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現在の話と歴史改悪の疑い

 内部崩壊までいつまで持つか。ディレル国は瞬く間に国中がパン・シール教団を崇めていた。変な空気に飲まれず危機感を持っている人はごく僅かしかいなかった。皆が皆、口を揃えてあの教団を崇拝しているものだから、私が注意深く見守っているあの娘、カーラ・ハルトナーは心が折れそうになっていた。 


 それもそのはず、得体の知れない呪いにかかったものだから平気でいられるはずがない。ドクター・ハイネとしてこの学校を偵察しに来た私もあの娘と同じ呪いにかかっているから、やり場のない怒りをどこに発散させて良いのか悩むあの娘の心情も理解できなくはない。惜しむらくはあの呪いは人それぞれ違う効果をもたらすせいで決定的な解呪方法が見つからないことだ。ある者は呪いの水を吐き出し続け、ある者はパン・シール教団の熱心な信者になり、最悪の場合魔物と化し他の人間を襲う。 


 そう考えると私とあの娘はかなりイレギュラーなほうだろう。見た目は至極全うな人間で思考回路も全うでありながら、見えない瘴気で回りを害しているからだ。あの娘の場合は硬い金属を壊すという形で出ているが。私が渡したはずの聖水を飲んでさえいれば呪いの効果を遅らせることが出来たのだが、あのランコアのせいで聖水を飲ませることが出来なかった。やつは私に対して息子であることを利用して揺さぶりをかけてくる。確かにやつが半分魔物になったのは私の責任だ。魔法研究に明け暮れて家庭を蔑ろにした罰としてやつは私を動揺させようとしている。だがここでやつに心を許してはいけない。やつはもう人間の良心を持っていないからだ。ここでとるべき方法は、呪いの水の精製元を絶つこと。そのためには、周囲の者達の非難を浴びることを覚悟しておかなければならないだろう。 






 私が学校のそばにあるホテルに向かおうとしていた時、カーラは丁度ある男子学生に話しかけようとしているところだった。何気ない風を装ってはいるが、どことなく会話の調子がぎこちない。あまり親しくない人との会話というのは大体こんな感じなのだろう。魔法の研究に明け暮れた私にとっては、人との会話自体無駄だと思っていた節があった。というのも、魔物の消滅のために日がな一日考えていたからだ。魔物を撲滅するという大いなる理念のため、無駄話をしている場合ではないと考えていたからだった。 


 しかし、その考えを打ち砕くある出ごとが勃発した。私にまだ帰る家があった頃のこと、魔物から瘴気を取り出し元の動物に戻そうとした時だった。実験に夢中になりすぎて、そばにまだ幼かった息子が遊んでもらおうと近づいてきたことに気がつかなかった。私があまりに真剣に実験していたのを見た息子は気を引こうとして私の袖を引っ張った。その際手元が狂った私は魔物から取り出した瘴気が入ったビンを割ってしまった。気づいた時にはもう手遅れで、息子がその瘴気を吸ってしまった後だった。聖水を取り出そうとする間に息子は毛玉のような魔物になってしまっていた。変貌した息子を助けることもできたはずだが、私は気が動転して無我夢中で走っていた。ドアに鍵をかけ忘れてしまった、ただそれだけで息子を酷い姿にしてしまった現実を受け止めるには私の精神はあまりに未熟だったのだ。家から飛び出した私にも魔の手が忍びよっていた。知らない内に私も瘴気を吸い込んでいたのだが、夢中になって走っている間に私の体が女になっていたのだった。ポケットに入った僅かな聖水では私の体を元に戻すにはあまりにも少なすぎた。家に戻ろうとしたがこの姿では妻に信じてもらえないだろう。それどころか、不審に思って追い払われるに違いない。そう思った私は家に戻ることを諦め、ヨエル·アッカマンあらため、マリ-·ハイネとして生きていくことにしたのだった。 





 聖水を飲んでいる間だけは正気でいられる。聖水の効果が切れると理性が吹っ飛んでしまうので欠かさず飲むようにしている。しかし、一回だけ聖水を飲み忘れたことがあった。その時の事は思い出したくもない。ナイフを握ったかと思うと手当たり次第誰彼構わず切りつけようとしたのだ。そばにマーラ·ドゥ·ガルトがいなければ、人をころしていただろう。彼女は私が呪いにかかっていると見破り、呪文で聖水を取り出し私にそれを浴びせた。大量の聖水を浴びたお陰で一気に理性が舞い戻ってきた。冬の寒い中、冷たい聖水を被った私はとたんにくしゃみをした。


「ごめん遊ばせ。あなたが取り乱しているようでしたから。あいにく暖かい聖水はわたくしの魔力では出せませんの」


そう言うなり立て続けに私に魔法をかけた。今度は寒い冬には場違いな温風が私に当たるのを感じた。 


「……どうも」


「こういう時はありがとうと言うんですのよ。まさか、あなた誰とも会話せずに生きてきたんじゃないでしょう?」


「……余計なお世話だ」


「確かにそうかもしれないですわね。でもあなた、口の聞き方には注意したほうがよろしくてよ」


「はあ……。そうか。じゃ、それでは失敬する」 


 行く宛もないまま自分の家とは反対の方向に向かおうとしたときだった。先ほどの女性が後ろから話しかけてきた。


「ねえ、あなた今夜家に泊まって行きませんこと?」     

「は……?」


 なぜそんなことを提案したのか、訳が分からず疑念が生じた。が、私には帰る家がない、その事を彼女は見破っていたのだ。しかし警戒を緩めるわけにはいかなかった。というのも、知らない人が善意だけで見知らぬ人を家に泊めるのは有り得ぬことだからだ。が、この人は私の想像とは斜め上のことを言ってきた。  


「わたくしの家に泊まったほうがあなたにとってメリットですわよ。あなた呪われているのでしょう? こう見えてわたくし、あなたにかかった呪いを制御する方法を知ってますのよ、ヨエル·アッカマン」 

 

 その名前を聞いたとき私の顔が青ざめるのを感じた。なぜこの人は私のことを知っていて、なおかつ女性になった私を私自身であると見抜いたのか。


「あなたはすっかり忘れてしまっているかも知れませんけどわたくしは以前あなたとお会いしたことがありますのよ。まあ、あなたはわたくしの方を見向きもしなかったですけどね。わたくしはあなたがカリドゥス国で増加している魔物研究家として活動していたのを知っていますの。魔物の危険性を伝えるため、まだ魔物がいなかったディレル国で講演会を開いていたでしょう?」  


「講演を見に行ったのか……」


 それを聞いて思い出したくもない思い出が勝手によみがえってきた。有名でもないし話すのも下手な私が唯一した講演は大失敗に終わった。しどろもどろに話してしまったせいで数少ない聴衆から笑い声があがったのだ。明らかに冷やかな笑いにこの後の質問コーナーをうっちゃってしまった。青ざめた私に彼女はただこう言っただけだった。 


「確かにあなたの話しは分かりにくかったんですの。カリドゥス語なまりのディレル語で話していたんですもの。でもわたくしだってギョドルム公国出身だから、人のなまりを笑えないんですけれどね。その時のあなたの様子はいたたまれなかったですわね。あなたの瞳の色がオパールみたいだと気づいたのもその時ですわ。なかなかない目の色ですものね?」  





 彼女の家に招待されてから様々な解呪魔法の実験に付き合わされた。マーラの屋敷に滞在して一週間がたった頃、私の家族がどうなっているのか気がかりな中とある噂を彼女から聞いた。 


「どうやら、あなたの息子さんはよくない団体に拾われてしまったようですわ。パン・シール教団というらしいのですけれど、その団体は魔物の楽園を造ると同時に世界中の歴史を自身の都合のいいように改竄(かいざん)するつもりらしいですわ。それにあなたも、一歩間違えば魔物になっていたかもしれませんわね」




 

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