夢が潰えるとき
住み慣れた街が燃えていく。皆が皆我先にと逃げていった。その様子は大混乱を極めた。
逃げ惑う人々を煙になったアールはただ愉快そうに眺めていた。
「皆、おレの事を認めナかった。シんで思いしレ」
正気を失ったアールは自ら犯した事の重大さがわからなくなっていた。そこにフワフワの毛玉が現れた。
「街を燃やして楽しい? でも、これは君自身が選んだことだ。後悔なんてしないでよね」
毛玉がそう言うと、火の粉が毛玉に降りかかった。ほんの些細な火の粉だが、毛玉を燃え上がらせるには十分だった、
が。
バシャッ。
大量の水が毛玉に浴びせられた。いつの間にかマダムが城壁に立っている。ディレル街の窮地を知り駆けつけてきたのだ。そして毛玉に水を浴びせたのもマダムだった。
「これじゃ、水の量は足りないかしら? ランコア」
いつの間にか、毛玉は人間の姿に戻っていた。顔を悔しそうに歪ませている。
「あなたに聖水をかけたから、もう魔物の姿にはなれませんことよ。まあ、わたくしとしては、あなたの性根を根本から叩き直して差し上げたいところですけど。けれど、あなたは人生これからですのよ? ヨエルという人が憎いかもしれませんが、それではあなたの人間性もどんどん落ちていく一方ですわ。あんな奴のことは忘れなさい」
「……何も知らないくせに、知ったような口を利くな! 僕はあいつから離れられても、あのお方から離れる事は出来ないんだ。だから……」
「甘えたことを言わないで! それは逃げられない事の言い訳に過ぎませんわ。確かにジェイルは煮ても焼いても食えない奴ですわ。だからと言ってあなたの人生を諦める理由にはならないですわよ!」
「……でも」
マダムが持ってきた聖水をまたランコアに浴びせた。みるみる内に火傷が言えていくのが見てとれた。
「あなたに今足りないは、悪事から手を引く勇気ですわね。あなたはそこにいなさい。わたくしにはまだしなければならないことがありますから」
そう言うが速くマダムは魔方陣を書き始めた。杖の先に聖水を着けて書いた魔方陣は無色透明だが、マダムが杖でまた触れると魔方陣が光を放った。
「聖水の雨を振らせたまえ。慈雨よ、業火を消し……」
その言葉をいい終わる前にマダムの体は吹っ飛んだ。まるで棒切れのようにマダムは街の外に落ちた。
マダムを飛ばしたのは聖水でずぶ濡れのランコアでも、街を燃やすことに夢中になっているアールでもなかった。いきなり吹き飛んだマダムを呆気にとられた顔で見ていたランコアを、ジェイルが冷ややかな眼差しで見下ろしていた。
「君なら、うまくやれると期待していたのだがね。見込み違いのようだ」
やられる、とランコアは目をつむったが、待てど暮らせど制裁は降りなかった。恐る恐る目を開けると、今度はルッツィこと、ルチアがジェイルを羽交い締めにしていた。マダムとは別にディレル街を目指していたのだが、街から煙が見えたので急いできたのだった。
彼女の手には毒薬らしい瓶を持っていて、どうやらそれをジェイルに飲ませようとしているみたいだった。が、ジェイルのほうが強く、いとも簡単にルチアを投げ飛ばしてしまった。
「そんなもので、私をころせると思ったのかね。まあいい。アールよ、この街をどんどん燃やせ。ルチア、だったか。君にはまだ生きていてもらう。君の知り合いの巨人のアールが街を燃やす様を見ていてもらいたいからね」
「あ、アール? どこにアールがいるって? ま、まさか……」
ルチアの表情が曇った。さっきまで気がつかなかったがどうやら目の前にいる灰色の雲らしきものがアールらしい。人の形をした雲は火を放ち街を燃やし尽くそうとしていた。
「う、嘘っ。あ、アールがこんなことするなんて、嘘に決まってるっ」
絶望に叩きのめされそうになったとき、雨がポツリとルチアの頬に当たった。聖水の雨が遅ればせながら降ってきたのだ。
雨がどんどん火を消していく中、ヨエルは自身の体を見つめていた。空から降る雨は確かに聖水だった。が、その雨はヨエルの体を元に戻さなかったようだ。今更ながら自身を否定されたような気分になったヨエルは頭を抱えて座り込んだ。
「何をそんなにウジウジしているわけ? あなた、確か魔術師でしょ? 何でもできるんじゃないの?」
慰めるわけでもなく、何の気なしに尋ねるパツィの問いかけに答える気力もないヨエルは黙ったままだ。それを見た龍がおもむろに口を開いた。
「この者は魔物が出没する以前は黒魔術に関わっておった。呪いが解けぬのも、その罪が重いためだ」
「黒魔法って、この人は何をやったんですか?」
気絶したままのスカイを傍目に見やりながらパツィは聞いた。降り続く雨が知らぬ間に吸い込んだ瘴気を浄化しているらしくパツィはだんだん体が軽くなっていくのを感じた。
「……聞かぬほうがよい事もある。特にお主は知らぬ方が良い」
「でも……」
言いかけたその時誰かの呻き声が聞こえた。とっさに声がした方を振り向くと一人の女性がずぶ濡れで倒れていた。火災が発生した時周囲の沢山の人に押し倒されたらしく服がぼろぼろになっていたが、見覚えのある顔にパツィは息を飲んだ。
「お姉ちゃん!」
すぐさま駆け寄りミュリエルの半身を起こした。
「んー」
「起きて! お姉ちゃん!」
「……私はムニエルじゃないってば……。スー」
「……へ?」
キョトンとしていると、向こうから大きな爆発音が聞こえた。良く見ると城壁が大きく崩れている。黒い煙の中、大きな灰色の人の形の煙が見える。脇に誰かを抱えているようでその人はぐったりしている。
「しまった! あやつらを何とかせねば!」
小さな龍はパツィが止める隙もなくあっという間に崩れた城壁に向かっていった。
城壁が崩れる前、雨のお陰で正気を取り戻したアールはルチアとランコアを救いだしていた。体は煙で出来ていたが二人を抱えて逃げることに支障はなかったようだ。街の中に二人をおろした時街が壊滅的な状況であることを知った。
火事は雨により鎮火したが建物を燃やされた大勢の人が路頭で右往左往していた。そんな中、ゼルが瓦礫に埋もれてしまった人を懸命に救助していた。
「あ、あいつはっ。皆、逃げろ! あいつはこの街を燃やした張本人だ! 奴から逃げろ!」
誰かが発した大声で外にいた人たち全員がアールを見た。その視線は一様に冷たい眼差しだ。
「な、何で皆おれの事睨む……」
その問いかけにルチアは答えることが出来なかった。今のアールは街の人々にとっての不倶戴天の敵であることなど、言えるはずもなかった。
「犯した過ちはたとえ意図したことではなくとも消せはせぬ」
駆けつけた白い小さな龍が静かにアールに向けて言った。
『騎士になれなくても、ジェイルは、あいつだけは絶対に倒してよ!』
以前ルッツィに言われたことを思い出す。前まではあんなに騎士になりたかったはずなのに、今のアールは騎士とは正反対の事をしている。その事実がアールを責めた。こんなことをしていては駄目なはずなのに……。
しかし、いつまでも自責の念に囚われている暇はなかった。街の人々が怒りの声をあげたからだ。
「逃げてちゃ駄目だ! あいつを捕まえて、目に物見せてやる!」
「奴を捕まえろ! あの煙を痛め付けてやる!」
人々のアールを非難する声が街中にこだまする。地獄はまだ、終わっていなかった。




