
(あれはたぶん監視カメラ、のはずだ。パン・シール教団に反対する者がいないか見張るために作られた。おそらく、あの会社は裏でパン・シール教団と繋がっている。だから退職願いを出した途端に真っ先にここに送り込んだ。もし俺のようにまともな奴があのタブレットを持っていたとしたなら、俺と同じ目に遭うのは時間の問題だな)
一心不乱に考えていたせいか、近寄る影に気づいた時には彼は魔法銃で撃たれた後だった。弾は腹を貫通することなく跳ね返されたがそれでも内蔵に与えた衝撃は生半可なものではなかった。
「ゲホッ、ゲホッ。……何しやがるっ」
「貴様は俺たちをなめているようだから、一発お見舞いしただけだ。ちょっとは効いたか?」
「魔法が不得意なお前でもその銃使えるんだから大したもんだよな」
「うるせぇ! 余計なこと言うんじゃねえ!」
警察だけが所持しているはずの魔法銃をなぜ無関係な者が持っているのか、その意味が分かったと同時にジェロニモは青ざめた。
(警官からどうやって……。いや、そんなことを考えている場合じゃない。あの銃は魔法能力を持たないものでも念じただけで扱える、最新式の銃だ。あの手の銃は持ち手を選ばないからどんな魔法が飛び出してくるか分かったものではない)
ジェロニモ自身魔法に自信がある訳ではない。とっさに呪文を思い付いただけでは次々と連射で放たれる魔の弾丸に対処できるはずもない。いくら呪いのおかげで(?)体が頑強になったとはいえ、このままでは防戦するしかない。彼は学生のころ部活動で習った剣術のことを思い出したが、それも棒状の物がなければ意味がないのだ。
(どうすればいいんだ……)
ここで騒ぎを起こすのは賢明ではない。しかし、捕まったままで良いはずがない。いつもは理知的で生真面目すぎるとからかわれたジェロニモだったが、間違ていると思うことに対してまで頭を下げる義理はない。そこで彼は身体能力強化の呪文を念じた。
例えパン・シール教団を破滅させられなくとも、監獄から脱獄することは出来るはずだ。おそらく同じ理由で捕まった人もここにいるはず。その人達と手を組めば相手と互角に戦えるだろう。捕縛された人はこちらを信用してくれないかもしれない。しかし、パン・シール教団を壊滅させるという目的のため相手が一時的に共闘してくれることに彼は賭けることにした。
しかし、一体どのくらい逮捕者がいるのか未知数だ。もしかしたらここにいるのはジェロニモ一人きりかもしれない。けれども未来のために悪事を黙認するわけにはいかなかった。




