重い罪悪感の行き着く先
改めて自身の体を確かめる。血色が悪いこと以外は至って普通に見える。アールは元に戻った感触がつかめないまま、そばに落ちていた魔物の植物の残骸を拾った。真っ黒な炭になっていた植物の枝はたちまち崩れ去った。
「……なあ、マダム。今のおれ、どう見える?」
地面に埋まっていたアールを引っ張りだすため、強力な魔法を使っていたマダムは息切れして地面に突っ伏していた。が、アールに質問されたのでよろめきつつ巨大な木炭と化した木に手をつきながら立ち上がった。
「……どこにも変な所は見当ありませんわよ」
「本当に? 嘘言わないでくれよっ。 呪いは、解けてなんかないんだろ? ……おれには分かる。おれはまだ呪われてるって! マダム、どうなんだよ!」
やや激昂しつつあるアールに現実を言っても良いのだろうか? 一瞬マダムはためらったが、言うことにした。
「先ほど降った赤い雨。あれには呪いを解く効果がありますの。……けれど、アールには効かなかったみたいですわ……。まだ、体から呪いの気配が感じ取れますもの」
「……」
竜の血には浄化作用があるのは確かだが、なぜかアールの呪いは解けなかったようだ。それでも形ある体は取り戻せたほうだ。
マダムの説明を分かったのかどうか、アールは硬い表情のまま聞いていた。山を降りようとマダムが提案しかけた時、アールがそれを遮った。
「マダムはルッツィのところにいてほしい」
「……え? どうかしましたの?」
唐突な頼みごとに、マダムは不思議そうな顔を見せる。が、すぐに何事かを悟った。
「ジェイルを倒しに行くのなら、準備をしてからでも遅くないですわよ……」
「それじゃ間に合わない!」
巨体から出る轟く大声に、マダムはビクッとした。よく見るとアールは怒りで顔を歪ませていた。普段見慣れていた呑気な表情はみる影もなかった。ディスバニーの呪いを受けたときにはまだ心の余裕があったのに、もうその気楽さは今となっては消え失せていた。
「魔物が消えたとしても、あいつがいる限り呪いの犠牲者は増える一方だ! マダムは知らないから言うが、おれが煙だった時人を一人、ころしてしまったんだよ! 騎士になりたいのに、どういうわけかその時のおれは気が変になって、命を弄んでしまった! これじゃ、やっていることがやつと同じじゃないか! おれが、おれでなくなる前に、ジェイルを倒さないといけないっ。そうでなかったら、ころしてしまった人に申し訳が立たない……」
マダムはただ呆然としてアールの長広舌を聞いていた。アールに以前のような呑気さは皆無に等しかった。もし魔物が増えなかったら、もしジェイルが魔物の楽園を造ろうとしていなかったら、アールは前までのように騎士になりたいという途方もない夢をいまだに見ていただろう。しかし、いまやアールにその夢はなく、ただジェイルを倒してやりたいという怨念のような思いが渦巻いていた。
「……やはり、駄目ですわよ」
びっくりしてアールはマダムを見た。小柄なマダムはアールの横に立つと小人のように見え、表情が見えづらく何を考えているのか推し量ることはできなかった。
「な、何がダメなんだよ? 早くジェイルを倒さないと……、ルッツィだってそれを望んでるっ」
「それじゃ、勝算はありますの? なにか策を考えないことにはジェイルの邪な野望は絶てませんわよ」
「なに言ってるんだよ、マダム。おれは巨人なんだ。人間一人に負けるわけが……」
「それが駄目だと言ってるんですのよ!」
今度はアールの方が驚いた。いつも穏やかなマダムからまさかこんな怒声が出てくるとは思わなかったのだ。
「マダム………」
「相手は黒魔法の遣い手ですのよ。以前に奴が造った魔物を一匹捕えて調べてみたんですけれど、体内にはあり得ないほどの量の瘴気で満たされていましたわ。それに触れた人は間違いなくその瘴気に犯されてしまいますわ。それの対抗手段は聖水を飲むか浴びるか、浄化作用のある竜の血を飲むしかないんですのよ。それに奴に立ち向かった途端に大量の魔物を相手にしないといけなくなりますわ。それか、もっと質の悪い呪いをかけられてしまうかもしれませんのよ? それでも早くジェイルを倒したいと言うのですか?」
アールはぐうの音も出なかった。ジェイル憎しで倒そうと思うあまり、相手が何をしてくるのか考えるのが二の次になっていたのだ。
「ごめん……。魔物のこと頭になかった……」
「奴に弱点があるとしたら、なんだと思いますか?」
「……わからないよ。おれは魔法のことなんてさっぱりわからないから、弱点なんてもっとわからない。あいつのく、黒魔法だっけ? ……を使えなくして、魔物があいつを襲ってくれればいいんだけど……」
「まあ、どこの誰だかわからない相手の弱点を考えるなんてナンセンスでしたわね。でも分かっている事がひとつだけありますわ。そいつは魔物の楽園を造ろうとしている。そのためには他人の命を蔑ろにしてもいいと考えてますわ」
「人の命を粗末にしているのに、奴は命を大切にって言うなんて、言ってることがおかしいじゃないか」
「それが奴の目的だからですわ。魔物のためなら、人の命がどうなろうと構わないと思っている。そのためにパン・シール教団本部が人々の思考をねじ曲げようとした。先ほど降った竜の血のお陰で人々の正気は戻ったと思うんですけれどね……」
悪臭漂う黒い沼にいたはずだった。黒いヘドロ蛇に襲われそうになり、万事休すかと思われたが突然降ってきた真っ赤な雨のお陰で黒いヘドロ蛇は消え去ったのだ。その後ルッツィは目の前が赤く染まってしばらく何も見えない状態が続いたが、しばらくすると魔法の明かりが目に飛び込んできた。どうやら、ルッツィは洞窟の中にいるらしい。ぼんやりとした明かりが辺りを照らしていなければ、あまりの暗さに叫びだしていたに違いなかった。起きた時にずり落ちたショールが、マダム・マーラのものだということに気づくのにそう長くかからなかった。
「……マダム、あなたのお陰で私は無事でいられる。けれど、やっぱり故郷が消えたという事実は堪えられない。私の帰るべき場所がないのが、辛い……」
上空の黒い霧は浄化作用を持つ竜の赤い血の雨が降ってもなお晴れぬままだった。街の人々が正気に戻ろうとも、パン・シール教団の関係者が今なお街を牛耳っている状態であり、元の生活に戻りたくても、監視の目が光る中では自由にものを言えぬ状況が続いた。特に伝統的なサン・マリ教を信仰していた人達は、表向きはパン・シール教を崇めているように見せかけなくてはいけないため、かなりストレスが溜まっていた。それに加え魔物を飼育していない者は罰則を課せられる法律はいまだに有効だったのも頭痛の種だった。誰が好き好んで人に害を為すような魔物を飼育したいと思うだろうか? しかし、今やパン・シール教団は強大な勢力になっており、それに反対する者は有力者でさえ牢獄に入れられる始末だった。
ミュリエルは唇を噛み締めてジェイルの魔物創造という身の毛もよだつ手伝いをさせられていた。黒い液体が体に降れないようにしつつ、一匹、また一匹と檻の中にいる動物に振りかけていくのだ。黒い水が入った容器を持つ手が自ずと震える。
「……ごめんなさいっ」
バシャッと黒い水をかけられたのは、動物ではなく膝を抱えて震えていたまだあどけなさの残る少年だった。
黒い水をかけられた少年が裏切られたという眼差しでミュリエルを見たとき、重い罪悪感と深い後悔が一気に彼女を貫いていた。




