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この想いは消せはしない

 ただ、騎士になりたいという夢を叶えようとしていただけなのに、その夢を阻まれ挙げ句の果てに害虫のように駆除されようとしているなど、以前のアールには思いもよらないことであった。 


 しかし時代の波と得たいのしれない悪意が騎士という存在を揉み消してしまった。もし仮にゼルが騎士というものを復活させたとしても時代に取り残された異物として排除されるのは必然のことだろう。  


 事実上の権力を握ったパン・シール教団が、騎士の存在を認めていないからだ。たとえゼルが農民を集め仮初の騎士団を作ったとしても、武器のない集団は無力な上に古色蒼然な団体として物笑いの種になることは避けがたい事実だ。 


 けれども、この押し寄せる悪意に抗うための希望の灯火が必要だった。しかし何をどうすればよいのか、アールやゼル、パツィとミュリエル姉妹、マダム・マーラやエリア、そしてスカイやヨエルにも分からないことであった。もし仮にそれを知っている人がいるとするならば、悪意とは無縁で生きてきた稀有(けう)な存在に違いない。 





 山から降りて行くうちにマダムの芳しくない反応が脳内によみがえる。アールはジェイルを倒すことしか考えられなかったため、マダムの水を差す発言が許せなかった。しかしマダムの言うことに間違いはなかった。何せ、アールにはジェイルを倒す打開策など何一つとして思い浮かばなかったからだ。 


 何の気なしにすっかり暗くなった空を見上げる。そこには漆黒の闇が広がっていた。いつもなら見えるはずの月明かりが見えなかった。星ですら見える気配はない。まるで空から星という存在があたかも消え失せてしまったかのようだ。いつもなら夜が来るたび見上げた星空が味気なくなってしまった。 


「あの遠い星の中には、もしかしたら別の生き物がいるかもしれないってマダムが言ってたな……。その星には魔物なんていないんだろうな、なんてその星に行けるわけでもないし、そもそも住めるかどうかも分からないし」


「……けて」


「ん? 誰か、いるのか?」 


 冷たい風が吹きすさぶ中、微かな声が聞こえたような気がした。もしかしたら気のせいかもしれないが……。 


「助けて! 人形に飲み込まれる!」


 今度ははっきりと聞こえてきた。知らない誰かが助けを呼んでいる。罠かもしれないなんてこの時のアールは思いもしなかった。このまま見捨てるなんて騎士になりたい願望が誰よりも強いアールには到底できないことだ。アールは声が聞こえてきた方角へと走り始めた。 





 もう理性や良心は麻痺していた。いったいどれくらいの動物や人を魔物化させたか分からない。ミュリエル自身も魔物が発している瘴気を吸い込んだかもしれなかった。いつ終わるか分からない狂気の沙汰とも言える作業を彼女は休みなく続けていた。  


 私の代わりに私に似た人形がやってくれればいいのに。そうしたら私はこっそりと休めるから。そうだ。私は人形だ。ミュリエルに似た人形なんだ。人形なら生き物を魔物に変える苦痛を感じずに済むし、疲れもしない。私は自動人形(オートマトン)だ。 


「君ならその選択をすると思っていたよ。その方がこちらとしても好都合だ。君を人形に変えてあげよう。私に従順な人形にね……」


 しまった、と思った時にはもうジェイルに黒魔法をかけられていた。






 人形に命があるとするならば、テレージアは辛うじて生き延びていた。エリアが転移魔法を使い大きめのハサミを人形の大群に向かって投げつけたからだ。 


 そのハサミはテレージアに襲いかかった不気味な人形に突き刺さるとその人形はテレージアに手が届く前に倒れた。そのハサミには白魔法がかけてあり、邪悪なものを(はら)う力がある。テレージアが急いでそのハサミをとらなければ数多(あまた)の人形に襲われていただろう。 


「早くそのハサミを振り払って! 刃先が触れただけでも倒せるから!」


 エリアとミラは移動式の結界に守られ呪いの人形には存在が感知されていない。結界から出てしまったテレージアだけが狙われたのだが、ハサミのお陰で事なきを得たようだった。 






 しかし安堵している暇はなかった。むしろ状況は悪化していた。ミュリエルにとっても、そしてゼル達にとっても。ほとんどの者が皆、呪われた屋敷に囚われてしまったのだ。未だ捕まっていない者はアールとマダムとルッツィだけだが、その三人の結束でさえバラバラになっていた。


 心の繋がりが消えかけている今、束の間の安心さえ許されない状況だ。何故ならば魔の手は絆の破壊を狙って黒い呪いの水だけでなく魔物から発する瘴気を大量に空気中に放出しようとしていたからだ。浄化の赤い雨は一時でも、呪いの黒い水は永久になってしまうかもしれなかった。 







 半魔の魂のジェレマイアは血に餓えていた。残った数少ない理性は人間を襲うなと忠告していたが、植え付けられた魔物の本能が血を欲していた。ジェレマイアがゼルの屋敷に入っていったのもそれが理由だった。ヨエルを襲わなかったのはヨエルが天井から降ってきた黒い水を頭からかぶってしまったからだった。魔物の匂いがついたヨエルを切り刻む気になれなかったのだ。そしてジェレマイアは新たな獲物を探して屋敷内をうろついた。消え入りそうなジェイルへの復讐心をかかえながら。


 


 

 おぞましい魔物が描かれているステンドグラスから異様なほの暗い光が差し込んでいる。ここはパン・シール教団の敷地にある説経を説くための大広間だ。リラはこっそりと視線を上に向けた。回りの人は皆頭を下げて説教師の言葉を熱心に聞き入っているように見えた。 


 あの赤い雨が降ってからというもの、みな呪縛が解けたのだが結局事態は良くなってなどいなかった。いとこのジェレマイアが行方をくらませてから何年たっただろうか。リラは両親や親戚に聞いて回ったが誰も知らないようだった。 


 ジェレマイアは幼いときからの遊び相手だった。誰も探そうとしないのが余計に寂しさを際立たせた。彼がパン屋を営み始めた頃には良く店に入り浸ったりしたのがひどく昔のことのように思えた。彼は今ごろどうしてるのか。  


 ふと目の前が暗くなる。だれかリラの前に立っているようだ。 


「私の話がそんなにつまらなかったのかね。君には特別指導が必要みたいだ」


 ジェイル父長の言葉が冷たく刺さった。嫌な想像が脳裏を駆け巡る。


「い、嫌っ」


 思わず立ち上がったが金縛りにあったかのように身動きがとれない。と、思った矢先だった。 


「私の身も心もあなたに捧げます。どうぞ私を好きなように扱ってください」


 リラの口から意図に反した言葉が飛び出た。そして勝手に体が動き、ジェイル父長が差し出した黒い水を飲み干してしまっていた。


「君は本当にいい子だ。全部飲み干すとは」


 理性が消えていくのを感じた。そして次には知らないうちに伸びていた牙で回りにいた人たちを襲っていた。恐れをなして逃げ惑う人々に牙を突き立てる。さながら地獄絵図のよう。わずかに残った良心が疼いた。ここに来なければこんなことにはならなかったのに。そして人々の悲鳴は次第に止んだ。


「君は魔物の中でも最高傑作だ。そうだ。良いことを思い付いた。君のクローンを作ろう。そうしたら次第に人間はいなくなるぞ。そうなる日が楽しみだ」

 

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