呪い、未だ終わらず
それは大群を成していた。生気のない目、張りのない肌、薄汚れた服。それらの物はかつて生きていたかのように生々しいが、それは実際に人間から造られた人形だからだ。時折鼻につく臭いは身の毛もよだつほどで、エリアは知らず知らずミラの手を握り締めていた。
「痛いっ。痛いよ! 離して!」
その声はエリアの耳に届いていたはずだが、手を離しはせずミラの手を握ったまま駆け出した。身長に差があるため、半ば引きずられる形でミラはつられて駆け出した。
「ちょっと! 私を置いてきぼりにするつもり?!」
テレージアが叫ぶ。押し寄せる人形の大群。あわててエリアが後ろを振り返るとテレージアは人形の波に飲み込まれそうになっていた。
「テレちゃん!」
「どういうことだよ! マダムはジェイルを倒さなくていいと思っているのか?! 奴をほったらかしにして良いなんてまさか考えてなんかないよな!」
アールの叫び声がこだまする。赤い雨のお陰で山に魔物がいなくなったとはいえ、湧水はいまだに黒く濁ったままで何も解決はしていなかった。そして空は見渡す限り漆黒だ。ディレル街を覆っていた黒い霧が山をも覆いつくそうとしていた。
「そうは考えておりませんわよ、ただ……」
「もういい! おれがジェイルをぶっ倒す。黒魔法が怖いなんて言ってられるか! じゃあな!」
「ち、ちょっと待っ……」
止めようとしたルッツィだったが、マダムに制止され、引き留めようとした手は宙を泳いだ。
「何で止めるんですか? 一人にさせたらいけない……」
「あなたにはあれが見えないのですか?」
「あれ、……って何ですか?」
不服そうな表情を浮かべるルッツィに、マダムはため息を洩らした。
「瘴気、です。魔物から常に放っている周囲に害を為す空気のようなものです。あなたはもう少しでそれに触れるところだったのですわよ」
「なっ、それってつまり、アールは魔物だって言いたいんですか? マダムはさっき言ったじゃないですか! アールは魔物になる一歩手前だって。それはアールは魔物になっていないってことじゃないんですか?!」
ルッツィの叫びは絶叫に近くなっていた。憎い敵に報復するはずの巨人が魔物になるなんてルッツィは考えたくもなかった。それを見越したかのようにマダムは水を差すようなことを言った。
「あなたは、ずっとアールの方を見なかったではありませんか。彼はそれに気づいていないとでも思っているのですか? 彼はあなたのことを少なくとも友達だと思っていた。それなのにあなたは目をあわせようともしなかった。見捨てられたと感じていてもおかしくありませんわね」
「それは……」
結んだかどうかも分からない絆があっけなく千切れていくのをルッツィは痛感していた。少なくともルッツィにとってアールは希望だった。村を壊滅した宿敵を倒す唯一の希望。その希望が、ルッツィの何気ない動作によって脆くも崩れ落ちた。
ヨエルが体の違和感に気づいたのは全身にかけられた黒い水を消去魔法で消そうとしたときだった。着ている服が何故かブカブカだ。息を調えてから目を下に向けるとその原因がすぐさまわかった。ヨエルは女性になっていたのだ。フィットしていたはずの服が至るところで弛んでいる。これでは走るのにも苦労しそうだ。鼓動が早くなるのを感じる。よりによっていつも常備している聖水を切らしていた。魔物を元の動物に戻すため、魔物が放つ瘴気から身を守るための聖水は必要不可欠なのだ。しかも湧水や井戸水がほとんど呪いの水に変化してしまったので、未だ汚染されていないミリア湖の水で作られる聖水は貴重品扱いだ。街ではただの水でさえ高級品になっているらしい。おそらく商魂たくましい人が普通の水を聖水と偽って売り付けているのだろう。嫌な事実に行き当たり、ヨエルは惨めな気持ちになった。学問を極めていた頃は知らなかったが、街では金を荒稼ぎする人がもてはやされているらしい。
「まったく、嫌な世の中だ。精神より金や物の方が大事だなんて……」
自らの口から出る知らない女性の声に薄ら寒い思いがした。自分が自分でなくなる。そんな感覚に陥りそうだ。心なしか体温が冷たく感じる。
「……かっ。聞いてるのか! おい、ボーッと突っ立ってんじゃねえぞ!」
ハッとして顔をあげる。見知らぬ誰かがヨエルに話しかけていたようだ。よく見るとその男性は半透明で、魔物化する前に亡くなった人に違いない。何故なら頭から角が生え、口からは牙がむき出しになっていたからだ。それに体の半分が鱗に覆われている。
「お前、よくこんなところで冷静に立っていられるな。この屋敷、あの忌々しいジェイルが魔物屋敷に変えたんだぞ!」
その幽霊は幾分魔物化しているとは言え理性は残っているらしく、ヨエルのことを明らかに心配しているように見えた。
「そう言うお前は何故ここにいる? いくらここが魔物屋敷だからと言ってジェイルに唆されたわけではないだろう」
ヨエルのつっけんどんな物言いにムッとしながら男性は答えた。
「俺はただこの辺りをほっつき歩いついただけだ。そしたらジェイルが来てこの建物に黒魔術をかけたんだ。その後、その屋敷の持ち主らしい男と知り合いらしい男が二人、女の子が一人入っていったのが見えた。……が、お前が入っていったのは見なかったな」
それはそうだ。ヨエルがこの屋敷に入った時はまだ男性だったのだから。
「……他に用がないなら失礼する。探している人がいるのでな」
「お、おい、一人じゃ危ないって! 行っちまったか……。にしてもあの妙にあってない服。……まさか、な」
ヨエルの推測通り、街では悪質な聖水売りが横行していた。知らないうちに呪われた水を飲んで魔物化するという恐怖は静かに人々を蝕んでいたのだ。赤い雨が降る前の人々は村人達以外はジェイルの言葉に酔いしれ、自らが魔物化するかもしれない状況を甘んじて受け入れていた。が、赤い雨は魔物を浄化し元の動物に戻し人々の理性を取り戻させたが、黒い呪いの水を全て消し去ることができなかった。その結果は言葉にならないほどの猜疑心を街の人々に植え付けることになった。口にする食べ物全てが呪われていない保証などどこにもないと言うわけだ。それに人々が嫌々ながら飼っている魔物の吐く息には瘴気が混ざっている。その息は人を魔物化するかもしれないし、別の害悪をおびき寄せるかもしれない。その事実が人々の心を確実にすり減らした。
トルストゥールの人形工房は今や禍々しい人形で埋め尽くされていた。実在する人物に似た人形がおびただしいぐらいに壁を埋め尽くしている。その中でひときわ目立つ人形があった。巨人を模した人形だが、どことなくアールに似ている。何となく形がいびつなのは、店主であるザカリーがあまりの出来の悪さに火をつけ一部が灰になったからだ。だからか、巨人の人形はどことなく顔色が悪く見える。パン・シール教団から送られてきた呪いの水を染み込ませているという事実がさらに人形を気味悪いものにしていた。
以前は人間と人形の声で騒々しかった店内が嫌に静かだ。人形に命を吹き込んでいたミュリエルはここにいない。その役目を果たしているのは送られてきた黒い水だけで、黒い呪いの水が命じた時にしかしゃべらないからだ。今日その役目を果たすのはあろうことか巨人の人形だった。
「この巨人は必ず魔物になる。そして必ずや魔物の楽園を築き上げる要となるだろう」
その言葉を聞いているはずのザカリーの返事はない。なぜなら、ザカリー自身が生ける人形のようになっていたからだった。黒い水を染み込ませた人形を手袋なしに触ってしまったため、ザカリーはジェイルの操り人形になってしまっていた。
「……お、俺のや、やぼ、野望が……、き、きえ……た」




