底無し沼に囚われる
息が速くなってきた。ゼルの家族を探すだけなのに、パツィはもうゼルの屋敷の中で迷っていた。焦る気持ちを押さえようとしたが、目の前で起きたことが彼女の頭を真っ白にさせた。戻ろうとして後ろを向くと入ってきたはずのドアが消え失せていたのだ。
「ありえない、ありえないっ。こんな事があるはずないっ」
いまやパツィは袋のネズミ状態だ。補助魔法で力を溜めて壁を殴り付けたが壁はびくともしなかった。
「ここから出してっ。出してよ!」
半狂乱にやみくもに壁を殴ったせいで腕が痛くなってきた。パツィは気が動転していて気づいていないが、実は屋敷全体が魔法を跳ね返す金属に置き換えられていたのだ。
「なんでこんなことになるのっ。もう嫌……」
ゼルも似たような状況に嵌まり込んでいた。しかし彼の場合はドアがなくなるのではなく壁一面にドアが増えていた。それを見たゼルは嵌められたと感づいた。けれど誰に? それでも答えは一択しか無いように思われた。彼らを罠に嵌めるとしたなら、ジェイル以外にいないはずだ。ゼルにとっては異国出身のヨエルが怪しいとも思っていたが、彼にそんなことをする動機がなかなか見当たらないのも確かだ。あの魔道士は胡散臭いが、魔法研究以外は無関心で他人を困らせることは頭にないとゼルは踏んだのだ。
「どちらに行っても父上はいなさそうだな」
意を決して一番左のドアを潜り抜けた。が、しばらく進むと後ろから肩に誰かの手がおかれるのを感じた。ハッとしてすぐさま振り返るとそこにいたのは意外な人物だった。
「父上………」
「探したよ。さあ、部屋に戻ろう」
スカイは相変わらず宝さがしに夢中になっていた。幻の魔物に追いかけられたりしたものの、それは宝を奪われないように侵入者を驚かすために作り出したものだとスカイは都合のいいように解釈した。
「前に盗みに来たときは衛兵が襲いかかってきたのに、今は誰にも出くわさないな。もしかして幻影のほうが使い勝手が良いから衛兵が要らなくなったとか? それならありがてぇや。わざわざ相手を倒して体力消耗したんじゃ意味ないもんな」
「本当におめでたい奴だな。奴の罠に嵌まったと思わないのか?」
スカイは宝探しの間、ヨエルに冷やかな視線を向けられていたのだが、彼はそ知らぬふりをして言い返した。
「奴って誰だよ? 回りくどい言い方するなよ」
「ジェイルに決まっているだろうが。あのいかがわしいパン・シール教団の……」
「カシラって訳か。で? そいつはどんな奴なんだ?」
茶化すように言ったスカイにヨエルはいらっとした。奴は山賊の長じゃない、と言おうとしたが、ジェイルがどんな人か分からせるためヨエルは誰かが言ったものと同じ言葉を繰り返すことにした。
「魔物の楽園を造ろうとしている奴だ。お前も魔物のエサを作らされただろうが」
ヨエルがその言葉を言ったとたん、思った通りスカイは顔をしかめた。
「あぁ、あの真っ黒で臭い塊のことなっ。あれにはムカついたぜ。オレには右手がないってのによっ。奴は手加減ってものを知らねぇんだ!」
「それでも奴は手加減した方だ」
「何のために手加減するんだよ? 意味が分からねぇぜ」
そうぼやくとスカイはまた走り出した。彼の頭の中にはお宝しかないようだ。ヨエルは引き留めるのも面倒だとばかりに頭を振った。
「今我々が置かれている立場がどんなに危機的か、考えてみたら分かるだろうに。ん、……あれは何だ?」
やたら薄暗い廊下には何もないように見えた。が確かに何かいる。とてつもなく邪悪な気配をヨエルは感じ取っていたが、その姿を確認できたときには、ヨエルは真っ黒いどぶのような水をかけられた後だった。
あまりのおぞましさに直視できない。ルッツィは炭の塊に変貌したアールをなるべく見ないようにマダムと話をしていた。せっかく体を取り戻せたのに顔を見ようとしてくれないルッツィにアールはやきもきしていた。
「体の調子はどう? 見たところ呪いは残ってないみたいだけれど、あまり無理しないほうが良くてよ」
「お気遣いありがとうございます。……でも、私には帰る場所なんてありませんし、ジェイルがいるかぎり安心して眠るなんて無理です」
空から降ってきた赤い雨によって呪いを解かれたとはいえ、本調子ではないのは確かだ。長い間眠っていれば体が鈍るのは当然のことだろう。しかし、ルッツィの意志は鉄よりも固く、障壁のために立ち止まるなど考えられないことだった。
「おれがあいつを倒す。だから………」
「やっぱり嫌! マダムやアールに任せてばかりで何もしないなんてできない! あいつは、私が倒す!」
家族だけでなく村の人々を失ったからか、ルッツィは敵は自分の手で討ちたいと決心したようだ。
「……そう言うと思いましたわ。けれど、あなたには任せられません」
「相手が油断ならないのは分かってっ………」
「あなたに任せられない理由は相手の問題ではないのですわ。それはアールにも言えることですが、それは復讐心の問題なのです」
「でも、誰かが奴を倒さないといけない……」
アールが言い返そうとしたが、マダムは二の句を継がせなかった。
「ジェイルの野心は、復讐だけで潰えるようなものではありませんことよ。それに、綺麗事に聞こえるかもしれませんが、わたくしは復讐はよくないと思っておりますの。わたくしの研究によりますと、醜い心は魔物化を引き起こすのに十分なのですわ。アールは、魔物になる一歩手前と言うところでしょうね。魔物になってまで復讐したいのですか?」
エリアが周囲に張り巡らせた結界がなければ、今ごろ獣耳娘ミラと人形のテレージアはパン・シール教団の屋敷内で魔物の餌食になっていただろう。そもそもの始まりはテレージアがミュリエルを助けたいとエリアに申し出たことがきっかけだった。なかなか戻ってこないミュリエルがジェイルに捕まってしまったとエリアが確信するのに長くかからなかった。が、それと同時に敵のアジトに何の対策もなしに乗り込むのは気が進まなかったのも確かだ。
「いつ魔物が襲いかかってきても私は攻撃魔法は使えないから、そこは覚悟しておいてほしいの。わかった?」
「分かってるよ! もし魔物が来てもあたしは鼻が利くからすぐ逃げれるし、襲ってきても噛みつき返してやるから大丈夫! ね、大丈夫だもんね? お人形さん?」
「私はテレージアっていう立派な名前があるんだから、お人形さんなんて気安く呼ばないでっ」
ミラとテレージアが言い合う中、エリアは不吉なものを感じていた。一向に魔物が襲いかからないばかりか、屋敷内が静まり返っているのだ。が、しばらく歩いていると何か微かな音が聞こえてきた。ミラとテレージアは気づいていないから、どうやらエリアにだけ聞こえているらしい。その音は小さい何かが歩いてるように聞こえる。どんどん近づいてくる。エリアが気を引き締めた時だった。
「あ、お人形さんだー! テレちゃんのお友達かな? おーい!」
大声でミラが廊下の向こうに向かって手を振る。この先には、確かに小さな人形がいた。が、何やらおかしい。ミラの呼び掛けに反応していないようだ。
「テレちゃんって何よっ、て……。な、何あれ。あんなの私の友達なんかじゃない!」
ミラ達の目の前にいたのは、そこかしこ継ぎはぎだらけの人形で、よく見ると人間の一部が使われていたのだ。ボサボサの髪、汚ならしい皮膚、そして血走った眼球。エリアとテレージアは、声にならない悲鳴をあげた。




