世界が狂う時
話があると呼び出したのが私だったらどんなによかっただろう。けれども、そう切り出したのはジョシュアの方だった。要するに私の方から話をふる勇気がなかったわけだ。そんなわけで私、カーラ・ハルトナーは誰もいない中庭でジョシュアと今後の話をすることにした。
「お前は周りの状況を見ておかしいと気づいているだろう」
「わかってる。皆、存在しないはずのパン・シール教団を崇拝してる。街までおかしくなって、私まで頭が変になりそう」
私の神経は限界に近づいていた。だからか、対して仲良くもない顔見知り程度のジョシュアに泣き言めいた事を言ったのだ。
「別にお前の感想は求めてはいない。今の俺たちに必要なのは解決策だ。それも根本的な解決だ。俺が言いたいこと、わかるよな?」
彼の口調にムッとしなかったわけではない。けれど今は言い争いしても何も事態はよくならないことはわかりきっていた。私に必要なのは何よりも仲間だ。得たいの知れない相手に立ち向かう仲間が、今の私には決定的に足りていない。たとえ仲があまりに良くなくてもパン・シール教団の幻想に浸っていない仲間が私にはどうしても不可欠だ。だから、ジョシュアが言い出してくれたことが、少し嬉しく感じた。
「うん。まあ、ね」
「だったら次に何するか分かるか?」
そこまで考えていなかった私は答えることができなかった。確かに周囲がおかしいのは前から確認済みだし、私自身呪われているので何をなすべきか考えておくべきだった。
呪われている。今更ながらその事実が毒のように効いてきた。どうしてその事をもっとよく考えなかったのか? それはその呪いの行き着く先を想像したくなかったからに他ならなかった。呪いが蝕むところまで私を蝕んだら私は一体どうなるのだろう? 冷や汗が勝手ににじんできた。
「おい、ボーッとしてないで何か答えろよ! 今が休憩時間って事を忘れるなよな!」
ハッとして顔を上げる。そこには少し怒った表情のジョシュアがいた。
「ごめん。少し考え事してた」
「真剣に考えてもらわないともっと困る羽目になるんだぜ。それに、お前呪われてるだろ。お前こそが真剣に考えなくてどうするんだ」
いつのまにか頭が真っ白になっていた。呪いの事を知っているのは椅子を破壊するのを見てしまったジェニファーはさておき、他にはドクター・ハイネしか知らないはずだ。誰にも言っていないはずなのにどうしてジョシュアはそれを知っているのか? 堂々巡りの疑問が渦巻く中、ジョシュアがこういうのが聞こえた。
「実は俺も呪われてるんだよ。何て言えばいいのか、そう、他人の隠し事を暴く呪いっつーか、能力みたいなもんだ。だから、お前が呪われてるって分かったんだよ」
生き物が消えていく。パン・シール教団の信奉者が、魔物を自然界にばら蒔いたせいで、普通の生き物の住みかが奪われたのだ。いつもは勝手知ったる野山がいつの間にか魔物の植物に置き換わり今まで住んでいた野ウサギや野鳥が居場所を追われた。かの信奉者はそんなことには心を痛めず魔物の住みかが増えたことを喜んだ。自身は良いことをしている。そう思って他の生き物の生息地を破壊した。彼らは生態系が壊れていく事を魔物の楽園がもうすぐできる事とはき違えた。自らの首を絞めるころには、人々は一体どうなっていることか、私は一ミリも考えたくなかった。
今まで目を背けていたが、私の女性化した体は明らかに周囲に毒をばら蒔いていた。私の吐いた息が、そばに飾ってあった花瓶の花を枯らしたのだ。私の吐く息は瘴気そのものであると理解するのに長くはかからなかった。私の存在そのものが、魔物を増やす手助けになっていたとは。自分自身がこれほどまでに汚らわしく疎ましく思ったことはなかった。
しかしだからこそ生きていかなければならない。私の魔物の研究は未完成だ。自分で出来ることを誰かがやってくれるだろうなんて甘い考えは捨てることにした。私は自分の出来ることをする。私には無理だとか言いたいやつには勝手に言わせておくことにする。人の足を引っ張るだけの惨めな人生を私は送りたくないからだ。私は腹の中までどす黒いジェイルに屈してやるつもりはない。魔物の楽園を造る計画を頓挫させる事が、家族や他の人たちに迷惑をかけてしまった私のせめてもの償いだ。
見た目には普通の日常が続いていた。しかし辺りを見渡せば魔物が町中を闊歩していることに気づかされる。中には、半分魔物と化した人が普通の人間を獲物でも見るような眼差しで見ていた。害悪を垂れ流す魔物がすぐそばにいるというのに、街の人々は日常の事として受け入れていた。
我はかつてミリア湖を統べていた龍だった。しかしそれはもう昔の事だ。体を失った今は人の目に見えない存在としてそこかしこに偏在している。森の種族であるエルフのエリアが我の血を使い世界に広がり行く魔を浄化するために、我は自身の体を捨て去ったのだ。が、我は敵を過小評価していたようだ。奴は、ジェイルは一筋縄で倒せる相手ではない。
そう確かに過去に奴は存在しなかった。以前のまともだった歴史書を紐解こうがそんな人はいない。ではなぜカーラという娘が手にした古めかしい本に奴が登場しているのか? それは奴は過去の人ではないことを意味する。要は現代に生きる奴が、歴史上の人物として本に自身を登場させたのだ。
体を失い一時的に知覚を失った代償は計り知れないほどに多い。知らない内にかなりの年月が流れていた。嘆かわしいことにあれだけ広大な広さを誇ったパルアベルゼの森は伐採されいつの間にか林と呼ばれる狭いものになってしまった。その影響は止まることを知らず、動物の中には滅びてしまったものもあったし、エルフたちも住む場所を追われ、ある場所に結界を張り細々と暮らす他に術がなくなってしまった。
月日が経ち我が知らないことは山ほどある。その中の一つに奴の幻想に惑わされなかった人が数は少ないにせよ存在していることだ。しかしこれは喜ばしいことではない。なぜなら、その人たちは例外なく呪われているからだ。我の血や、聖水では解くことのできない呪いに侵されている。程度の差こそあれたまに理性を失う。結界に守られた残り僅かになってしまったエルフならいざ知らす、結界に守られていない人類は狂気と幻想に踊らされ続けている。
これを打破すべく人々に我の想いを言葉によらないメッセージにして送り続けている。が、それに気づくだけの良心は人々の心にまだ残っているだろうか。確信は持てない。
出来ることならまだ私たちに未来が残されていることを信じたい。そのためには、ジェイルに踏みにじられ消された過去を取り戻さないといけない。その道のりは長くなるかもしれない。それでも私は、やり遂げてみせる。理性や良心を失っていない人がいる限り諦めるわけにはいかない。私のできることは少ないかもしれないけれど、信頼できそうな仲間ができたのだから、未来を諦めるわけにはいかない。
私は、ジェイルの魔物の楽園という名のディストピアを潰して見せる。魔物の命のために人々の命が失われてはならないのだから。
「次のニュースです。昨晩ディレル政府は魔物保護法を多数決で可決しました。この法律により害獣となる普通の生物を補殺するよう、一般市民に義務付けられます。これにより、生物多様性が豊かになることでしょう! 魔物の命を守るため、補殺方法は問いません。ただし、魔の霧によって魔物化させる場合には普通の生物もあえて生かしておいてもかまいません。魔物の楽園が永久に続くかは皆さんの努力次第です。次のニュースです。今朝、女優のクラリッサが半魔の一般人と結婚することを記者会見で報告しました……」




