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ささやかな日常が幸せだったと噛み締める時

 たとえ一寸先は闇だとしても、灯りを点すろうそくが闇の中に紛れていたとするならば、そのろうそくを探しに賭けに出るべきだろうか。







 走りすぎて足がとても痛い。裏路地に入った私とジョシュアは、毒を食らって血まみれになった角トカゲからようやく逃げきれたところだった。


「一体何なの、あれっ。見た感じうろこだらけの人間だし、まさか魔物化した人?」


「だろうな。しかもあいつは執念深いときている。見つからないようにしないとな」


 路地裏は薄汚くゴミがあちらこちらに散乱している。時折魔物化したネズミらしき生物が噛みつきにくるので、ジョシュアは事も無げにその魔ネズミを踏みつぶした。みるみるうちに赤黒い血のような液体が地面に広がる。


「踏みつけたくても良かったんじゃ……」


「かわいそうか? でもあまり魔物に気を許すな。気を抜いたらこっちがやられる」


 言われたことが分からないわけではなかった。けれども、私はジョシュアのようにためらいなく魔物をころせるとは思えなかった。


「聖水……、か。ところで怪我したところ大丈夫?」


「あんなの怪我のうちに入らねえよ。治療魔法をかけたからな」








 トルストゥールにあるみすぼらしい建物。そこにはミュリエルが人形工房を営んでいる。店主であるザカリーとの意見の不一致から独立することになったのだが、今まで客が来たためしなどない。大抵は冷やかし半分で入ってくる客が大半だ。そのせいで生活はいつもギリギリでいつ工房が潰れるとも限らない。


 そんな中ミュリエルの元に初めての仕事の依頼が舞い込んだ。有頂天になったミュリエルだったが、依頼をしに来た客を見て疑念が生じた。右手がない。聞くと右手の義手を作って欲しいとの事だった。トミー・スミスと名乗ったその人物がパン・シール教団に関係していないとも限らない。


 しかしようやく仕事にありつけると思った彼女はその仕事を受けることにした。後払いで頼むと言われた時はたぶん支払う気は全然ないのじゃないか、と思いはしたがもし断れば後の仕事に響くのではないか。そんな思いで義手作りを始めたのだった。


「……後はこれに魔法をかけて自分の意思で動かせるようにするだけね」


 出来上がった義手は人工物丸出しで本物の手らしさがない。ザカリーが作った人形とは雲泥の差だ。それでも以前は彼の人形作りを見ながら人形の服作りをしていたのでなんとかなったはずだ。


 出来上がった手はぎこちなく動いた。ペンを掴ませようとしたが義手はペンを持とうとしてもなかなかうまく掴めない。これは本物の手のような滑らかな動きではない。これでは客に渡せるはずがない。ミュリエルは今更ながら人形作りをちゃんと勉強しなかったことを後悔した。


 しかし義手は本物の手ではない。脳が指令して義手に行動を伝えたとして上手に動かせなければ意味がないのだ。今ミュリエルに必要なことは身体の構造を理解することかもしれない。


 仕事を続けようとした時だった。妙に外が騒がしい。気が散って仕事どころではなくなったミュリエルは外に出ると唖然とした。


 魔物が辺りを破壊していてあろうことか見物人らしき人々がそれを煽動するかのようにはやし立てていた。


「仕事をしている場合じゃなくなってきた……」






 学校に魔物が乱入したせいで全ての講義は中断されていた。しかし、その後に起こったことはかなり異常だった。魔物にでくわした学生は逃げ出したとしても心底恐怖を感じていたわけではなく何故かその状況を楽しんでいた。まるで魔物との追いかけっこをたのしんでいるかのようだ。


 その状況を見て取ったドクター・ハイネことヨエルは事態が悪化の一途をたどっていることを(さと)った。


(これは、もしや見えない瘴気を吸い込んで判断力を失ったせいか? だとすれば、私がここに来るのは誤っていたということになる……)  


 聖水を常備し飲んでいる間は理性が保たれヨエル自身から出ている瘴気も出なくなっているはずだった。しかし、周囲の状況を見る限り呪いの水の影響がないとみられる人たちでさえ魔物フィーバーに陥っているということは、やはり瘴気の悪影響を被っているとしか言いようがなかった。


「……ここにずっといるわけにはいかないな」


 意を決したかのように学校の敷地を出たヨエルだったが解決策を見いだしてなどいなかった。聖水が宛にならない以上、他の方法を探し出すしかないのだ。







 ヨエルが校門を出たときまず目についたのは、異様な空だった。昼間にも関わらず赤黒い空は辺りを血まみれにしたかのように見えた。その中でうごめく魔物たちは行き交う人々を舌なめずりしながら襲う機会を伺っていた。


 襲われるかもしれない、という不安はあっさり裏切られた。と言うのも呪いにかかった者は人の姿をしていても同じ魔物と見なされるからか、魔物はヨエルを見ても襲いかかるどころか、味方を見るような目で見たからだ。


 襲われないことに気を良くしかけたが、魔物と同類とみなされたことでもあるので迂闊(うかつ)に近づけなかった。もし、仲間だと思われて一緒に人間を襲おうと誘いを受け、それを断ろうものならヨエル自身が酷い目に遭いかねなかった。


「狂ってなんかいない、今はまだ……」







 安全な場所など無いに等しかった。どこへ行っても魔物がうようよしていて気が休まるどころではなかった。姉が働いているトルストゥールへと魔道列車に乗って来たパツィはやって来たことを後悔した。


「お姉ちゃん、無事でいてっ」

 

 タブレットは何故か使い物にならなくなっていたため連絡しようにも確認がとれなくなっていた。一目でも会えたら安心できるのに、こんなことになるくらいなら幼馴染みのジェロニモに頼むんだったとパツィは悔やんだ。彼はタブレット会社に勤めているためこのタブレットの異常に何らかの対処はしているはずだった。


「確か、この辺りだったはず……」


 魔物に見つからないよう息を潜めながら姉のミュリエルがいる人形工房を目指す。


「あ、あった! ……って、何あれ」


 ようやくたどり着いてひと安心かと思いきや、工房の周囲は魔物で埋め尽くされていた。


「う、嘘……」


 まさか魔物にやられてしまったのではないかと気が重くなる。ここで諦めるわけにもいかないパツィは筋力向上の補助魔法を発動した。


「絶対負けない!」






 雲に紛れたモヤモヤアールは地上が異常なくらい魔物におおい尽くされているのを目にしていた。どれも元は動物だったり人間だったりするが、ほとんどが凶暴化しているのが見てとれた。


「こんなことになってるなんて……」


 都会とは切り離された生活を送っていたアールでも、街の異様さに胸を締め付けられた。







 魔物にとっての楽園は人間には地獄だ。しかし、魔物が元人間や動物ということが物事をややこしくさせている。その魔物を倒すことは元動物や元人間をころすことに相違ない。人によって魔物を倒す事を躊躇(ちゅうちょ)するかもしれない。だが、その魔物への思いやりは人間を潰すことになる。やらなければ、倒される。







 安穏とした日々が遠い記憶になりつつある今、些細(ささい)な日常が懐かしく思うようになる程、私は身をもって思い知らされた。


 退屈だった授業が幸せの絶頂だったと、魔物に生活を脅かされるようになった今になって知るなんて、遅すぎる。けど諦めるなんて、できない。


 魔物の楽園を破壊して見せる。

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